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2019年12月31日 (火)

来たる年が皆さまにとって佳いお年でありますように

↓去年の大晦日の記事。まったくおんなじ気分、代わり映えしないなぁ。笑ってしまいます。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2018/12/post-ed05.html
2018年12月31日 (月) 佳いお年をお迎えください<>

一休禅師の

門松は冥土の旅の一里塚
めでたくもありめでたくもなし

という言葉、これが一休さん何歳の時のものかよく知りませんが、だんだん意味が明瞭になってきた感じがします。自分の感性が若い時とは変化してきているのが我ながら面白い。
いえ、私は「めでたい」と思っていますけど。

追い打ちをかけて、こんなパロディーが頭に浮いてきた。

お迎えは近い お迎えは近い
友よ この世の向こうには
友よ 輝くあの世がある

1968年かな、岡林信康の「友よ」が出たのは。ワタシ20歳ですね。なつかしい。その替え歌です。
我ながら笑ってしまった。大学闘争の中でずいぶん歌ったものです。あれからもう50年なんですね。

こういうのはどうですか?

昔々、あるところに・・・

一休さんは「門松は冥土の旅の一里塚」と呟いたとさ。
めでたしめでたし。
とっぴんぱらりのぷう。

「とっぴんぱらりのぷう」は秋田の言葉、昔話の結句です。私自身は聞いたことはなくって、民俗関係の本を読んでいて知り、母に「とっぴんぱらりのぷう」って知ってるか、と訊きましたら、「私が幼いころ私のおばあちゃんが語ってくれて、お終いはとっぴんぱらりのぷう、だったよ。」と。そういう世代でありました。

★さて、今年はもういっちょ追加しますか。
https://kobun.weblio.jp/content/%E3%82%81%E3%81%A7%E3%81%9F%E3%81%95%E3%82%82

学研全訳古語辞典

「目出度(めでた)さもちう位なりおらが春」

[出典]おらが春 俳文・一茶
[訳] (他人任せに世を送る老い先短い身には)正月を迎える、めでたさといってもいい加減なものだが、それもまた自分にふさわしいものではないか。
[鑑賞]『おらが春』の巻頭にあり、その書名もこの句に由来する。「ちう位」は、一茶の故郷の柏原(かしわばら)地方の方言でいい加減の意。「ちう」を「中」と解釈し、中程度とする説もある。季語は「おらが春」で、季は春。

秋田の方の方言でも似たような意味があったように思います。私は秋田弁の話者ではないので確かではありませんが。

今回も、習慣のままに暮れから正月を過ごしています。以前に比べて「平らな」時間になりました。
体力・気力ともがた落ちですよね。歳だぁ。

生命という大河の流れの中から、今、個人として生まれ来たってここにおります。
やがて時至れば、個人としての存在に終止符を打って、生命の大河へと還り去る。
これはめでたいことです。
将来・未来の生命たちへとつながっていくことができるのですから。
ゆったりと、生命の流れに身を任せましょう。

↓毎日新聞のコラム。面白いことを知りました。

余録
寝正月といえば…(毎日新聞2019年12月28日 東京朝刊)

 寝正月といえば、今は帰省や旅行もせずに家でごろごろするお正月だ。しかし昔は元日に戸口を閉めて、家業を休むことだった。大みそかの古い忌(い)み籠(こ)もりの習俗の名残(なごり)のようで、商家はみな元日は休業した▲「商家にては二日より出る。元日は戸を開かず」とは天保(てんぽう)年間の「東都歳事記」の記述である。商家の大みそかは徹夜で掛け取りの攻防があり、2日からの初売りの準備もあったから元日が寝正月になるのも成り行きだったのだろう
・・・(後略)

へぇ、そうだったんだ。
ふと思ったんですが。盆と正月の藪入りには、お店(たな)の主人は奉公人に小遣いを出したりしたんですよね。
一種のボーナスかな。年2回。
江戸時代は掛け売りが多かったのだそうですね。盆と暮れに、その取り立てがある。年越しのやりくりは大変だったでしょう。買った側も売った側も、必死。「夜逃げ」というのはこういうときに発生するものですね。

ま、かかしじいさんは、普通に正月に向かっています。夜逃げしません、ダイジョウブ。

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