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2020年3月19日 (木)

焚 50年目の真実

★『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』という映画が明20日公開なのだそうですね。
TVでCMが流れています。
そこでまあ私も「50年目の真実」というのをお話しようかな、と思ったのです。

すでに↓下の過去記事で、私も焚祭グループの一員だったことは書きました。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/post-fbe0.html
2009年12月22日 (火)「市ヶ谷駅」

2009.12.21付 朝日歌壇より
憂国忌知る人も減り今日もまた市ヶ谷駅は昨日と同じ:(東京都)佐藤次郎

私の世代、団塊の世代あたりは憂国忌は知っているでしょう。まだ「減った」と言うほどではないのではないかなぁ。
1969年5月でしたか。東大全共闘と三島由紀夫の討論会というのがありました。
東大闘争が終焉に向かう鬱屈の中で、「焚祭」というスローガンを掲げたグループが企てたものでした。
何を隠そう、私もその焚祭グループの一員で。あの討論会の企画から実施まで関わったものです。私たちにとっては真剣ではあれ「お祭り騒ぎ」だったと認識しますが、三島にとっては別のものであったかもしれない。
三島の割腹自殺は激しいショックでした。

状況の閉塞感の中で、何かド派手なことをしたいと、なんとなく知り合いが知り合いを呼んで集まって「焚祭実行委員会」と名乗っていたのです。「委員」でも何でもありません、ただの自発的な集団。ジャズのライブ演奏会なんかもやったっけ。で、三島由紀夫とやり合ったらすごいだろうな、と企画を練りました。
「芥正彦」「木村修」という名前が新聞広告にも載っていましたが、一緒に企画の議論をした仲間です。木村氏はピー缶などをふかしていましたっけね。私はHOPEでしたが。
議論の流れを三島に乗っ取られないためにはどういうポイントが大事か。天皇制だ、一元論だ、二元論だ・・・いろいろ議論しましたっけね。私は三島についてはあまり関心がなくて、議論に加わる気はなく、会の運営の方に回りました。

★さて、では衝撃の真実・公開!

Hun
この「焚」という字。私が書いたものです。
脚立かなんか立てて下から上って書いたものではなく、上から上半身を乗り出して、逆さまになって書いた字です。ペンキのスプレー缶でね。もともとの悪筆の私が逆さになって書いたので、すごい字になっています。笑ってください。


900番教室は大学側が電源を切ってありました。でワタクシ、配電盤を開こうとしたら鍵がかかっている。鍵を壊すよりも簡単だと、配電盤そのものを壁から外してみました。そうしたらヒューズが全部抜いてあったのです。さすが。
近辺の配電盤から抜いてきたヒューズを挿し、不足のところは、過熱しないように太い銅線でつないで、900番教室の電源を復活させたのは何を隠そう私です。友人が、大丈夫かよ、といいましたが、私、火事にはならんさ、と。(今なら器物損壊ですね。時効だけど。)

レヴィ=ストロースが言った「ブリコラージュ」かな。「必要な素材がなくても手近にあるもので間に合わせる能力」とか「あり合わせを集めて問題を解決する能力」というような意味で使われますが、私はどうも「間に合わせ」人間であるらしい。

ま、そのせいで、討論会は実行できたのです。教室の照明、マイク・アンプ・スピーカーなどの電源、出版社が討論を録音するために持ち込んだテープレコーダーなどの機材もちゃんと動きました。
おかげで、今、映画ができているのでしょう。
スゴイでしょ。

③ある時、今回の映画の題名と同じタイトルの書籍を、本屋で立ち読みしましたら、討論が始まる前、壇上で打ち合わせなどをしている学生の写真も載っていました。「これ俺じゃん」。私もカーディガンを羽織った姿で写っておりました。本は買いませんでしたが、ま、どこかに私が載っておりますよ。

★追加で

朝日新聞の「人生の贈りもの」という連載から。見田宗介さんのお話。(見田先生の講義も聴講しましたっけね)

(人生の贈りもの)わたしの半生 社会学者・見田宗介:5(2016年1月22日)
 ■全共闘の問いに共感、徹夜で激論
 ――1968年夏。東大でも全共闘(全学共闘会議)が結成されました。
 困ったことが起きたぞ、という気持ちでした。そのうち嵐が去るだろう、とも。甘かったですね。教員になって4年目でしたが、静かな学究生活は一変していきました。
 でも次第に、愉快だ、と感じるようになったのです。彼らの問題提起に、めざましいところがありましたから。
 ――どんな点ですか。
 米国資本主義かソ連型共産主義か、東か西か、保守か革新か。そういう二分法できた20世紀の冷戦的思考はダメなんだ――彼らの言葉で「反帝反スタ」ですが――という、近代社会全体への根源的な問いです。もう一つ、自分はどうなんだ?と絶えず問い返す自己追求の精神でした。
 僕自身は60年安保の世代ですが、10年後の全共闘の問いの方がはるかに刺激的で、深いと思った。
 ・・・
 ――「大学解体」も「自己否定」も、いまや揶揄(やゆ)的にしか語られませんね。
 そうですね。大半の学生の行動や議論は、ひどいものだった。丸山真男さんたちが悪く言ったのも、わかるんです。しかし非常に誠実な学生たちも、いた。
 ――誠実とは?
 真摯(しんし)であること。たとえば「東大粉砕」をもじった「東大焚祭」を主催して、三島由紀夫と伝説的な対決をした小阪修平(のちに評論家、故人)などは、古今の思想をよく学んで縦横に用い、独創的な議論を展開していた。芯は非常に真摯でした。彼のような何人かの真剣な学生たちと徹底した激論の日夜を過ごしたことは、今思うとほんとうに、僕にとって「人生の贈りもの」でした。
 ・・・

★もういっちょ。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2020/01/post-56bea7.html
2020年1月14日 (火) 自らをして毒虫とせよ
「自らをして毒虫とせよ」(自主講座 朝日ジャーナル 1970.9.27)
     報告者 和 崩彦

↑上の記事の文章中に
「われわれはまさに肉体としての存在であり、精神が肉体という箱から解放されることは決してない。われわれの精神は五体という肉によって規定されている。」
こういう部分があります。これは集会での三島の発言を引いたものです。
「精神は肉体からたったの1ミリも出ることはできない」というような言い回しだったかな。

★「50年目の真実」はいかがでしたか。爺さんの昔話。読み流し読み捨ててください。

 

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