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2022年10月25日 (火)

北前船

朝日新聞の10/18の記事が気になりまして。

水中考古学、夢も発掘した18歳 一冊の本きっかけ、クラウドファンディングで資金集め
2022年10月18日 16時30分

 京都府北部の日本海に面した漁港で、海に眠る遺物を探す調査が行われた。1人の高校生が抱いた夢が、水中考古学の専門家らを巻き込んだプロジェクトに発展して実現した。江戸時代に船を係留するのに使ったとみられる設備など、貴重な発見があった。

 緑豊かな山に囲まれた京丹後市の旭漁港。9月下旬、台風14号が去り、天候が落ち着いた湾内に、ウェットスーツに身を包んだ調査メンバーが散らばった。ゴムボートで漁港がある湾を移動して地形を調べたり、水中に潜って遺物を探したりしていった。
・・・
 コロナ禍で8月に予定していた調査は延期になり、9月に実現した今回の調査も台風14号が直撃。期間の前半は海に入れなかったものの、海岸の岩場では、船を係留するための綱を通す穴が開いた「鼻ぐり岩」や、綱をかけられるように加工された「もやい岩」が約30個確認された。陸上でも、台風で打ち上げられた土砂に混じって江戸時代のものとみられる陶磁器の破片が見つかった。
・・・
 調査後に開かれた現地説明会兼オンライン報告会で佐々木さんは、「船をつなぎとめる設備がこれほどの密度で見つかるのは珍しい。古い文献にも記載があるが、江戸時代、大型の船と小型の船で荷物を積み替えていたと推測できる」と話した。今後、船から落ちた物などを探す潜水調査も考えているという。
・・・

地元の羽間さんという女子高校生も調査に参加していた、ということも記事では強調されていましたが、ここでは割愛。
引用した記事中の「佐々木さん」というのは、福岡県在住の水中考古学者、佐々木蘭貞(らんでぃ)さんという方です。

で、私が気にしたのは、京丹後市の旭漁港という日本海側の海中に、「大型の船と小型の船で荷物を積み替えていたと推測できる」遺跡が見つかったという点。

「日本海側は辺鄙なのに」という感じを受けませんか?

いえいえ。高校の日本史にも出てきたのではないかとも思いますが、中世から江戸時代の航路は日本海側が主流。
太平洋側の航路は、波も荒いし潮の流れがきついんですね。日本海側の方が穏やか。船だって今のような巨大な船じゃなし。
で、日本海側の航路は栄えていたのです。
(サーフィンは太平洋側が主でしょ。日本海側の波はいまいち。太平洋側は、長い距離を風に吹かれて波が来るので、吹送波が大きいのです。日本海側は吹かれる距離が短い。)

「北前航路」なんて有名なんだけどな。

↓日本海事広報協会
https://www.kaijipr.or.jp/mamejiten/fune/fune_3.html
北前船ってどんな船

 江戸時代には日本海や北海道の港から江戸や大坂(大阪)へ、米や魚などが船で運ばれていました。船は瀬戸内海をとおって大坂、江戸へ向かう西廻り航路か、津軽海峡をとおって江戸へ向かう東廻り航路を利用しましたが、西廻り航路を走る船を北前船と呼ぶようになりました。なぜ北前船と呼ぶのかについては、北廻り船がなまったという説、北前とは日本海の意味で日本海を走る船だからという説など、いくつかあります。
 18世紀のはじめごろになると、西廻り航路が東廻り航路にくらべてさかんに利用されるようになりました。というのは東廻り航路では太平洋側を北へ向かう黒潮の流れにさからって走らなければならないため、当時の船では航海がたいへんだったからです。また、西廻り航路のほうが荷物を安く運ぶことができたからでした。
・・・

↓このページの上から1/3位のところかな、良い図があります。
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-11.html

十三湖、能代、秋田、酒田・・・
主要な中継地点がわかります。
私は生まれたのは能代市ですが、1歳ちょいまでしかいなくて、それ以降は東京育ちです。
でも、親戚などが能代市や八峰町などに多いものですから、秋田県に親近感があります。
八峰町は青森に近くて、津軽弁に近い方言になじみがあるんですね(純粋津軽弁はチト無理ですが)。
そんなこんなで十三湖も知っている。今はあまり「栄えている」という状況でもないのですけど、江戸時代には北前船の港として栄えたのです。そんなことも知ってほしいな、と。

↓参考に。
https://aomori.uminohi.jp/report/noheji-kitamae/
海と日本PROJECT in 青森県
“誇り”は海の向こうからやってきた!―野辺地町と北前船―

京丹後市には御縁はないのですけど、日本海側の航路は重要なものとして栄えていたのだ、ということを知っていただきたいな、とこの記事になりました。

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