今日は何の日?
タイマーで目覚ましラジオがかかりましたら、「今日は何の日」をやっていました(NHKの第一放送です)。
で、2011年のこと。日付変更線の東だったサモアが、12月29日に日付変更線の西側に移行したのだそうです。
結果として、この年、サモアでは12月30日が消滅し、29日の翌日が31日になり、そして世界で一番早く新年を迎える国になったのだそうです。
そんな話を聞いた覚えはありますが、全く忘れていました。カレンダーって全くの人為的なものなんですね。
島が移動したわけでもないのに、日付変更線をまたぐことができるなんて、なんだかなぁ。
地球上のどこでも、朝が来て昼が来て夜が来る。でも、どこかで区切りを付けないと「日付」という概念が破綻する。
で、人口の少ない太平洋に「日付変更線」を引いたんですよね。日付というものは人為的なものなのです。
宇宙から見たら国境なんて存在しない、というのはある程度有名ですが。
地球儀や地図で見る「経線・緯線」というものも存在しません。緯線はまあ、赤道から極への角度を切ったもので、ある程度の客観性を有しますけど。
経線は人為的に「始点」を決めて固定し、そこから角度を測った線です。世界史を背負った座標になります。
↓参考
https://imidas.jp/genre/detail/D-115-0043.html
時事用語事典
サモア独立国の日付変更線 [Samoa and the International Date Line] 2012/03 関根政美
日付変更線のすぐ東側に位置する南太平洋のサモア独立国が、2011年12月29日に日付変更線の西側の時間帯に移行し翌日を31日としたため、30日が丸1日飛ばされ、世界で最も早く元旦を迎える国となった。現在の主な貿易相手国のオーストラリアやニュージーランド、さらには中国などとの時間差を縮小するのが目的である。サモアはもともと日付変更線の西側に位置していたが、1892年、当時関係の強かったアメリカにそろえて東側へ移った。その結果、南方の隣国トンガとは24時間の時差があった。オーストラリアやニュージーランドとの時差を1~3時間に縮めることにより経済関係が密になると期待されている。
日付が跳んだといえば、日本もそんなことをやりました。明治時代に太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦をしたんでしたっけ。
↓参考
https://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter1/s2.html
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明治の改暦明治維新(1868)によって樹立された明治政府は、西洋の制度を導入して近代化を進めました。その中で、暦についても欧米との統一をはかり、明治5年(1872)11月、太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦を発表しました。これによって明治6年(1873)から、太陰太陽暦に替わり現在使われている太陽暦が採用されたのです。
準備期間がほとんどなく、本来ならば明治5年12月3日が、新しい暦では明治6年1月1日になってしまったので国内は混乱しましたが、福沢諭吉などの学者は合理的な太陽暦を支持し、普及させるための書物を著しています。
現在私たちが使っているカレンダーは太陽暦によるものですが、その中にも大寒、小寒など古来から太陰太陽暦で使われた季節を現わす言葉(『暦の中のことば』のコーナーを参照)が残っています。毎年毎年新しくなる暦ですが、人間の歴史と文化がその中に刻みこまれているといえるでしょう。
改暦ではないけれど、太陰太陽暦では「閏月」というのもありましたっけ。19年に7回の閏月を入れるんでしたね。ややこしやぁややこしや。
↓更に言えば、グレゴリオ暦自体がユリウス暦から改暦したんですよね、16世紀に。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E6%9A%A6
グレゴリオ暦
グレゴリオ暦(グレゴリオれき、羅: Calendarium Gregorianum、伊: Calendario gregoriano、英: Gregorian calendar)は、ローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じ、1582年10月15日(グレゴリオ暦)から行用されている暦法である。
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日本では1872年(ほぼ明治5年に当たる。)に採用され、明治5年12月2日(旧暦)の翌日を、明治6年1月1日(新暦)(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。
というわけで、新年を迎えるにあたって、のんびり悠然と参りましょう。あくせくすることはありません。
カレンダーも時計も
人間のものさし
生命あるものは
それぞれの時空をもっている
焦ることはない
自分の歩幅で歩めばいい
ALSの中林 基さんのことば