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2020年4月 1日 (水)

山月記

↓下の記事にコメントを頂きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2020/03/post-29970f.html
2020年3月17日 (火) 檸檬
「梶井基次郎と中島敦はほぼ全作品読みました。深く心に刻まれています。」

コメントは「中島敦、懐かしい名前が出てきてびっくりしました。高校の国語の教科書の、山月記、の作者でしたね。」

返信するつもりで、書きそびれていました。
そう「山月記」について思い出すことがあるのです。
私自身、初めてこの作品に接したのは高校生のころ。ごく普通に受け止めていました。
それから20年以上も経ってから。当時の勤務校で定期テストの国語の監督をしたとき。
そのテスト問題に山月記が使われていました。
で、それを読みながら、自分の中に起こっていた「変化」に気づいたのです。
山月記を素直に読めなくなっていました。

虎の生き方は高潔。人間は欲深く血まみれではないか。

こういう感覚なのです。
虎は生きるために必要な狩りをする。無駄な殺戮はしない。
人間は?
動物の肉を食べるために狩りをします。でも、狩人は無駄な殺生はしない。殺した動物に感謝する。動物を与えてくれた山の神様に感謝する。
現代の私たちは?
動物の誕生から死までを自分の目で見ることなく、殺すことは他人に任せて、肉だけをおいしく食べる。
無駄な廃棄もする。
狩猟をスポーツのように楽しむ人もいる。自分が必要とする以上の命を奪う。虎を銃で倒せば、それが自分の力であるかのように傲慢尊大な気分になる。
果ては、同種のヒト同士の殺し合いさえ絶やすことができない。
「欲」というものは恐ろしい。

虎と人間と、どちらが高潔な生き物なんだろう。虎だな。と。
試験監督をしながら考えていたのです。

↓青空文庫から

山月記
・・・
しかし、その時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。再び自分の中の人間が目を覚ました時、自分の口は兎の血に塗れ、あたりには兎の毛が散らばっていた。これが虎としての最初の経験であった。それ以来今までにどんな所行をし続けて来たか、それは到底語るに忍びない。ただ、一日の中に必ず数時間は、人間の心が還って来る。そういう時には、曾ての日と同じく、人語も操れれば、複雑な思考にも堪え得るし、経書の章句を誦んずることも出来る。その人間の心で、虎としての己の残虐な行のあとを見、己の運命をふりかえる時が、最も情なく、恐しく、憤ろしい。
・・・

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