自己紹介  以下の文章を読んでいただければ判るように、私は障害者です。足のハンディキャップに「負けない」ように、また、肉体にハンディキャップがあるのだから、それとは関係ない「頭脳労働」の仕事をするのがよい、と幼い頃からいわれてきました。でも、なんか変だ、僕には障害があり、障害を持った僕自身がそのまま本物の僕なのだから、障害を生かした生き方をするべきなんじゃないか。そんな気持ちも思春期の頃からしてはいたのです。高校の頃にニーチェに触れ、大学の頃にいわゆる「大学闘争」の中をまともにくぐりぬけ、「障害があるのに」ではなく「障害があるからこそ」の生き方をすることに意志決定したのでした。教職ならば、生徒たちに障害者としての肉体をさらし、障害者としての生き方をさらして、私と接した生徒は、次に別の障害者と出会う時には、それなりに障害者差別から解放された接し方ができるようになるのではないか、そんな気がしたのです。また、一方で「生涯、偉くなるとかならないとか、そういうことから離れていられる職業」としての「教職」も魅力的でした。教諭として26年、退職して嘱託員として5年、計31年間教壇に立ってきて、毎年度、新学期の最初の1時間は自分の障害の話と、障害者差別の話などを、必ずしてきました。10年ほど前からは予めプリントを用意して、かいつまんで話す、そのときの反応で話の焦点を変える、でも伝えたいことの全容は生徒に渡る、ようにしてきました。ここでは、そのプリントの今年度版を紹介します。(少しだけ手入れしてありますが・・・)  過激な余談ですが、私は「すべての小中高に最低一人の障害者を教諭として配置せよ」と内心思っているのです。そうすれば、子どもたち生徒たちは、思いやりの気持ちや、生きることの大変さや素晴らしさ、命の大切さを全く自然に身につけていくのではないでしょうか。とってつけたように「生きる力」だとか「命の大切さ」だとか叫んでも子どもたちの心にしみこんでは行きますまい。障害者教諭がどの学校にでも配置されれば、砂に水がしみこむように、草花が水を吸って育っていくように、こころのしなやかなひとが育っていくと思うのです。はるかではかない夢なのでしょうか。 [自己紹介 2004年度版] およそ深い泉の体験は、徐々に成熟する。 何がおのれの深い底に落ちてきたかがわかるまでには、 深い泉は長いあいだ待たねばならぬ。 (泉に)石を投げ込むことはやさしい。 しかし石が底まで沈んだとき、だれがそれを取り出すことができようか。       ニーチェ「ツァラトゥストラ」(手塚富雄訳、中公文庫) ☆1 こんにちは  君達の心の泉に石を投げ込みたいと思います。10年後の君達の心に何が残り、何が生まれているでしょうか。10年後に「効き目」のでてくるような石を放り込みたいと思います。今日私と出会い、1年間つき合ってくれたら、今度別の障害者に出会うときには、君達は何も知らない人とは確実に違ってしまっている。私はそれをもくろんでいます。私は君達を巻き込みたいと思います、「障害者と共に生きるという豊かな生き方」にね。そして、これからの1年間を始めるにあたって一度じっくり考えてみませんか?というのが今日です。 ●ついに疑うこと自体を疑うに至るまで疑いつづけること―――それが事物を見るための火打ち石である。進歩とは、疑問符のつみかさねである。 ●簡単に咲く花は、簡単に散る。 ●きみとぼくとは、いま、ここに、たしかに存在しているか?―――生きるとは、しょせん答えていくことである。創造とは、主体そのものである。内部からの問いかけをだきかかえていないものは、そこによこたわっているにすぎない。 ☆2 自己紹介  昭和23年生まれ。ポリオ後遺症で「左下肢弛緩性まひによる歩行機能損傷」という4級の障害者です。ポリオという病気はウイルス性の伝染病で、戦後の日本では昭和23~24年頃と、昭和36年頃に大流行しました。その後はワクチンが完成し日本中の赤ちゃんが予防接種を受けるようになったので、もう日本では根絶された病気となりました。君達も大方の人は赤ちゃんの時にワクチンを飲んでいるはずですよ。私の場合はワクチンなどまだない、昭和24年の流行で満1歳の時に感染したわけです。(1994年には南北アメリカ地域でのポリオ根絶が宣言されました。京都市で開かれたWHOの会議で2000年10月29日、西太平洋地域でのポリオの根絶が宣言されました。「西太平洋地域」とは日本、韓国、中国、ベトナム、カンボジア、オーストラリアなどを含む地域のことです。地球上すべての地域で根絶されたわけではないので、世界市民としての君達や君達の子どもたちはまだポリオワクチンの接種が必要です。最近ワクチンの接種率が落ちてきていて、再び流行しないか、不安です。) ☆3 障害のなかみ  脳から筋肉に向かう運動の命令が脊髄の下で左足へ分岐するところがウイルスに侵されてしまいました。左足には脳からの命令が届きません。ところが左足から脳への温度感覚、皮膚感覚(痛い、かゆい・・・)はちゃんと伝わります。不思議なものですね。 ☆4 その結果・・・  左足の筋肉は命令が来ないのですから、ゆるみっぱなし。体重を支えることができません。使わない足は成長も鈍いのです。左足は右足より6cmも短いのです。 ☆5 対策  「補装具」を使って体重を支えます。でも、基本的に左足は「棒」です。 ☆6 すると?  ◎左足に体重をかけるときは、体の重心が左足の真上になければなりません。体は揺れます。荷物は左手にしか持てません。腰への負担がやたらと多い。腰堆の老化が進む。腰痛を発する。  ◎「行けば戻れる」とは限らない。左下がりならいいが、右下がりはダメ。凸型の舗装道路、斜面、階段などでの、障害に起因する一方通行性、行動の不可逆性が発生。山や海、自然の構造も不可逆性の多い構造してるよな。  ◎登り坂と下り坂。登り階段と下り階段。登りは負担は大きいが右足によるコントロールが利くので、楽。下りは左足を先に出さねばならずコントロールが利きにくく非常に不安。必ず右手でてすりにつかまる必要あり。てすりの無い階段なんて「絶壁」でしかない。体育館のステージにかけられた階段の恐怖。  ◎エスカレーターの右をあけろなんて、健常者の横暴。強者の論理。右手でベルトにつかまらなければ、危険で、怖くて、どうしようもないという人がいる、ということを想像してみてほしいのです。  ◎気づいてるかい、私は左足から「段差」へあがることは不可能、必ず右足から。右足から「段差」に落ちたら転倒。必ず左足から降りること。予め距離を目測しながら歩いてるのです、いつも。  ◎「またぐ」というのはまったくダメ。雪の中を歩くのは「またぐ」歩き方だよね。敷居(古寺、仏閣なんかの「敷居」って高いんだよね~)またげません。バス、飛行機、列車、新幹線・・・の横並び座席の恐怖。トイレへ行きたくても、途中下車したくても、「またいで」いかなきゃならないでしょ。体育館のシート。フワフワの床面。布団の上も歩けません。  ◎「滑る」こともまったくダメ。氷、ワックス、濡れた廊下・・・。左足がすべりはじめたら止める手立てなし。うまくころぶのみ。下手に手助けされるとかえって危険。足首も傷めたし、膝も傷めたし、腰も傷めたし、ついた左手の親指関節脱臼、左小指の骨折、左手の骨折・・・いろいろやったなあ。  ◎私の辞書に「急ぐ」という語はありません。常に時間に大幅なゆとりをもって行動しています。「ぎりぎりになったら走ればいいさ」という留保を持つということは、とても「傲慢」なことに私からは見えてしまうんですよ。そんな人とは行動を共にすることはできません。私は基本的に常に「単独行動者」です。  ◎回転ドアも怖いなぁ。あれは車椅子や視覚障害の人には「壁」だよ。トボトボとしか歩けない私に、スタスタと歩くスピードに合わせろ、と強要するのですか?車いすやベビーカーにもそのことを強要するのですか?白杖のひとはどうすればいいのですか? ☆7 私の世界地図   行動の不可逆性や、右と左の非対称性を意識しながら、行動。「あの歩道の段に右足からかかるにはあと何歩か」「この階段は登るのはいいとして降りられるのか」「歩道橋はいやだ。回り道でも横断歩道にしよう」・・・。バスの走行中に立ったり座ったりはまず不可能というべきかな。電車の方がその点では楽だな。つまり、障害があると世界の見え方が違って来るのですね。君達の気づかない構造を読み取りながら行動しているのです。世界や人間や生命をより深く見てしまう。「障害があるのに」ではないのです。障害があるからこそ 私は豊かになりえた。障害に感謝こそすれ、厭(いと)うことはありません。「障害を乗り超えて」というのがマスコミや世間は大好きだけど、「障害があるからこそ」「障害と共に」と読みかえてみましょう。また違った真実が見えてきますよ。それを可能にするのが想像力です。 たくましい想像力の翼を養って下さい。 「ひとり想像力のみが我々をして他人の苦しみを感じさせる。」(ルソー、「エミール」) ☆8 ところで  「障害」ってどこにあるんでしょうね。私が今の社会で若干の不自由さを感じるのは否めません。「またぎこすべき壁(バリア)」があるからね。目や耳や言語やいろんなところで能力の多様性(泳げる人もいれば泳げない人もいる。走ることの好きな人もいれば嫌いな人もいる。近視の人もいれば遠視の人もいる。理科の得意な人もいれば苦手な人もいる・・・能力とは多様であるのが当たり前。みんな同じ能力などということはありえない。多様であるからこそ、みんなが大事、みんなが唯一の人、になるんだろ。みんな違ってみんないい。ね。)の少々端の方に位置してしまった人はみんな「コミニュケーション障壁」や「行動の障壁」に悩まされます。視線入力カメラ、視線入力ワープロ。点字キーボード、点字プリンター。コンピューターにしゃべらせたり、音声入力もできる。障害者にとってコンピューターはもってこいの道具だね。筋肉が硬直してしまって自由にしゃべったり字を書くことのむずかしい人にもコンピューターは優れた道具だ。でもまだまだ改良の余地はいっぱいある。それを埋められるのは、いわゆる「健常者の側」だろ。バリアを低くすることができて、低くする義務を負ってるのは健常者の側じゃないかい?つまり、言いたいことはこうだ。 障害(バリア)を持っている(あるいは、つくっている)のは健常者だ。 少々センセーショナルに表現してみた。でも見方を変えると随分違ったものが見えてくるってことが判ってもらえただろうか。(パソコン画面のアイコンや、銀行のキャッシュディスペンサーのタッチセンサーなんかは視覚障害の人には辛いね。) 障害者とは健常者が作り構えている「障壁」=「障害」にさえぎられている人のことなんです。  バリアフリーという言葉が最近はやっていますが、障害者や老人や幼児や妊婦や・・・いわゆる社会的弱者にとって使いやすいということは、実はすべての人に使いやすいということなのですよ。強い人は多少のバリアがあろうがなんだろうが気にせずまたぎこしていってしまうわけですが、私たちはそのバリアに引っかかってしまうわけです。ですから、最終的には、すべての人に使いやすい、汎人間的デザイン、物理的にも心理的にも情緒的にもバリアのないデザイン、つまりユニバーサル・デザインができるといいですね。しかも、それも、さりげなく、ね。いかにも「経済的には引き合わんが、わざわざやってやってるんだぞ」じゃ、いただけませんものね。  私は自分の障害を誇りに思っています。積極的に人前に自分をさらして障害者のことを知らせようとしています。それを教師という生き方にまでしてしまった。この行為は、ものを考えない人にとってはうっとうしいかもしれないし、自分の安穏たる暮しや日常性を脅かすものに見えるかもしれないね。そうなったらむしろ嬉しいね。そういう意味で私は「社会に害をなす者」でありたいね。そうして言おう、 「どっちが『障害者』なんですか?」 「障害(バリア)を作ってるのは誰ですか?」 「みんなでバリアを低くしましょうよ」 ってね。 いっさいの「かつてそうであった」は、一つの断片であり、謎であり、残酷な偶然であるにすぎない。 ---だが、創造する意志は、ついにそれにたいして、「しかしわたしはそれがそうであったことを欲したのだ」というのだ。 ---創造する意志は、ついにそれにたいして、「しかしわたくしはそれがそうであったことを、いまも欲しており、これからも欲するだろう」というのだ。             ニーチェ「ツァラトゥストラ」(手塚富雄訳、中公文庫) ☆9 私の意志  私がポリオにかかってしまったことは過去の偶然です。でも私は今、私の意志の名において言うことができます。「わたしは障害をもつということを欲したのだし、いまも欲しており、これからも欲するだろう」と。私は過去に対して仮定法は使いません。もし障害がなかったら、なんて全く思いません。障害を持ち、障害と共にあり、障害あってこその私であり、私の人生はこれでよいのです。一方、「困難は継続中なのだ」ということも認めざるを得ませんがね。ステッキ、松葉杖、車椅子。外出にステッキは欠かせなくなってきました。さてどんな老年期へ突入していくものやらね。「障害者の衰えは速いよ」と伝えてくれた、同じポリオの障害を持ち、老いを先行する叔母の言葉も重い日々ではあります。「衰え行く」という墜落感は日々増しこそすれ消え去りはしません。 ☆10 最近のこと  1988年の秋のある日でした。激烈な腰の痛みに襲われて、這うようにして家に帰ったのでした。「変形性腰痛」。上体が大きく揺れることの負担が腰椎に骨棘という石灰の沈着物を発達させたのだそうです。腰椎だけが六十代などといわれてしまいました。以来、年に1~2回のペースで腰痛に襲われます。このごろは少しは腰痛との付き合い方が判ってきたかなと思っていても、時々思いもかけないときに激烈な腰痛に襲われます。冬は一日として痛みの消えるときはなく、立ち上がってすぐには歩き始められないし、いったん座ったらしばらくは立てなくなりそうで、座ることさえままならず、夏でも腰痛はやってくるし、ため息ですね。毎週泳いで、体力、筋力の維持に努めてきたんですがね。50代に入って「衰えたなー」という実感がひしひしと迫ります。  ところで更に、がっくりということがでてきましてね。ポリオ後遅発性筋委縮症(PPMA)、あるいはポストポリオ症候群(PPS)とかいうんですが、要するに、ポリオにかかってから約40年もすると、筋肉が衰えて力を失っていくというのですね。だめになった部分を、使える側でかばってかばって約50年、使い過ぎになってしまったんですね。使わなければどんどん衰え、使い過ぎればまた早く衰える。なんてこったい。今のところ日本で、このPPMAについて詳しい医者は多くはいないようです。  私のような団塊の世代にポリオ罹患者が多くて、みんな50代に突入して、くたびれてきちゃって、PPMAが知られるようになって、全国にポリオ罹患者の会ができてきました。東京には「ポリオの会」があります。神戸の会も先駆的な活動をしています。最近、各地の会の全国連絡会もできました。インターネット上にホームページもあるはずです。もし、君たちの親戚・知り合いで、ポリオの後遺症の方がいらしたら、こういう会を紹介しますから、私に連絡してください。ホームページも見てください。私のようにあっけらかんと「私はポリオで~す」と言える人は意外と少ないのかもしれません。言ってしまえば気楽なものなんですが、踏み切るまでがね、大変かもね。体力のあるうちは、多少不便でも、なんとか隠して健常者に紛れてしまっていることもできたと思うんですが、年齢を重ねると、辛くなってきているはずですよ。それでも、自分の身内や配偶者にまで隠して、そっと一人で苦しんでいる方も多いと思うんです。お力になれるかも知れません。「こんな先生もいるんだよ」と、君たちの周りで触れ回ってくれてかまいません。むしろそれを望みます。よろしくね。  かなり前になりますが、「五体不満足」という本がベストセラーになりました。”表の明るい部分”がクローズアップされて、健常の方々に衝撃を与えたようです。私自身「なつかしいなあ」という気持ちで彼の「衝撃力をこめた言葉たち」を味わいました。「あとがき」で、乙武さんはヘレン・ケラーの言葉を引用しています。 障害は不便である。しかし、不幸ではない。 これは真実です。決して障害は不幸ではありません。一方、障害が不便であるというのも真実です。小さな不便を積み重ね、積み重ねして、やっぱり疲れてくるんですよ、なんだかんだ言ってもね。乙武さんもこの真実には否応なく対面せざるを得ないでしょう。彼の人生は始まったばかりです。彼がこれから積み重ねていく不便のことを思うと、私はとても辛いのです、人生を先行する者として。(パラリンピックを見ていると辛いのです。使えなくなった部分をかばいにかばって使える部分の能力を最大限に使っている。「それは使い過ぎではありませんか?」「かばう」ということは何にもまして体に良くありません。老いを先行する障害者として「くれぐれも自分の体をいたわってくださいね」と、とても心配なのです。)  私は今55歳、随分「不便」というやつを積み重ねてしまいましたよ。「教諭」という仕事に疲れてしまいました。フルタイムワーカーとしては、限界に達してしまいました。教諭として、授業・分掌・会議・・・全部こなしていくのはもう勘弁!ということで一旦退職して、嘱託員になりました。仕事量を半減させれば、まだ今のところ私の体力ならもつと思います。その上で原点としての「授業」にこだわりたいと思います。今年度は嘱託5年目。嘱託は1年ごとの契約で最長5年まで。今年でおしまい。君達は私の最後の生徒になりました。どうぞよろしく。 ●さびしいときにそのひとを思えば慰められる、そんな友はほしくない。怠けるときにそのひとを思えば鞭うたれる。そんな友がほしい。 友のために、 私もそういうものでありたい。 ●カミソリが多すぎる。マサカリがほしい。木を切り倒さなければ、紙だってつくれやしない。ひとかどの人物とは反逆者のことである。 ●やってできないことと、やろうとしないからできないこと、この二つをいつでもはっきり区別することだ。 ●へたばったら、へたばればよいのだ。へたばりきるのだ。そして、そこからもう一度たちあがるのだ。もう一度! ●優越感も差別感も、じつは劣等感の裏返しである。あわれな裏返しである。相手を傷つけたうえに、もっとひどく自分をはずかしめる。 (●のついた言葉は、むの たけじ著「詞集 たいまつ」評論社刊 からの引用です。)  今日の最後に、私の好きないくつかの言葉や詩をプレゼントします。どうぞ味わってみてください。 -------------------- 何かを選択するということは、何かを捨てることです。人生を生きていくということは可能性を 実現するとともに可能性を削ぎ落としていくことでもあるのです。いずれ「選択」しなければ生きてはいけません。 ならば常に、選択の幅は可能な限り幅広く保持し続けて下さい。 Keep your options open. -------------------- いい人にあえるといいね  いいところにいけるといいね  いいものにふれられるといいね  いいことができたらいいね  いいまいにちだといいね  いい人を好きでいたいね  いい人に好きと言われたいね  いい人にあえるといいね  いいひとたちと生きられたらいいね  ほんとに  そう思うよ     作者不詳   朝日新聞1994.1.30付け 「せんせい」という連載に掲載。 --------------------  カレンダーも時計も 人間のものさし 生命あるものは それぞれの時空をもっている 焦ることはない 自分の歩幅で歩めばいい   ALSの中林 基さんのことば --------------------------------------------------------------------------------    あいたくて   だれかに あいたくて   なにかに あいたくて   生まれてきた―――   そんな気がするのだけれど      それが だれなのか なになのか   あえるのは いつなのか―――   おつかいの とちゅうで   迷ってしまった子どもみたい   とほうに くれている      それでも 手のなかに   みえないことづけを   にぎりしめているような気がするから   それを手わたさなくちゃ   だから      あいたくて 工藤直子 --------------------   ねがい  からっぽの手は寂しい  手は きっと  つなぎあいたいのだ  そして心は  つなぎあう沢山の手を  想像したいのだ     工藤直子 -------------------- 感受性の貧しかりしを嘆くなり倒れし前の我が身我が心 力仕事これにて終了これからは想像力を鍛えんと思う 手足萎えし身の不自由を挺子にして魂(こころ)自在に飛翔すらしき 斃(たお)れしのち元(はじ)まる宇宙耀(かが)よいて そこに浮游す塵(ちり)泥(ひじ)われは      鶴見和子 -------------------- [ 2003年度の生物授業のファイルには、上のプリントに加えて話した、おまけの話がありましたので、紹介します。 ] ●私の行動に「急ぐ」という言葉はない。  ・遅れそうになったら走ればいい、というのは健常者の思い上がりといえるかもしれない。「走れない者がいる」ということに思いをはせてほしい。  ・目の前の信号が青だったら渡らない。これはビックリするだろうね。いつ渡るんだ?もちろん青信号を渡るのです。今、目の前の信号が青でも、その信号がいつ青になったかは判りませんね。渡り始めたら、交差点の途中で点滅が始まって、赤になってしまったら、どうします?君たちなら走るでしょう。私は走れません。だから、そんな立ち往生をしないために、「自分の目の前で青になった信号」しか渡らないのです、私は。  ・自分が急がなければならないような状況にならないように、自らをコントロールする。授業にも5分前には準備室を出ます。急ぐことの無いように。出勤する、人と会う、旅行する、などいろいろの局面で、私は1時間くらいの余裕を見ながら行動します。  ・待たされるのはいい。待たせるのは苦痛です。 ・数分でホームを変えて乗り換える列車を「接続」しているといわれても、それは無理でしょう。  ・集団で行動すると、健常者たちは常に「走ればいい」という留保を持って行動する。私はそれにはついて行けない。危険で危険で仕方ない。 ・物理的に「走れない」 ・私が転べば、将棋倒しを起こします。 ・故に、 ●私は単独行動者である。  ・電車のホームで降車した人の流れの中に巻き込まれることは、極度の恐怖をもたらします。みんなが行過ぎてから、最後尾をトボトボと一人行く、のが私の選択です。ドアを出た正面が階段だというような場所には乗りません。危険ですから。なるべく階段から離れたところに降りるように自分の位置を決めます。  ・親しい友人とでも、複数で行動するのは嫌です。自分の行動原則を守りきれなくなってしまうから。肉体的な行動を越えて、これは、私の人生の哲学になりました。私は単独行動者です。「オレはつるまない」  ・私は独行する。 ●障害があると世界の見え方が違う。ということは、「精神は身体に規定される」ということですね。 ●精神はあらゆる束縛を離れて「自由だ」、という幻想がありますが、それは間違いです。 ●生物としてのヒトは、生物種としての歴史性、身体性から離れて自由な思考・思索が出来るわけではありません。  猫や犬を飼っている人もいると思います。彼らと感情の交流ができますよね。互いに哺乳類だからでしょう。「隣のご飯はおいしそうだ」「目が合ったぞ」「甘える」「ねだる」とか感情の流れの基盤はそっくりですね。「チンパンジーにはあくびがうつる」そうです。 ●自らを生物から解き放たれた「自由な存在」と思ってしまうという特権的思考にヒトは陥りやすいものです。自覚的に自分を見つめていこう。 ●私たちヒトは生物であり動物である。その上で理性によって、意志によって、自らを創出していくことは可能なのです。 [参考] 賢い証拠、チンパンジーも「あくび」伝染 京大チーム  仲間があくびをするビデオに、アイもつられて大あくび=愛知県犬山市の京都大霊長類研究所で、松沢教授提供 他人のあくびにつられてあくびをするのは人に限りません。チンパンジーも一緒です――。こんな研究を、京都大霊長類研究所などのチームが英王立科学アカデミー紀要電子版の最新号に報告した。しかも子どもではあくびが「伝染」しないことも人と同じ。自分と他人の識別や、他人への共感といった感情の進化を探るのに役立ちそうだ。  霊長類研の松沢哲郎教授や、英スターリング大のジェームズ・アンダーソン教授らが、霊長類研のアイやマリなど19歳以上のメスのチンパンジー6頭を対象に調べた。  6頭のうちの1頭と野生のチンパンジーがあくびを約10回するビデオと、単に口を大きく開けただけのビデオをそれぞれ3分間ずつ見せ、その後も3分間様子を観察した。  その結果、口を開けただけのビデオを見てあくびをした回数は平均4.7回だったのに、あくびのビデオを見たときは同10回あくびが出て「伝染」しているのがわかった。とくにアイは2回だったのが24回に、マリも9回が25回に増えた。  3歳の子ども3頭は、どのビデオを見ても一度もあくびをしなかった。  アンダーソン教授らが人で同様の実験をしたところ、大人ではあくびのビデオでほぼ半数に伝染した。4歳以下の子どもには伝染しなかった。  松沢教授は「あくびの伝染は、自己と他者を区別する能力はもちろん、他者の行動にある種の共感を覚えないと起こらないなど、かなりの知性を必要とする。類人猿のチンパンジーにもそれが備わっている新たな証拠だろう」と話す。 (朝日新聞 2004/07/24 09:14)