休日、雨模様、ぼんやり過ごしています。
平成から令和へというので、世の中、大騒ぎですが、私は流れから身を退く性質。呆然としている、というのが今の状態かな。
令和という新元号そのものについての意見はないのですが。運転免許証の更新とか、住民票の申請とか、そういうシーンでしか私が元号を使うことはないでしょう。平成もそうだった。
ただね、新元号が発表になった時に、付随的に引っかかりを感じたことがありまして、元化学教師として。
★4月1日の朝日新聞夕刊から引用します。
{引用始}
「令和〈れいわ〉」 新元号、万葉集が典拠 5月1日施行(朝日新聞デジタル 2019年4月1日16時30分)
・・・
■「令和」(れいわ)の典拠
<出典>
『万葉集』巻五、梅花(うめのはな)の歌三十二首(うたさんじゅうにしゅ)并(あわ)せて序(じょ)
<引用文>
初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香
<書き下し文>
初春(しょしゅん)の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風(かぜ)和(やわら)ぎ、梅(うめ)は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす
<現代語訳(中西進著『万葉集』から)>
時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている。
{引用終}
★原文中には「美女」なんて書いてありませんよね。なんで「美女」なんですか?
美人だとかなんだとか、って少々下卑てませんか?顔の造作の問題じゃないと思うんだな。「心の美しさ」に関わるような形容詞の方が良くないですか。
私は語彙が少ないもので、あまり思いつきませんが。
「美しい人」とすればその「美しさ」には所作とか心延え(こころばえ)とかが入ると思う。
「気品ある」とか「麗しい」とか「ゆかしい」とか・・・。
「美人が化粧する」って、現代に引きつけ過ぎじゃないかと感じるのです。
★「白粉(おしろい)」が気になる。万葉集の時代の白粉の成分は何だろう?水銀白粉とか鉛白粉だったのではないかな。
どちらも毒性あり。鉛白粉の方がポピュラーだったろうと思います。塩基性炭酸鉛というのですが、製造法が簡便ですし、白粉としての伸びやのりが良いらしい。
でも、有毒であることに変わりはない。歌舞伎役者の鉛中毒は有名ですし、舞妓さんなんかもそうだったんじゃないかな。
禁止されたのは昭和に入ってからだったと思います。
そういう知識をバックグラウンドとして持つ身としては、「鏡の前に装う白粉」というのは、ぞっとしてしまって、なんだかなぁ、好ましい状況とは決して思えないんですよ。
★万葉の時代の鏡は青銅鏡のはず。稀少なものだったでしょう。女性が鏡の前で化粧するというのは、どうなんだろ、その時代、よほど身分の高い女性にしかできないことだったでしょう。
美人が鏡の前で白粉はたいている、という現代的なイメージでとらえると多分間違い。侍女が化粧をして差し上げるのではないですか?
歴史的なことを現代に引き付けて理解しようとすると、ちょっと違うんじゃない、という気分。
中西先生ゴメンナサイ。
★江戸名所図会に、江戸市中のいろんな仕事をする人の絵があったと思います。そこには鏡を研ぐ職人が描かれていました。
鏡の表面を研いで、水銀メッキをかけてくれるのです。こういう絵があることから、江戸時代にはかなり庶民層にも鏡が普及していたのかなとは思います。職人さんが食い扶持を稼げるくらいには普及していた。
でもね、万葉に時代には鏡は超高級品だったはずですね。
★香を焚きこめる、というのは万葉の時代にもあったのかな。でも、おそらく、よほどの貴族にしかできなったでしょうね。
★なんだかね、中西先生に逆らってばかりで申し訳ないのですが、素直には受け取れなかった私です。