ガリレオが観察した太陽黒点


●「ガリレオ温度計」のことを書くに当たって、昔読んだガリレオの「新科学対話」などを読み返しました。そのとき、これも昔話ですが、ガリレオの太陽黒点の観測に関するレポートを書いたっけなぁ、と思い出して本を引っ張り出してきました。

 

 岩波文庫「星界の報告 太陽黒点に関する第二書簡ガリレオ・ガリレイ著、山田慶児・谷 泰訳。1976年10月18日 第一刷発行。¥200-

 という黄ばんだ本です。なんとこの本の裏表紙のところに、レポートのもとになったこれも黄ばんだグラフ用紙がはさんであり、30年近く昔の自分の思考が懐かしく甦ってきました。私は何を考えたのでしょう?

 

●この文庫本の130ページから148ページに、「1612年6月および7月にかけて日々ガリレオ・ガリレイ氏が観察し観測した太陽黒点の図」という太陽黒点の観測記録の図があるのです。この図が正確で忠実なものであるなら、ここから「等速円運動とサインカーブ」の関係を浮かび上がらせることができるのではないだろうか?というようなことを考えたのです。また、そこから太陽の自転周期なども求まるだろう、と。

 

●ガリレオ自身が述べている太陽黒点についての記述を少し紹介しましょう。

 「黒点は望遠鏡を使えば太陽面に認められますが、その表面からずっと距たっているのではなく、それに附着しています。離れているとしても、まったく感知できないほどわずかな間隔があいているにすぎません。またそれは星、もしくは恒常的に持続するなにかほかの物体でもありません。あるものはたえず生成し、あるものは消滅しています。一日、二日、あるいは三日といった短い持続期間でそれがおこることもあれば、もっと長くて、十日、十五日、さらにわたしの信ずるところでは、つぎに述べるように、三〇日や四〇日、あるいはそれ以上の期間でおこることもあります。黒点の大部分は不規則な形をしています。・・・。こうした集合と離散、濃密化と希薄化、あるいは形の変化といった無秩序な個別的運動のほかに、全体に共通する普遍的運動があります。一様な運動によって、相互に平行線を描きながら、太陽の本体を通過してゆくのです。これらの運動の個々の特質から、つぎのことがわかります。第一に太陽の本体は完全な球です。第二に太陽はみずからその中心のまわりを回転します。そのため黒点は平行な円にそって動くのです。太陽は惑星の球体とおなじように西から東へ回転しながら、およそ一太陰月で一回転します。・・・。黒点は太陽の表面に附着しており、その回転につれて運ばれていくという仮説にたいして、すべての現象は完全に一致しており、不都合な点や困難な点には一つもでくわしません。・・・」

 

●キリスト教会が依拠するアリストテレス的世界像では、天空は不変で完全なものです。太陽に黒点などという「不純」なものが存在していてはいけないのです。ですから、太陽面のすぐそばを回転する小さな星である、という解釈をしようとしていました。ガリレオの論点はそれを打破することにあります。その議論は興味深いものですが、現代のわたしたちには少しまだるっこしい感がします。

 ガリレオが上で「平行線を描きながら」といっていますが、もし太陽近傍の惑星であるなら、惑星の軌道円は、その円の中心が太陽の中心にある「大円」でなければなりませんので、太陽面上を「平行に移動してゆく」ということはないと思います。(これはニュートン力学が成立しないと言い切れないことでしょうけれど)。

 

●太陽黒点の観察記録方法ですが、望遠鏡の接眼側に白い紙を置いて投影し、記録をとりました。この方法は、ガリレオの記述によると「わたしの弟子のひとり、カッシーノの修道士で、すぐれた才能のひと、ひとも知るごとく哲学することにおいて自由な才能のひとである、ブレシアの貴族カステリ家のD・ベネデットが発明したものです。」

 ただ、ガリレオは肉眼で望遠鏡をのぞくこともしました。「筒をとおしてみれば、眼をたいへん疲れさせ傷つけるだけです」と述べています。

 大変危険なことで、ガリレオの失明の原因もおそらくこの太陽の観察によるのでしょう。絶対に肉眼で太陽を直視してはいけません。望遠鏡を通してなど、まるっきり論外です。絶対にしないで下さい。

 


●さて、基本的なことを確認しておきましょう。

下の図を見てください。一番左は等速円運動を表しています。角度10度ごとに黒い点を打ってあります。速さ自体は任意です。一秒に10度でもいいし、一日に10度でもかまいません。要するに「等速」で運動していればよいのです。半径は簡便のため「1」としておきましょう。

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円の右、赤いが縦に並んでいます。これは、等速円運動の上下方向の動きだけを取り出したものです。左から平行光線を当てて等速円運動の「正射影」をとったと考えてもいいですし、円運動する点のy座標、つまり回転角のサインを取ったものを並べた、と考えても構いません。あるいは、右の方のはるかかなたからこの円運動を観察しているために、奥行き方向の運動は見えなくなり、上下方向の運動だけが見えているのだ、としてもよいのです。この場合が、地球から太陽黒点を観察している状態にあたります。

 この上下の往復運動は「単振動」といいます。単振り子やバネ振り子の振動はこのようなものです。

そして、青い点の並びは、赤い点の動きの時間変化を示しています。ここでは横軸が時間になっているのですね。(単振動の時間的変化、といってももちろん構いません)。

一単位時間ごとに10度回転する「等速円運動」する点の、上下方向だけを取り出すと赤い点で示されるような「単振動」が現れ、この上下方向の動きを単位時間ごとに横にずらして並べてゆくとこのような「正弦波形」になるのです。

●このくらいが、これからの話の基礎知識です。


●さて、下の図2は、岩波文庫から作業用にとったコピーです。131ページ、1612年6月5日と6日の分が写っています。

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上段第3図」の左上端にある「B」という記号の黒点に注目して追跡することにしました。(念のために黒点Oも)。そして、他の「A,O,S」などの黒点の動きを参考にして、「Bが動いている方向線はこれだ『エイヤッ』」と私が書き込んだのが、斜めの線です。これは、私の「判断であり、見積もりであり、決断」なので、人によってはまた違う線が書き込まれることでしょう。図版の太陽の大きさが揃っていれば、そして、ガリレオが「極」だと判断したポイントが書き込んであれば、重ね合わせるだけでいいのですが、そうもいかないのでした。つまり、図版の大きさがわずかずつみんな違う、そして、極も赤道もはっきりしない、という状況での、やむをえない判断なのです。

 

●先ずはデータからお示しします。下の図3がそれです。

:黒点Bの乗っている弦の長さをミリメートル単位で読み取り、黒点Bの位置も左上端からミリメートル単位で読み取りました。日付を第1列に、その日の値が下図3で色をかけた第2列に書き込んであります。これが、今回の議論の最も基礎的なデータです。「~.5」というのは小さな点がミリメートル目盛の中央にあるという意味ではなく、両方の目盛に等しく乗ってしまい、四捨五入がしづらかったという意味です。

:第3列は、割り算を実行したものです。本来、黒点が左上端にあるとき「0(ゼロ)」で、右下端に来たとき「1」になるはずの数値です。

:第4列は、「0.5」を中央にするために、第2列の値から「0.5」を引いた数値です。

:第5列の数値は、そのままだと「-0.5~0.5」になる第4列の数値を、三角関数の値として扱うために、2倍して、数値の範囲を「-1~1」に直したものです。

:第6列の数値は、サイン関数の値が第5列の値を与えるような角度を、アークサイン関数で求めて、角度(radianではなくdegreeで)表示したものです。

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●ここで、予想を立てておきましょう。

下図4の左端が、太陽表面を太陽の自転とともに黒点が回っていく様子だとしましょう。(太陽を極方向から見下ろしていると考えてください)。図の下から上へ一定の角速度で動いていくものとします。(本当は西から東へ回っているのですが)。

観測データ:その黒点の動きを、はるか遠方の地球から観測すると奥行き方向の動きは全く観察できなくなります。そこで、図4の左から2番目のような「単振動」が地球からは観測されるはずです。これをガリレオは観察し、図に残しました。今回、私が読みとった基礎データもこれに相当します。

その点が単振動になっているかどうかは、「一目見ただけ」では分かりません。人間の眼が最も正確に判断できるのは、等間隔であり、直線です。

予想1:そこで、黒点は毎日観測してあるのですから、単振動と思われるデータを、1日単位で横にずらして、時間変化を見ることにしましょう。単振動であるなら、図4の赤で示したようなサインカーブ正弦波形)が現れるはずです。

予想2:さらに、黒点は一定の角速度で動いているはずですから、黒点の回転角度を、1日を単位とする時間軸にのせてグラフを描けば、当然直線になるはずです。これが、下の図4の青い点のグラフです。

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●データをグラフ化したものを見てください。

★図5図3の第5列を一日ごとに横にずらしながらプロットしたものです。(黒点Bです)。

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●黒い点がデータ点です。そこへ、周期27日のサインカーブを赤で細く重ねて描いてみました。「よくあっている」というべきかと思います。

 サインカーブが現れるという、予想1が成立しました。

 

 

★図6は図3の第6列を一日ごとに横にずらしながらプロットしたものです。

 黒い大きな点は黒点Bについて、参考のため黒点Oについてもプロットしてみたのが青い小さな点です。

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●多少ばらつきはありますが、きれいに直線に乗っているといってよいでしょう。

 回転角度は直線に乗るという、予想2が成立しました。

(予想1と予想2は同じことの異なる表現ですから、どちらかが成立すれば、もう一方も成立するのは当たり前なのですけれど、やっぱりなんとなく嬉しいですね。)

 それと、「眼による判断」では、曲線上にデータ点が乗っているよりも、直線になっているほうがはっきり分かるのです。直線に乗ったかどうかは、かなりはっきり分かるものなのです。ですから、データを整理するときは、うまくいっていればデータが直線になるはずだ、というようにグラフを工夫します。

 

●最小自乗法という方法でデータ点を貫く直線の傾きを求めてみました。

 黒点Bについては「13.7」、黒点Oについては「13.2」という値を得ました。およそ13.5程度でしょう。

 

 

 理科年表では、太陽の自転周期は25.38日となっています。これは「対恒星周期」です。太陽の自転の向きと同じ向きに太陽の周りを公転している地球から観測すると、太陽の自転周期は約27.3日くらいです。

 印刷物から読みとった荒っぽい解析ですから、有効数字は2ケタで充分です。私がガリレオの記録を読みとった結果が「約27日」、正しい値を四捨五入すると「27日」、これはとてもよくあっていると言うべきではないかと思います。

 

●6月5日に出現した黒点Bについて、27日後というと7月2日頃となります。7月1日の図版を下の図7に示します。左上ギリギリのところに黒点が現れてきています。図版ではこれに「A」という記号を割り当てているのですが、私が思うに、これは「一周してきた黒点B」ではないでしょうか。周期から見て妥当な線だと感じます。

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結論

ガリレオの観察とその記録は非常に正確であり、かつ誠実なものであったということが分かります。科学という学問において「誠実な観測と記録」は絶対に色あせないものです。400年近く昔のデータからサインカーブが再現され、太陽の自転周期がほぼ正しく再現されました。

 ガリレオ自身は初めの方の引用にあるように「太陽は惑星の球体とおなじように西から東へ回転しながら、およそ一太陰月で一回転します。」といっています。太陰月は約29.5日ですから、周期もきちっと把握していたことが分かります。

 

 何せ望遠鏡を天体に向けたのはガリレオが最初なのです。月を見て球体であること、山や谷があることを理解し、山の高さの見積もりもやっています。木星を見て「ガリレオ衛星」を発見しています。視野の中を往復運動する「点」を観察して、それが木星の周りを回っている、と考えることは、とてつもない想像力ではないでしょうか。月が地球のまわりを回り、木星の周りを衛星が回る、ならば地球が太陽の周りを回っていてもいいのではないか、というアナロジーがガリレオの地動説にはあります。

 太陽を観察し、視野の中では「円盤」に過ぎない太陽を、球体であると理解し、その表面に黒点があることを論証し、太陽は自転し、それととともに黒点も回っているのだと考える、これはやはり、とてつもない想像力であると言わざるを得ません。

 

 ガリレオの観測データから、等速円運動を示すグラフを得て、ガリレオの誠実さと想像力に私は感動しています。

 

http://www.showayakka-jh.ed.jp/kenkyu/sun-revolution/sun-revolution.html をぜひ見てください。

「太陽の自転周期を求める」昭和薬科大附属高等学校 天文部

 高校の天文部の活動の報告です。素晴らしい写真があります。黒点の観測から回転角度の直線関係を得て、直線の傾きから周期を求めています。そして、太陽の自転周期として「26.9日」を得ています。

 私が紹介したガリレオの話と合わせて読んでいただくと、理解が深まると思います。

 

●余談

 ある超生物が、はるかかなたから、私たちの太陽系があるこの銀河系を真横から観察していたとします。太陽に何らかの目じるしをつけて、1千万年ごとに太陽の位置を記録したとしましょう。銀河系が1回転する周期は約2億7千500万年といいますので、1億4千万年ほどの間、14回の観測結果を並べると「単振動」が現れ、横軸目盛1千万年間隔で目盛ってグラフを作るとサインカーブが描けるはずです。「なるほど銀河系は回転運動をしているのだな」と、その超生物はグラフを眺めて考えることでしょう。


雑感

●最近、マスコミをよくない意味でにぎわしている論文の捏造疑惑事件があります。

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「昨年の論文も虚偽か、DNA一致せず ES細胞疑惑」朝日新聞 2005年12月30日

 30日付の韓国紙・東亜日報は、黄禹錫ソウル大教授による胚(はい)性幹細胞(ES細胞)研究に関する論文ねつ造問題で、世界で初めてヒトクローン胚から作ったと発表した昨年2月の論文のES細胞も、体細胞核の提供者のDNAと一致しなかったとの一次分析結果が出たと報じた。(時事)

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 この事件がこれからどういう風に決着していくのかはわかりません。ただ言えることは、自然に対して、「いのち」に対して、畏敬をもち誠実であってほしかった、ということです。誠実でない研究は短命に終わります。現代はあまりにも「成果」を求めすぎています。対象たる自然に対する畏敬をもって誠実に研究する知的活動のみが長い命をもって自然科学を前進させることができる、ということはおそらく根本的なことだと思っています。

 

●私事ですが、私は島村修先生の研究室で卒研を行ないました。bicyclo-3,1,0-hexane という物質を合成するだけで卒研期間が終わってしまい、その反応までは踏み込めなかったのですが、実験研究における基礎的なスタイルを叩き込まれました。データに対して誠実であること、を徹底的に要求されました。

実験データの記録には、ルーズリーフのような後からページを差し込めるようなものは一切禁止でした。実験の時系列を後から変更できるようでは実験の信用性が失われます。ですから、表紙のしっかりした製本された記録簿を使うこと。

記入には鉛筆を用いてはいけない、ペンを使うこと。誤記があったと思うときは、抹消線を引いて、読めるようにしたまま、そばに正しいと考えることを記入すること。データの恣意的変更は許されません。また、そのとき誤っていると思ったことでも、検討の結果、予想していなかった新しいことの発見につながることはありうることです。ですから、データは消してはいけないのです。誤りが創造的であることは自然科学ではしばしばあることなのです。誤りを恐れていては、自然科学は学べません。実験もできません。誤りには大きな価値があるということを、専門家だけでなく、広く知ってもらいたいものです。

研究者にもならず、理科教育に携わったものの、半端な終わり方をしてしまった私ですが、島村先生から受けた「教え」は、本当にありがたかった、と感謝しています。

教育においても、これから伸び育っていくひとたちに対して、誠実さと畏敬を失ったら、もう教師たる資格はありません。そう思っています。

 

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