私はどちらにも全く関心がなくて、定時ニュースのなかでチラッと報道を見たくらい。基本的にほとんど見てません。
パラリンピックの開会式で「片翼の飛行機」が登場したそうですね。
その表現には抵抗を感じました。障がいがあるということを片翼で表現したのですか?
そうすると健常者は両翼の飛行機ですか?まさかね。
人はすべて片翼の飛行機なんだ。完全無欠な人なんかいないんだ。みんな同じ片翼飛行機で、自分にできることを全力でやるだけなんだ。
と、オリンピックでもパラリンピックでも片翼飛行機を登場させたのなら納得しますけど。
自分の可能性を自分で限定しちゃいけないよ。自分には何ができて何ができないか、探り続けることが人生なんですよ。
その努力を続けている人は、すべてが金メダルでしょ。何にも差なんかないんだから。
その点において、障がい者だ健常者だなんていう違いはどこにもないはずなんですけどね。
そんなことを思うんですよ、私って人は。
もう一つ。
学校連携観戦というのをやろうとしていましたね。
パラの選手の活躍を観戦して、感動して、多様性だ共生だということへの教育効果があると考えたようですね。
新聞記事では
都教委によると、参加者からは「障害を乗り越えてパラの舞台で活躍する姿に感動した」「ボランティアやコーチを見て、支え合う大切さを感じた」「人生に一度だと思う東京でのパラリンピックを観戦できてよかった」などの感想が寄せられた。担当者は「共助の意識につながる感想を持ってくれた」と手応えを語る。
「乗り越えて」なんていないんだってば。できることをする、それだけでしょ。誰だって。
嫌になりますよ、私も障がい者なのでしてね。障がいを乗り超えて生きてきた訳じゃないんです。
自分にできることをしてきただけなんです。あ~あ。感動のバーゲンセールなんかしないでほしいよな。
★こん記事もありました↓
パラ学校観戦、車いす少年はつぶやく 「障害者と交流?僕はふれあい動物園じゃない」(朝日新聞デジタル 2021年9月7日 16時30分)
新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、その是非が議論になった東京パラリンピックの「学校連携観戦」。車いすに乗っている16歳の少年は、別の視点からツイッターで疑問を投げかけた。「誰と交流するかは自分で決めるし、僕は触れ合い移動動物園じゃない」。当事者として、どんな思いを抱いているのだろう。
■疑問を投稿
兵庫県在住のミウラタケヒロさんは、生まれつき心臓の病気があり、車いすに乗っている。特別支援学校小学部から不登校になり、中学部を中退した自称「フリーランスのニート」だが、昨年はクラウドファンディングで資金を募り、作家の乙武洋匡さんらとの対談をまとめた「TKマガジン」を出版したほか、自らの障害についても講演している。
・・・
一方で、地域の小中学校の生徒と交流する制度があり、その小学校の校長先生からこう言われたという。「君がうちの生徒と交流してくれたら、学ぶことがたくさんあるんだよ。触れ合いを大切にしたいのでぜひまた来てください」
■自分は教材?
自分は教材なのか。まるで、「触れ合い移動動物園」みたいじゃないか――。
障害がある子どもの多くは特別支援学校に通い、地域の小学校に通う子どもたちと交わることはほとんどない。「話す機会が必要と感じるなら、なぜ分けた場所で教育するのか。大人の都合で分断しておいて、話す機会が必要といわれても」
交流は、特別支援学校の生徒が保護者に付き添われて地域の学校に出向き、授業に参加するというパターンだ。母親のユウさんも「お互いが見ている景色を知る制度になっていない。地域の学校の生徒が特別支援学校を訪れることがあってもいいのに」と言う。
タケヒロさんは「学校連携観戦のようにみんなで参加するようなイベントは、もうやめたらいいのに」と話す。「関心がある人だけが参加する形でもいいんじゃない? そもそも、障害がある人と交流したほうがいいんだったら、最初から社会をわけなければいいんだから」
・・・
そうだよな。「最初から社会をわけなければいい」のですよ。わけておいて、パラリンピックで感動させるなんて、話が逆ですよね。
★今回、パラリンピックの間、私がぶつぶつ呟き続けたことがあります。
パラリンピックで感動させ理解を深めるなんてことよりもっといいことがあるのに。全国の小中学校に障がい者教員を配置すればいいのですよ。と。
子どもにとって「先生」というものは親以外で接する一番身近で信頼を寄せる対象です。
その「先生」が障がい者だったらどうですか?
一人の先生が直接接する生徒数は少ないでしょう。でも、学校にそういう先生がいるということは自ずとみんなが知ることになるのだし、その先生を囲む他の先生方の協力や接し方、そういうことは、特に企画して「ふれあいの機会」なんか設けなくても伝わるんです。そして生徒の生き方の中に沁み込むんです。
いかがでしょう。素晴らしいと思いませんか。
↓退職時に書いた文章の一部です。
私は教師になって以来必ず年度当初の1時間、生徒に自分の障害の話、バリアフリーの意味などについて話をします。これは私の基本的な実践です。「君たちは今ここで僕と出会ってしまった。だから次に障害者と出会うとき、障害者というものを全く知らずにきた人たちとは、君たちは絶対に違っていると思う。僕が一生教師をしていたら何千人という生徒と出会うことになる。それが目的で僕は教師になったんだよ。その生き方に君たちを今巻き込んでしまった。どうか友人として一緒に歩んでほしい」と、必ず告げてきました。
生徒から教えられる幸せをかみしめています。私の教師人生は、豊かな障害者達や思いやり深い生徒に、初めから恵まれています。また、私の思いを真剣に受け止めてくれた同僚達がいつも支え続けてくれました。私と出会ったことによる「生き方の変化を検証する」というようなことはしませんでした。私はただひたすらに「願いつつ、障害者教師人生を走り抜け」てきました。すべての学校に障害者教員が配置されたら、そこに起こる障害者教員と、児童・生徒と、健常者教員との相互作用の中に、心を豊かに、いのちを大切にする教育の芽が自然に芽吹くのではないかと夢見ています。
ね、「すべての学校に障害者教員が配置されたら」。昔からの私の願いなのです。
★一時、私も接触があったのですが、「『障碍』を持つ教師と共に・連絡協議会」 という会がありました。
組織嫌いという私の性格で、ほとんどコンタクトをとらないうちに、連絡はなくなりました。現在の状況は知りません。
↓検索したらいくつかヒットしました。視覚障がい者の先生の授業方法なども描かれています。
http://kurikawaosamu.life.coocan.jp/tuushin0912.html
差無生・障教連通信 0912
2009年12月21日
あらゆる差別を無くし生きる!
「差無生」運動推進協議会
「障碍」を持つ教師と共に・連絡協議会
http://kurikawaosamu.life.coocan.jp/introduction.html
障教連 会の紹介
「障碍」を持つ者が教師として働く権利を保障し
ノーマライゼーションを教育現場から実現しよう!
「ノーマライゼーション」というと生徒の側の話ばかりなのですが、教師だって同じでしょ。
障がい者と健常者を分けずに一緒に仕事すればいいだけの話。
障がい者が教壇に立つ、いえ、「立って」なくていいですね。車いすで授業やったって一向にかまわない。
生徒も教師もどちらにも差別なく。
いいと思いませんか?
★参考までに↓私がいかに頑固者かがお分かりいただけます。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-a5a0.html
2014年3月27日 (木) パラリンピック
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-56bea7.html
2020年1月14日 (火) 自らをして毒虫とせよ
↑50年以上前の文章です。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-295e24.html
2019年12月 9日 (月) 選択
↑上の記事でリンクした「自己紹介」という文書に再度リンクします。ちょっと長い文章ですが、お読み頂けたら幸いです。私の原点です。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/files/jikoshoukai.txt
↓去年、こんなことも書きましたっけ。パラリンピックと合わせて考えてみてください。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-cdf780.html
2020年5月 7日 (木) 唯一無二な人
そもそも、みんなそれぞれが唯一無二でしかありえないじゃないですか。
私は孤立も孤独も好きでしてね。人間好きの人間関係嫌い、で生きてきたんですから。
競うことはない、つながることもない。独り、自分の歩幅で、とぼとぼ歩けばいいのです。どこかにつきますよ、必ず。
「That's life.」「C'est la vie.」ですよ。
★パラ水泳のある選手の方が、自分と同じ障害の人がいないので、自分で自分の泳ぎを作っていくしかない、と話していました。それでも、「クラス分け」という制度の中で、ある集団に区分されて、そこで「競う」のですね。
私にはわからない。唯一無二の人が、いったい誰と競うんですか?
せっかく障害者という「競争原理」から身を離すことのできる存在になりながら、それでも競うんですか。
よくわかりません。
以前の文章、「パラリンピックは嫌いです」にリンクしますので、関心がおありでしたら読んでみてください。
古いものですが、基本的な考え方は変わっていません。
上の記事の終わりで、「パラリンピックは嫌いです」という文章にリンクしましたが、ここからもリンクしておきます。ぜひどうぞ。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/files/paralympic.txt