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2020年12月31日 (木)

大晦日に 贈る言葉

今朝、いつも通りの朝を過ごしていて、Eテレの「テレビ体操」をするべく、チャンネルを切り替えたところ、ベニシアさんの「猫のしっぽ カエルの手」の再放送の終わりあたりを見ました。その最後のところで、

エッセイ
野の花

私の目に触れる植物は どれも独特の美しさと役割をもってずっと昔からこの地に自生しています
世界中どこでも そこに自生する土着の植物がその土地の野生生物の暮らしを支えています
植物が昆虫を育み 昆虫が鳥類や動物の糧となるのです
私たちも 身の回りの植物にもっと心をとめて大切にできたなら
自然界に存在する命の輪のおかげで すべての生き物が仲良く共存できていると気づくでしょう
ふと イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクが書いた美しい詩の一節が心に浮かびました。

一粒の砂にも世界が
一輪の野の花にも天国がある
きみの手のひらには無限があり
ひとときのうちに永遠がある

こんな言葉を聞きました。ウィリアム・ブレイクからの素敵な引用。
佳い言葉を聴くのは歓びです。

↓原文でどうぞ。長い詩の冒頭部分です。
「無垢の予兆」
Auguries of Innocence : William Blake

  To see a World in a grain of sand,
  And a Heaven in a wild flower,
  Hold Infinity in the palm of your hand,
  And Eternity in an hour.

★大学の教養学部時代の英語の講義でウィリアム・ブレイクの詩をたくさん読みました。
当時の私は知らない詩人でしたし、現在でも日本ではあまり知られていない詩人ですね。
いや、すごいものを読んでしまった、というのが実感。触れてしまったら抜け出せないような「魔力」のようなものを持った詩人です。「幻視者」(Visionary)とも呼ばれたとか。「Visionary」という言葉を知ったのもこの講義で。

たとえ話:草原の地平線でライオンがあくびをしているのが見えるような視力の持ち主が、遥か彼方に見える光景を語ってくれても、視力が0.1しかないような人間には、そんなものは見えないし存在しないので、彼は幻を見いているに違いない、としか思えないことでしょう。
Visionary と呼ばれる人の言葉は、実際には存在しない「幻」のようでもあり「予言」のようでもあると凡人には思えるが、Visionary には実際にそれが見えているのだよ、と、先生の教え。精神の視力が違うのだ、と。
ブレイクが「見た、視た」ものを凡人の私共が味わい尽くすのは無理かもしれません。でも、触れることは出来るのです。
ブレイクはまたものすごい「画家」でもあるのでして、詩集の挿画は自分の絵なんです。とてつもない絵なんですよ。

↓年の終わりに、私の大好きな詩を一つ、お贈りします。

無垢の歌 Songs of Innocence

Infant Joy
  "I have no name:
  I am but two days old."
  What shall I call thee:'
  "I happy am,
  Joy is my name."
  Sweet joy befall thee!

  Pretty joy!
  Sweet joy, but two days old.
  Sweet joy I call thee:
  Thou dost smile,
  I sing the while,
  Sweet joy befall thee!

"I happy am, Joy is my name." これに痺れましたね。50年以上痺れっぱなしです。

 

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