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(政治季評)「皆は一人のために」 新時代デモに精神宿れ 豊永郁子
2018年2月17日05時00分
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その後、縁あって、個人主義的だが連帯好きというフランスの人々の間で暮らす機会を得た。彼らの日常に溶け込んでいるのが、マニフェスタシオン(日本語でいうデモ)だ。フランスでは大小さまざまなマニフェスタシオンが頻々と起こる。人々はこれに参加し、これを好んで話題にする。そもそもデモは、大義を広めるにも権力者の行動を変えるにも、効率的な手段ではない。しかしフランスの人々は、これを第一義的には、ある立場の個人(ともにデモに集う個人はもちろん、どこか遠くで何かを主張したり苦しんだりしている個人であったりもする)を、体を張って皆で守ろうとする実践として捉えているようだ。
時間や労力などのコスト、自己の立場を示すことのリスク、弾圧やテロなどの暴力にさらされる危険――こうした不利益を度外視して、他人を思って(他人に「連帯」して)参集する、それがマニフェスタシオンの醍醐味(だいごみ)のようだ。そして、これに参加すること、これを見ることで、人々は社会契約の存在を確認し続ける。
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個人主義というと、自分勝手と解釈しがちな日本の「濡れた感性」は嫌いです。べちょべちょは嫌いだ。
★ジョルジュ・ムスタキ Georges Moustaki の「私の孤独」 "Ma solitude"
Non, je ne suis jamais seul
Avec ma solitude
いや、私はけっしてひとりではない
私の孤独といっしょだから
すごい歌ですね。ぞくぞくする。
↓私が書いた過去記事です。ここにいろいろなリンクもありますので是非ご覧ください。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-b21f.html
2016年8月12日 (金) 私の孤独
選んだ孤独はよい孤独 (フランスの言い習わし)
え!「選んだ孤独はよい孤独」というような言い習わしがフランスにあったのか。
驚きました。そうだったのか。
そういう基盤がフランスにはあるんですね。知らなかった。
私は、人間好きの人間関係嫌い。群れるのは嫌だ、一人佇むのが好き。
{オリンピックなんか大っ嫌いだ}
人間関係を結ぶことが下手なんじゃないんです、嫌いなんです。
学ぶ側だった時の「同窓会」も、教える側だった時の「同じ職場の人間関係」も、全部捨ててきちゃった。
選んだ孤独と人生を送ります。
「選んだ孤独はよい孤独」
「私は孤独と一緒だから決して独りぼっちではない」
のです。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/ma_solitude.html
2008年1月24日 (木)「MA SOLITUDE」
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-83b0.html#comment-84677923
2013年11月21日 (木)「犀の角のようにただ独り歩め」
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-f336.html
2013年12月27日 (金)「孤独」
最初のリンク記事から
2008年1月24日 (木) MA SOLITUDE
少数にて常に少数にてありしかばひとつ心を保ち来にけり
土屋文明
2番目のリンク記事から
2013年11月21日 (木) 犀の角のようにただ独り歩め
「ブッダのことば スッタニパータ」中村 元 訳、岩波文庫 青301-1 から
40:仲間のなかにおれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。
この記事は、私の自己紹介記事の一部なのです。引用の引用になりますが
私が感じたことそのものですね。
どんなに親しい人とでも、一緒にいれば「巻き込まれる」。
私の場合は、歩行機能損傷という肉体的条件から出発して、生き方の問題へと変化していったのでした。
★最近は「つながっていなければならない」という強迫観念が横行しているようですね。
そういう話を聞くと、鬱陶しくってしかたない。
単独行は孤独ではないのです。
単独行は豊饒な営みなのです。
犀の角のようにただ独り歩め。
こんな具合で、へそ曲がり爺さんは「孤独な人」=「孤人」として生きたいし、逝きたいのです。
★↓つい先日の「折々のことば」です。
折々のことば:1031 鷲田清一
2018年2月24日05時00分
群れたり、慣れたり、頼ったりすると、迎合しなくてはなりません。力を抜いて心を空っぽにすることができなくなります。
(堀文子)
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だから、ほめられそうになれば逃げると、日本画家は言う。「誰かと一緒にいて感じるさびしさ」や「感性の違う人と過ごすつらさ」は、独りぼっちよりしんどいもの。つねにマニュアルなしの生き方を求め、70を前にイタリアにアトリエを構え、さらに中南米やヒマラヤを訪ね歩く。『99歳、ひとりを生きる。ケタ外れの好奇心で』から。
釈迦と同じことをおっしゃっています。すごい方ですね。この言葉を読んで嬉しくなった私です。
★案山子案雑記というかつての私のHPに、新年度冒頭の授業で、障害者としての自分を生徒に紹介する時に使ったプリントを掲載していました。このHPは閉鎖しましたので、今回、テキスト化してリンクします。よかったらお読みください。
「Self_introduction.txt」をダウンロード
★独立した弧人が、必要に応じて力を合わせるのは「連帯」。
批判力もなく居心地のよい集団に身を任せるのは「烏合の衆」「群衆」。
集団の中にいるとぬくぬくと心地よいのですよね。
懐疑的に批判的に立つ、ということは、あたかも寒風の中に立つようなものかもしれません。
「批判」という言葉を、私はネガティブに非難するという意味では使っていません。
自分の主体的な判断によって、対象をきちんと切り分け吟味し評価する、という意味あいで使っています。
その「評価」がネガティブになることもあるでしょう。ポジティブになることもあるでしょう。どちらにせよ、自分で考えることです。流されないように。
ひはん‐しゅぎ【批判主義】
(Kritizismus ドイツ)
①批判の精神をもって独断を排する思想態度。批評主義。
②人間の認識の可能性の条件、認識能力の超越論的吟味、すなわち認識批判を中心課題とする哲学上の立場。カントおよびカント学派の哲学。
広辞苑第六版より引用
textual críticism
1 《異本の校合によって古典の原文を確立する》本文[原文,原典]批評.
2 《作家の経歴・個性などにとらわれず作品そのものを分析・評価する》作品分析批評.
リーダーズ英和辞典第3版より引用
critic
►n
1 a 《文芸・美術などの》批評家,評論家,鑑定家;評者
・a drama critic
・a Biblical critic 聖書批評学者
・TEXTUAL CRITIC.
b 批判する人,酷評家,あら探し屋 (faultfinder).
2 《古》 批判,批評.
►a 批判的な.
[L<Gk (kritēs judge〈krinō to decide)]
リーダーズ英和辞典第3版より引用
★私はどうも「組織」というのが嫌いでしてね。組織には必ず自己保存性がある。そのために組織の構成員を拘束する。あるいは、何かの目的のために組織ができる、それはいい。でも、目的が終わってからも組織は自己保存を図る。解散しちゃえばいいのにね。
だから、弧人の連帯による「運動体」が好き。「運動」が終了したら、運動体は消える。それでいい。
私は、全共闘というのは、運動体だったと思っているんですよ。組織ではなく。だから、運動体は消えましたが、私は相変わらずの生き方を保っているのです。
安保関連法に関して運動していたシールズが一昨年ですか、解散しました。問題が完全に終わったわけではありませんが、一つの課題が終了したことで、運動を終了した。私は、そのことを「よし」とするものです。
次はまた次の運動体をつくればよい。