今日までそして明日から
朝日新聞の読者投稿欄「声」に、吉田拓路さんに関する投稿が載りました。
「声」拓郎、まだまだ人生を語らないで
2022年10月18日 5時00分
「人間なんて」の絶叫を聞かれたのが高校生の時だった、という方です。
私はもう大学生だったな。
さらに「今日までそして明日から」への言及もありました。
懐かしいな、大好きな歌です。
↓こんな歌です。(昔はもっと叩きつけるような歌い方だったような気もしますが)
「吉田拓郎 今日までそして明日から」
https://www.youtube.com/watch?v=rh76yCwMy7s
from 「'90 日本武道館コンサート」
弾き語りversion.
この歌のリリースは1971年だったそうで。私はもう23歳。
東大闘争の後でした。一応、大学そのものは通常に戻ったのですが、普通には3月卒業なのに、6月に卒業させるという話になりまして。私はへそを曲げた。ちゃんとした時間をかけて学んでいないのに、卒業させられるのは嫌だ、と、個人で卒業拒否をしました。後は卒研さえやれば卒業単位は満たされるというところで、単位取得をやめて留年したんです。理学部化学科です。
その最中ですかね、この歌がリリースされたのは。
農学部へ行って生化学で分子生物学的な講義を聞いたり、理学部動物学科へ行って、単位にならなくていいからゼミに参加させてください、とお願いしたら、歓迎されましたっけね。視覚の生理学についての英語の本を読みました。おかげで視覚の生化学に詳しくなってしまった。いろいろさまよい歩いていたころです。ひょっとして本川達雄さんとすれ違っていたのかも。
そんな宙ぶらりんな私には、この歌、心に沁みましたねぇ。
教師になろうかな、という感覚は結構根強かったのですが、化学科を出て化学教師になるということに、なんとなくすっきりしなくて。科学史・科学基礎論の大学院へ。多士済々でね。化学科出身の私、物理学科や数学科出身の人もいまして。なんだかすごい2年間でした。バビロニアの楔形文字で書かれた数学を学んだり、変体仮名の古文書を読んだり、ラテン語の論文を読んだり、まあものすごかったな、ハードでしたが面白かった。
そして教師になったわけですが。
その時々に出会った経験は、全部、教師としての基盤になったと考えています。
★教師として
私の信条は「人事を尽くして 出たとこ勝負」なのです。
授業というのは、教師一人で創れるものじゃない。生徒の反応があっての授業。教師と生徒が共同で創出するものなのです。
よく、教師なんて毎年同じことを教えるんだから楽なもんだ、という感覚が語られます。
それはない。教えるべき知識は確かに教師側に豊富にありますけどね。
「毎年違う生徒と授業をやるんだから、同じ授業なんてできるわけがない。」と生徒にも語りかけましたっけね。
授業に臨むに際して、その時点で考えられることは考えつくす、そして教室では生徒との切り結び合いですよ。出たとこ勝負。
何をを見ても「教材」にみえる、という「眼」になりました。そして毎年新たな教材を身に備えて授業に出る。
楽しかったですよ。
出会いによって、どんどん変わる私。自分が変わっていくことを恐れず、楽しむ。
それが「私の生き方」なんです。拓郎の歌が身に沁みます。
★夢を持て
この言葉が嫌いです。
夢を持て、その夢の実現に邁進せよ。もし夢が実現しなかったら、それはお前のせいだ。
一つの道を究める。精進する。こういうの日本人は好きですね。
それと新自由主義的な「自己責任論」が一緒になってしまう。
「夢を持て。夢は必ずかなう」なんて噓なんだよ、と私は生徒に言い続けました。
「夢を持つことはいいことだ。でもそれにこだわることはない。出会いを大事にして、選択を大事にして生きていけばいい。人生をそれなりに生きてから振り返ると、『ああ、あの夢が自分の人生の軸だったんだな』となるんだよ」と語り聞かせました。
「夢を持て。夢は必ずかなう」というのは薄っぺらな言葉です。
どこでどう変わろうといい、逃げずに引き受ければいいのです。
「どこでどう変わってしまうか。そうですわからないまま生きていく、明日からのそんな私です」
とね。
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