立花隆さんを偲んで:1
いえ、誠に申し訳ないことに、私は立花さんの著作を全然読んでません。もちろんお名前はよく知っています。
先日亡くなられて、生前の逸話を知り、心揺さぶられました。色々な想いが交錯し、書きたいことはいっぱいあるのですが、文章としてまとまりません。中途半端なまま「感想文」のようなものを掲載します。
↓新聞から
ジャーナリスト・立花隆さん死去(朝日新聞デジタル 2021年6月23日 16時30分)
「田中角栄研究」などの調査報道や科学の最先端に迫るノンフィクション作品で知られる評論家でジャーナリストの立花隆(たちばなたかし)(本名橘隆志〈たちばな・たかし〉)さんが4月30日、急性冠症候群のため死去していたことが分かった。80歳だった。葬儀は近親者で営んだ。
いろいろなメディアが一斉に報道しましたが、NHKの特集で耳に挟んだ言葉が突き刺さりました。
一つは「コンポスト葬」、もう一つは「勉強屋」
★先ず「コンポスト葬」から。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210623/k10013099321000.html
“知の巨人” 立花隆さん 問い続けた「人間とは何か」
2021年6月23日 15時30分
・・・
去年刊行された著書の中で、自身の死後の希望を書き残しています。「死んだ後については、葬式にも墓にもまったく関心がありません。どちらも無いならないで構いません。
・・・
昔、伊藤栄樹という(中略)有名な検事総長が『人は死ねばゴミになる』という本を書きましたが、その通りだと思います。もっといいのは「コンポスト葬」です。
・・・
そうすれば、微生物に分解されるかして、自然の物質循環の大きな環の中に入っていきます。海に遺灰を撒く散骨もありますが、僕は泳げないから海より陸のほうがいい。コンポスト葬も法的に難点があるので、妥協点としては樹木葬(墓をつくらず遺骨を埋葬し樹木を墓標とする自然葬)あたりがいいかなと思っています。生命の大いなる環の中に入っていく感じがいいじゃないですか」(『知の旅は終わらない』より)
これ、私が常々思っていることと全く同じ。
生命というものは38億年もにわたって、営々と続いてきたものです。
初期の時代にはいろいろあったと思いますが、ある時、現在の生物たちの祖先にあたる細胞が確立して以来、ずっとつながっているのです。歴史の途中で突然出現したりはしていません。
私は38億年の生命の流れの歴史の中にたまたま個体として出現したものです。
死んだら、また生命の流れに還るだけ。それが幸せというものでしょう。生命資源として流れ続けるか、はたまた何かの生物の個体として出現するものの一部になるか、わかりません。それでいいのです。
私の墓標はこの地球。私を墓石の下などに閉じ込めないでください。
死んだらさすがに「コンポスト」はまずいでしょうから、火葬して灰は海にまいてもらうのがいいな。
火葬によって気体化する成分は空気中に散じ、他の生物たちの資源となり、散骨によってカルシウムなどの固形成分は海へ還る。
そう想像すると、気持ちがのびやかになって、嬉しいじゃないですか。
私の母は散骨を希望しました。一部でいいから海へ返しておくれ、とね。山はいやだよ、蛇やトカゲがいるもの。と。
希望通りにしました。
母は爬虫類が苦手でした。幼いころから海で遊んだ人でカッパとも呼ばれたとか。泳法がどうのというのではなく、絶対溺れない、という達人でしたね。海へ還してあげられて、心安らぎます。
私自身は生命誕生の領域である海へ還りたいと思います。
↓参考までに
https://www.mugendai-web.jp/archives/10861
38億年つづく生命の歴史のなかで――中村桂子が語る、テクノロジーと人間
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