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2019年8月23日 (金)

違和感

NHKで「半世紀前の手紙 旧ソ連から米へ流れ着く SNSで送り主判明」というタイトルのニュースがありました。昨日、8月22日 です。
内容をかいつまむと

SNSの投稿がきっかけで、旧ソビエト時代に海に「投かん」した手紙が半世紀を経てアメリカに流れ着いたことを送り主の86歳のロシア人男性が知ることになり、ネット上では今の時代ならではの出来事と驚きを持って受け止められています。
 この手紙は緑色の瓶に入った状態で今月、アメリカ・アラスカ州西部の海岸に流れ着いているのを近くに住む男性が見つけました。
・・・
 その後、ロシアの国営テレビが追跡調査をしたところ、送り主は86歳のロシア人男性であると特定しました。この男性は旧ソビエト時代の1969年、船員として乗っていた船から手紙を瓶の中に入れて極東の海に投かんしたということです。
・・・

ガラス瓶に手紙を封入して流したら、思わぬところへ流れついたという、ある意味では時々ある話題の一つ、ではあります。
私が「違和感」を感じるのは、「投かん」という言葉。

とう‐かん【投函
郵便物をポストに入れること。また、書き記した用紙を投票箱・投書箱など定められた箱に入れること。「手紙を―する」


〔音〕カン
〔訓〕はこ
文書などを入れる箱。ふばこ。「投函・潜函・私書函」
広辞苑第六版より引用

投函はポストという「はこ(函)」に郵便物を入れることですよね。
船から目の前の広大な海に、手紙を入れたガラス瓶を「投函」するんですか?
私の語感では納得できないんです。
手紙を入れたガラス瓶を「海に流した」くらいが妥当な表現じゃないかなぁ。
「海に入れた」「海に投入した」でもいいか。
でも、やっぱり海は「函」じゃないよなぁ。

月のかぐや姫に届かないかな、金星のビーナスに届かないかな、と思いを込めて、地球の海という「ポスト」に手紙を「投函」した・・・、と、想像を逞しくしましょうか。

なんだかなぁ。言葉を商売道具にする方々は言語感覚をもっと磨き、研ぎ澄ましてほしいな、と思う次第です。
{かつて教師という言葉を道具とする仕事をしていましたので、ちょっと敏感かもしれません。}

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