河津桜:1
今年の河津桜の状況は、2回書きました↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-5069.html
2018年1月26日 (金) 河津桜が咲き始めたみたい
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2018/01/post-dbd6.html
2018年1月29日 (月) 河津桜
そして27日。蕊がのぞいています。
咲いた!と言っちゃおうかな。
★引き続きの観察。
2018.1.30
これならもう、完全に開花しました、といえます。
この桜の木の幹です。
桜らしい樹皮ですね。
★桜の樹皮、というと「樺(かば)細工」を思い出します。
私は一応秋田県能代市の生まれ。1年ちょいしかいなかったはずですので「ふるさと」という感覚は全くないのですが、親戚なども多く、秋田県への親和性は高い。ま一応ね、秋田生まれ。
で、秋田の樺細工は有名。我が家にも樺細工の茶筒などありますが。
↓参考
http://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/akita_01.htm
秋田県 樺細工
歴史
樺細工の産地旧角館町は、秋田県の中央、仙北平野の北部に位置し、清流玉川と桧木内川に挟まれた城下町としての藩政時代はもとより明治以降においても政治経済の中心地であった。
角館の樺細工は、天明年間(1771~1788年)俸禄だけではとても生きられなかった下級武士の手内職として始められた。天明の頃は、大凶作、飢鐘の時代でもあり、藩を挙げて殖産興業に励む経済力もなく、元手のかからない自生する近在の山桜の樹皮を剥いで細々とつくられていた時代であった。
角館の樺細工は、こうした下級武士の困窮に育まれたと言っても過言ではない。
その後、紆余曲折の時を経て現在従事者約120名、年間生産額9.5億円、角館の基幹産業に成長してきた。特徴
樺細工は、世界でも珍しい山桜の樹皮を木地の表面に張ったもの又は積層状に貼り重ねた樹皮を彫刻したもので、独特な技法により山桜の樹皮の特有な美しさを表現した製品です。
樹皮の種類には、あめ皮、ちらし皮、ひび皮など10種類以上あり、用途により使い分けられ、仕上げられた作品には、同一のものはありません。
実用的な堅牢さと渋い野趣ある味わいを持ち、強靱で防湿性に優れ、長年の使用とともに独特の光沢が増してきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E7%B4%B0%E5%B7%A5
樺細工
樺細工(かばざいく)は日本の伝統的な木工工芸品。桜の樹皮を利用して作られるものであり、茶筒や小箱、煙草入れなどに利用される。樺細工という名前であるが、実際に樺類が利用されることはない。
由来
命名の由来は諸説あり、定説があるわけではない。古代にはヤマザクラを樺や樺桜と呼ばれるようなことがあったためという説[1]や、樺の名前は家を建てるための木材である白樺からきており、樺は実際の工芸ではなく職人の種類を示すために使われていると言う説が有る。
秋田の角館の佐竹北家によって秋田県北部の阿仁地方から角館に技法が伝えられたとされ[2]、藩政時代は下級武士の副収入源となっていた。18世紀末から始まっており[2]伝統は200年を超えるとされる。これが、地域の職人の工房を通じて現代まで伝わっている。武士の町であった角館工芸協同組合の美術館は樺細工の工芸品を展示しており、訪問者のために常設展示している。
「佐竹」というと、水戸から移封されてきたわけですが、現在の秋田県知事も子孫でいらっしゃる。
で、水戸と秋田、というと。知る人ぞ知る「桧山納豆」というのがありまして、多分「水戸納豆」と関係があるんだろうと私は推測しております。
http://121ware.com/navigate/learn/pasolife/kenkoujuc/furusatopast/vol1/furusato.html
・・・
確かな記録は残っていないが、能代市の桧山地区に納豆作りが伝わったのは、今から約450年前のことという。茨城県の水戸から桧山城主とともに移ってきた人物が納豆の製法を広めたとの説が有力だ。
・・・
脱線しました。ごめんなさい。
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