方言周圏論がらみで
朝日新聞の読者投稿欄「声」の2021/9/11に
(声)続・名前の物語 「とぜんなか」時に来てほしい
という投稿が載りました。
「熊本の方言『とぜんなか』」の話。「人がいなくなって寂しい時に使う」とのことで、由来は
「とぜんなかのとぜんは、漢字で書くと徒然(つれづれ)です。古文の授業で徒然草を学んだ時に先生が教えてくれました。」とありました。
この投稿をうけて2021/10/7の声欄に投稿があって
(声)岩手で聞いた「とじぇんこだ」
私の故郷は岩手県の内陸部。中学の国語の先生は県南出身だった。「徒然草(つれづれぐさ)」の授業で、先生の地域では、暇なことや手持ち無沙汰を「とじぇんこだ」(徒然〈とぜん〉こだ)と言うと知った。
熊本には「とぜんなか」(徒然なか)という方言があるとの投稿(9月11日)を読み、この出来事を思い出した。「徒然」が日本の北と南で共有されていたとは新鮮な驚きだった。
・・・「なじょしても行かねば」などと、「なじょしても」の表現をよく使う。「なんとしてでも」という意味だ。平安時代に生まれたとされる「竹取物語」や「枕草子」には、「なでふ」(なじょう)という言葉が登場する。
話者のぬくもりが息づく方言に、時空を超えたロマンを感じている。
ここに「なじょしても」という言葉の話がありますが、私の記憶にも「なじょして」という言葉があって、ちょっと意味が違うかもという感じなのです。
美空ひばりさんの「ひばりの佐渡情話」は、1962年10月5日の発売だそうでして、私14歳、中学生だったんですね。もっと古い歌かと思った。この歌の中に「島の娘は なじょして泣いた」というところがあるのです。
この場合は「なぜ」「どうして」という意味で使われていますね。
なじょう ‥デフ
(ナン(何)ジョウの転)
①(連体)何という。どういう。いかなる。宇津保物語[俊蔭]「―業をもえせず」
②(副)(下に反語を伴って)なんとして。どうして。いかで。なんじょう。なじょに。源氏物語[椎本]「今更に―さることか侍るべき」
広辞苑第六版より引用
★今度は短歌。
2021/10/10の朝日歌壇です。
高野公彦選
「吾(わ)」とか「汝(な)」が普通に使われている津軽万葉の時代(とき)今も息づく:(五所川原市)戸沢大二郎
こういう歌が載りました。
さらに、朝日歌壇2021/10/17 にも同じ方の歌で
馬場あき子選
「手良乎(てらこ)」とう『色葉字類抄(いろはじるいしょう)』にもある言葉今も津軽の地には生き延ぶ:(五所川原市)戸沢大二郎
第三首の『色葉字類抄』は平安後期、橘忠兼編による漢字表記辞書。手良乎は蝶(ちょう)のこと。津軽に今も残る呼び名なのだ。
なんだか、9/11の「とぜんなか」の反響が響いている感じがしますね。
★今回のタイトルの「方言周圏説」というのは↓
https://kotobank.jp/word/%E6%96%B9%E8%A8%80%E5%91%A8%E5%9C%8F%E8%AB%96-131919
日本大百科全書(ニッポニカ)「方言周圏論」の解説
方言の地理的分布はほぼ同心円をなし、文化的中心地付近に新しい言い方が広まり、遠い所に古い言い方が残るという考え方。柳田国男(やなぎたくにお)が『蝸牛考(かぎゅうこう)』(1930)において、カタツムリをさすことばの全国分布をもとに唱えた。近畿とその周辺に分布するデンデンムシ系がいちばん新しい言い方で、その外側に分布するマイマイ系、カタツムリ系、ツブリ系は、この順に古い言い方だと考えた。これは「古語が方言に残る」という形で、江戸時代の学者も気づいていたことである。
・・・
このように、周圏論は、方言についてさえ万能ではない。しかし、ことば以外の種々の人文現象にも、中央の都市付近に新しい現象が分布することは多くみられ、周圏論は万能とはいえないが多方面に役だつ理論といえる。
こういう話なんですね。
柳田国男の「蝸牛考」は高校時代かな、国語の先生の授業中の余談のような形で知ったのではなかったかな。
先生の余談というのは大切なものでして、高校生くらいになると、教師の力を見抜きますので、授業の表面の奥の「奥行」はとても大事なものなのです。
{自慢話:ある時「俺の授業は脱線が多くて、スマンナ」といったら目の前の生徒が「先生の授業は脱線 命」といって笑ってました。嬉しかったな。}
↓Wiki:詳しい解説です。興味がありましたらどうぞ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E8%A8%80%E5%91%A8%E5%9C%8F%E8%AB%96#
方言周圏論
方言周圏論(ほうげんしゅうけんろん、英: center versus periphery)は、方言分布の解釈の原則仮説の一つ。方言周圏説(ほうげんしゅうけんせつ)とも呼ばれる。
方言の語や音などの要素が文化的中心地から同心円状に分布する場合、外側にあるより古い形から内側にあるより新しい形へ順次変化したと推定するもの。見方を変えると、一つの形は同心円の中心地から周辺に向かって伝播したとする。柳田國男が自著『蝸牛考』(刀江書院、1930年)において提唱し[注 1]、命名した。
(後略)
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