ノミの跳躍力 「ノミの跳躍力」(THE FLYING LEAP OF THE FLEA) M.ロスチャイルド/Y.シュライン/K.パーカー/C.ネビル/S.スタンバーグ (MIRIAM ROTHSCHILD / Y.SCHLEIN / K.PARKER / C.NEVILLE / S.STERNBERG) サイエンス、1974年01月号の論文から。(現在の日経サイエンスの前身の雑誌です。)  腺ペストの主要な媒介動物であるインドネズミノミは、体長が1から2mm、餌を与えられていない時の体重がおよそ210μgで、90mmの高さまで跳ねることができる。平均的に跳ねる個体は、28℃程度の温度のとき、いつも60~70mm跳躍する。・・・ノミはそれ自身の体長の100倍以上も跳躍するのである。ネコノミとヒトノミはいっそう印象深い名人であって、立ち飛びで33cmの高さまで跳躍できる。  餌を与えられていないノミも、長い時間跳ね続けることができる。インドネズミノミは他のノミがいて刺激されれば、1時間あたり600回の割で休みなく72時間跳ね続ける。ある時には、10匹のノミが1時間あたり1万回の割で跳ねた。つまり3.5秒ごとに1回跳ねたことになる。(この比率はノミを閉じこめた容器にマイクロフォンとアンプをつなぎ、各跳躍音を記録することによって測定した)。  ノミは生活史の初期を、その寄主の巣の中か、地上の堆積物の中で過ごす。ノミの生存にとっての難問は、サナギから成虫になった後に寄主に接触を持つことである。通り過ぎていく動物に地面から跳びつくこの危険な作業が、この昆虫を高度に特殊化し、かつ効果的な跳躍機構の進化を促したことは疑いない。また、跳躍が非常に有効な逃避の手段であることにも注目すべきであろう。  ノミの跳躍は筋肉だけの力によるのではなく、弾性タンパク質レジリン(resilin)によって助けられているのだということを、エジンバラ大学のクラークが仮定し、われわれもそれを確認したのである。トンボとバッタの翅関節の靱帯の中にあるこのタンパク質は、今まで知られているどんなゴムより、効率よくエネルギーを貯えて放出でき、また大部分の活発に収縮する筋肉よりすみやかに力を出すことができる。  ノミには翅がないにもかかわらず、ノミの側弧の中にレジリンのあることが示された。明らかにこの装置は、ある有翅祖先の飛翔システムから由来している。  レジリンは、ケンブリッジ大学のバイス=フォウにより、はじめて昆虫のクチクラの中に発見された。これはほとんど完全なゴムであって、引き伸ばされた後で放されると、貯えたエネルギーの97%を放出する。したがって、与えられたエネルギーの3%を失うだけで、それは熱として発散される。商業用ゴムの多くではこの損失が15%もある。したがって、レジリンは熱力学的意味で真のエラストマー(ゴム弾性物質)として機能し、与えられたエネルギーは共有結合の維持にはごくわずかしか浪費されないように見える。そのかわり、エネルギーは、ランダムにもつれたポリペプチド鎖を、確率的にはもっとおこりにくいコンフォーメーションに向けることによって、このシステムのエントロピーを減少させる(つまりそこに一層の秩序をもちこむ)ことに主として使われてしまう。この鎖が開放されるとポリペプチドはすみやかにランダムな状態にもどるよう振れる。レジリンは何ヶ月もの間、その平衡状態の3倍の長さに引きのばしておくことができ、そしてそれを放してやると、以前の長さに数秒以内で戻る。これは分子の網目の中で流動がまったく起こらないことを示している。(文末の註参照)  レジリンを利用することによって、ノミは、弛緩と収縮の速度がかなり小さいことと、低温で活性が落ちるとう筋肉の大きな制限要因の2点を克服した(温血動物はたえずエネルギーを転換して熱を発生することによって2番目の問題に対処している)。最も速い昆虫の飛翔筋は機械的なものであって、筋肉はその支持システムの共振頻度に従う。  ノミがまさに跳ねようとするとき、ノミは頭部を下げ、体を縮めてしゃがみこむ。30年ほど前、エアランゲン大学のヤーコブソンが、ノミは跳躍のふみきり前に、自分の肢を「集める」と書き記した。彼はこの手順が跳躍そのものよりもずっと時間を要することに気づいた。この準備段階の間、腿節は挙筋の収縮によって持ちあげられ、また、同じ筋肉によって転節のホックが基節の末端にあるソケットの中へ回り込まされ、その結果、転節と脛節が地面に接触する。ついで、前側筋と右転節下引筋が収縮し、側架と胸の固い隆起との間にはさまれたレジリンが絞られることによって、側弧の中に力が蓄積される。・・・かがみこんだ姿勢のノミは発射準備状態にあるのだ。  跳躍は、腿節を下方に引き下げる攣筋の弛緩によって始められる。腿筋が下方に下がると同時にレジリンと弧状の側板壁と基節壁とに貯えられていたエネルギーが放出される。  昆虫の飛翔システムにおけると同様に、レジリンとふつうのクチクラとの弾性が、非常に速い動きを可能にし、そしてまた協調を単純にしている。速く動く部分がうまく同期するのは、機械的なクリック・メカニズムによるものであって、神経を介する協調によるものではない・  温度が彼らの跳躍能力にほとんど影響しないように見える。このような現象は、弾性構造の中に貯えられたエネルギーが放出されるときに特徴的なものである。このまったく物理的な過程は、筋収縮における化学的に調節されたエネルギー放出とは違って、比較的に温度とは無関係なのである。  もう一つ別の昆虫、つまりコメツキムシも、ノミと同じ組み合わせを利用してきた。すなわちエネルギー貯蔵としてのレジリンを、例のパチンと跳ねるクリック・メカニズムと組み合わせたのである。コメツキムシが跳ねるとき、虫はまずあお向けになり、体を弓なりにする。そして突然体をたいらに伸ばして、体をジャックナイフのように空中に放り投げる。跳躍はほとんど垂直に近く、高さは300mmにまで達する。コメツキムシという名前の由来となった特徴的な音が、どうして生じるのかは明らかではない。しかし、それはおそらく前胸腹板上にある突起が次の体節の腹板の上にあるくぼみ(ソケット)の中に、パチンとはまりこむことによるものであって、一般に信じられているように、床に頭を打ちつけるときの音ではないと考えられている。 したがって、ノミの跳躍とコメツキムシの跳躍には、いくつかの共通点がある。どちらの昆虫もレジリンのエネルギー貯蔵を持つ。どちらもある時間の間「発射準備」の姿勢をとることができる。そして両者とも、筋肉が弛緩してクチクラの留め金をはずし、その結果、レジリンと胸部の曲がったクチクラ壁とに貯えられていたエネルギーが放出される。  ノミの跳躍のユニークな点は、その速度、加速度、軌道、あるいは何回も繰り返して飛べることにあるのではなく、むしろ、自然淘汰がつつましくも飛翔機構を温存したまま、それを新しい跳躍機構の中に取りこんだという巧妙な手腕にあるのである。 (筆者註)物体に外力が作用して形や体積に変化を生じ、外力を取り去るともとの状態に復帰するような性質を「弾性」(elasticity)といいます。(バネやスーパーボール)。外力を取り去ったのに歪みが残り変形したままであるような性質は「塑性」(plasticity)といいます。(粘土など)。  ごく単純に言って、弾性にはエネルギー的な弾性と、エントロピー的な弾性があります。鋼のバネの弾性は、エネルギー的なものです。バネを作る原子はエネルギーのくぼみの底にはまったような状態で振動しています。もし、負荷をかけて少し伸ばして釣り合いの状態にあるバネを、熱すると、熱のエネルギーによって原子の振動が激しくなり、原子の平均間隔が広がり、物体としてのバネは伸びます。それに対して、輪ゴムにおもりをかけて伸ばし、釣り合いの状態に置いてから、加熱すると、輪ゴムは逆に縮みます。ゴムでは、外力によってなされた引きのばすという仕事がゴム分子の乱雑さを減らし整列させるように使われます。つまりエントロピーが減少したということです。加熱されて分子の運動が激しくなるとエントロピーは増大し、伸びて整列していたものが、乱れて縮むのです。本文中の説明から、レジリンの弾性は、ゴムのようなエントロピー的弾性であることが判ります。 わが家の仲間たち:20(2006.5.21)  珍しいお客様がみえました。コメツキムシです。コメツキムシといってもいろいろな種類がいてそのうちのどれなのか実は私には分かりません。で、コメツキムシ、でご勘弁を。何年ぶりでしょうか、久しぶりのご対面です。  知っている方ならもう下の写真を見ればすぐお分かりでしょう。今「発射準備中」です。  コメツキムシは、裏返しにされると、頭部を筋肉の力でぎゅっ~と胸の方へ曲げていき、体内の弾性タンパク質レジリン(resilin)を引き伸ばして、このバネたんぱく質にエネルギーを蓄えます。そして、いったん固定します。  次の瞬間、この固定を外すと、レジリンばねが解放されて、頭部がそっくり返り、床を打ち、20~30cmくらい跳ね上がります。そして落下してくる時に体勢を立て直して正立し、さっさと逃げ出すわけです。  レジリンは、貯えたエネルギーの97%を放出することができるそうです。非常に効率のよいバネなのです。  つまり、コメツキムシは、一種の「ビックリ箱」になっていて、バネに蓄えた力を一挙に解放して跳び上がるわけです。このメカニズムは、ノミの跳躍と同じです。  跳躍の際に「パチッ」という音がするのですが、この音が正確には何の音か分かりません。一般には床を打つ音だろうといいますが、床が柔らかくても音はするようです、ですから、虫の体から出る音なのでしょう。レジリンを引き伸ばして固定していたところが外れて出るのかもしれません。  今回、ジャンプの写真は撮れませんでした。何回かすごいジャンプを見せてもらったあと、家の外へ逃がしてやりました。