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2020年5月21日 (木)

蛭子

前の記事で古事記が出まして、そのからみもあって、蛭子の話を書きたくなりました。

★今年の2月でした。オリンピックの聖火リレーに関する朝日新聞の連載記事に「おっ」と思ったのです。

(聖火がまちに:23)山口 「箱車」と共に、楽しんで生きる姿見せたい TOKYO2020(朝日新聞デジタル 2020年2月20日)

 電動の車輪が付いた木箱に体をはめ込むように収め、わずかに動く左手でレバーを操作する。旧産炭地・山口県宇部市の米原ろしゅうさん(86)は「箱車(はこぐるま)」と呼ぶ手作りの車いすに乗り、聖火リレーに臨む。
 生後3カ月で脊髄(せきずい)性小児まひ(ポリオ)になり、手足がまひ。座ることや寝返りができない重い障害を抱える。戦時中だった子どものころは学校側に受け入れ態勢が整っておらず、読み書きは独学で覚えた。
 37歳の時、弟に箱車を作ってもらい、活動範囲が広がった。介助者がいなくても外出できるようになり、障害者が暮らしやすい環境整備を行政にかけ合うなど、積極的に行動するようになった。
 自分には関係のないイベント――。前回の東京五輪はそう思った。その後、バリアフリーの意識が広がり、障害者を取り巻く環境は変わった。だが、多くの重度障害者は自立した生活を送ることが難しく、課題はあると感じている。
 「自分が挑戦することで、重度障害者が楽しんで生きている姿を見せたい」
 トーチを持つことはできない。それでも、箱車に固定して走ることはできる。

ポリオの後遺症で重い障害を抱える方です。そして、「ろしゅう」を名乗っておられる。
私の頭には「蘆舟」という漢字が浮かぶ。古事記に出てくる「いざなぎのみこと」と「いざなみのみこと」の最初の子の話を思い出しました。体がふにゃふにゃして歩けず、蘆の舟にのせて流した、という話。

ひる‐こ【蛭子】
日本神話で、伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神の間に最初に生まれた子。3歳になっても脚が立たず、流し捨てられたと伝える。中世以後、これを恵比須えびすとして尊崇。ひるのこ。古事記[上]「子みこ―を生みたまひき」
広辞苑第六版より引用

この蛭子というのは、脳性麻痺者のことではないか、と言われています。
米原さんは、古事記の記述をご存知で、ご自分を「蛭子」になぞらえ、蘆の舟にのせられた身だよ、と名乗っておられるのではないかと拝察します。

https://roshu.exblog.jp/2604365/
★ 米原ろしゅう ★ 箱車面白人生

↑ここで米原さんは「生後3か月で高熱のため脳性小児麻痺となり、一度も歩く感覚を味わっていない。」と書いておられます。
脳性麻痺というと、出産時の低酸素脳症などが多いとも聞きますが、ポリオの高熱で脳障害を起こされたのでしょうね。
私は満1歳直前にポリオに罹患しましたので、私も「一度も歩く感覚を味わって」いません。
左脚が不自由になり、右足一本だからと「一本足のかかし」の神「崩彦」を名乗ったわけですが、米原さんは、蘆舟にのせられて流された蛭子にご自分をなぞらえたのでしょう。

↓参考
https://www.hmv.co.jp/artist_%E7%B1%B3%E5%8E%9F%E3%82%8D%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%86_200000000642605/biography/
米原ろしゅう プロフィール
昭和8年7月17日、山口県阿武郡阿武町奈古にて出生。生後3か月で高熱のため脳性小児麻痺となり、一度も歩く感覚を味わっていない。両親は、社会から隔離しないで世間の人の目に触れさせてふつうに育てる。それが今日の地域で生きる基本となっている。12歳で終戦を迎える。戦争の悲惨さを身をもって体験する。その当時の障害者は就学案内すら受け取れず、読み書きは独学で取得し、本をいろいろ読み知識を取り込む。20歳で将来のことで悩み続ける。株式投資について8年がかりで学び、30歳で株式投資コンサルタントを始める。40歳でタバコ販売許可を苦難のすえ取り、9年間地域の人たちとコミュニケーションを取りながら生活し、その経験が現在の地域で生きる基盤となっている。65年間介護してくれていた母が88歳で亡くなったが、現在もホームヘルパーの1日4回の支援で在宅生活を続けている。重度の身体障害をもった自分だからできることを見つけて、バリアフリーの街づくりなどの障害者運動や障害者のピアカウンセリングをしている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『箱車面白人生 障害者プロとして生き抜いた70年』より

↓こういう公的なお仕事をなさっています。
http://www.kaigokensaku.mhlw.go.jp/35/index.php?action_kouhyou_detail_001_kihon=true&JigyosyoCd=3570201636-00&ServiceCd=110
2020年01月20日15:00 公表
ろしゅうケアセンター集いの家

↓三重県の文書です。
http://www.pref.mie.lg.jp/KUSARI/HP/kusanomi/50/kinenshi/kirokusyuu/hiruko.htm

 古事記などにある「蛭子伝説」によれば、日本最古の神とされる伊邪那岐命、伊邪那美命(いざなぎのみこと、いざなみのみこと)夫妻は、初めての子が生まれつき体が異常に柔らかかったので、蛭のような子「ひるこ」と名付けました。しかし、3歳になっても歩けなかったことから、葦の舟で海に流しまったそうです(神様でもひどいことをするものですが、現在なら児童相談所が介入しているでしょうね)。
  国学者で小児科医でもあった本居宣長は、その症状から「ひるこ」を脳性麻痺か筋萎縮症の障害児と診断しています。
  しかしその後「ひるこ」は、漁民に救われ、のちに七福神の仲間入りをし、大黒様とのコンビで有名な「ゑびす様」としてあがめられました。左図のように大黒様は立っていますが、ゑびす様はいつも座っている姿しか描かれていないようです。
 「ひるこ」は、障害をもちながらも見事な復活を遂げたことから、「リハビリテーションの祖」とも呼ばれています。
          (参考:花田春兆著「日本の障害者」など)。
 神話でもあり、真偽のほどは分かりかねますが、古代における障害者観の一端を垣間見ることができるようです。
 ちなみに、伊邪那岐命、伊邪那美命の二番目の子は、淡島(あわしま)と呼ばれていましたが、知的障害を伴っていたとも伝えられています。そして、三番目の子が、天照大神(あまてらすおおみかみ)で、神明神社の総本社である三重県の伊勢神宮に祀られています。

私は花田さんの文章に接したことがあるような気がします、はっきりした記憶はないのですが、多分ね。
で、「蛭子」が「ゑびす」になったという話はごく最近知った話なのです。で、漫画家の「蛭子」さんを「えびす」さんとお読みすることに納得がいったのでした。

えびす【恵比須・恵比寿・夷・戎・蛭子】
(エビス(夷)と同源)
七福神の一つ。もと兵庫県西宮神社の祭神蛭子命ひるこのみこと。海上・漁業の神、また商売繁昌の神として信仰される。風折烏帽子(かざおりえぼし)をかぶり、鯛を釣り上げる姿に描く。3歳まで足が立たなかったと伝えられ、歪んだ形や不正常なさまの形容に用い、また、福の神にあやかることを願って或る語に冠し用いたともいう。
広辞苑第六版より引用

長々しい独り言をお聞かせしました。

いろんなことがあるもんさ。と。

 

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