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2018年2月28日 (水)

金子兜太さん

★金子兜太さんが亡くなられました。
感慨深いものがあります。

乾いた詩情、戦後俳句を開く 金子兜太さんを悼む 俳人・長谷川櫂(朝日新聞デジタル 2018年2月22日05時00分)

 春の寒さに耐えかねるように大樹が音をたてて倒れる。その残響の谺(こだま)に耳を傾けながら、この文を書いている。
 ・・・
  《三日月がめそめそといる米の飯》
 四十代の作だが、ここにはそのころの兜太が何を嫌悪していたか、兜太が克服しようとしたものが名指しされている。米の飯、三日月、しかもそれはめそめそとしている。日本人の心の底に昔から流れる湿っぽい情緒といえばいいか。それが日本を戦争へ導き、敗戦後もしぶとく残りつづけたと兜太の目には映っていたにちがいない。
 この日本的なじめじめした情緒に代わる、からりと乾いた新しい詩情を模索したのが、対象としての社会問題であり、方法としての「前衛」であったはずだ。
 ・・・
 晩年、兜太は高齢化社会の老人たちのアイドルにされる。この事態に直面して兜太は自分を「存在者」と定義し直した。人間は戦争で犬死にしたりせず、何もしなくても生き永らえるだけで尊いという考え方である。
 これが草木岩石すべてに命が宿るという日本の原始的な宇宙観に通じることはいうまでもない。重要なのはそれが理想を見いだせぬまま欲望を肯定してきた戦後の価値観に形を与え、迷える老人たち、誰より自分を励まそうとしたものだったということだろう。

私、湿っぽいの大嫌いです。
「孤独を求めて連帯を恐れず」に、残りの人生の終わりへ向かって、乾燥してパサパサと生きたい、と考えるものです。

★俳句弾圧不忘の碑

東京新聞(2018年2月22日 朝刊)
「俳句弾圧不忘の碑」 故金子兜太さんが呼び掛け

 第二次世界大戦中、反戦の句を詠んだ俳人らが検挙・投獄された「新興俳句弾圧事件」を語り継ぐ石碑が長野県上田市に完成し、二十五日に除幕式がある。建立の筆頭呼び掛け人は、二十日に九十八歳で亡くなった金子兜太さん。戦争を身をもって体験し、国家が「表現の自由」を奪う恐ろしさを訴え続けた俳人の“忘れ形見”だ。
 碑は、戦没した画学生らの絵を展示する「無言館」の敷地内に立つ。「俳句弾圧不忘(ふぼう)の碑 兜太」と、力強い金子さんの字が刻まれた。その建立へ金子さんと尽力したのが、フランス出身の俳人マブソン青眼(本名マブソン・ローラン)さん(49)=長野市=だ。
 ・・・
 昨夏に体調を崩しても「除幕式は絶対に出ます」と言い続けた金子さん。マブソンさんと窪島さんは、車いすで参加できるようスロープを設けて待った。
 金子さんが今日の世相を「表現の自由が弾圧された戦前と似ている」と嘆いていたのを忘れないマブソンさん。「その思いを碑と一緒に引き継いで訴えていきたい。ここが金子先生とつながることができる場所になってほしい」と願う。
 ・・・
<新興俳句弾圧事件> 戦時中の1940~43年、戦争や軍国主義を批判・風刺し、反体制的な句を作った俳人ら44人が、治安維持法違反容疑で検挙され、13人が懲役刑となった。対象とされた句では「戦争が廊下の奥に立つてゐた」(渡辺白泉)などが名高い。

東京新聞 2018年2月26日 朝刊
 戦時中に反戦の句を詠んで投獄された俳人を忘れまいと、長野県上田市内に石碑が建立され二十五日、除幕式が開かれた。建立を呼び掛けたのは今月二十日に九十八歳で亡くなった俳人の金子兜太(とうた)さん。「俳句弾圧不忘の碑」との碑銘も金子さんが揮毫(きごう)しており、全国から駆け付けた約百五十人が弾圧された俳人や金子さんに黙とうをささげた。
 ・・・
 昨年五月に揮毫した金子さんは「除幕式には絶対に出る」と言い続けたが、かなわなかった。式典でマブソンさんは「金子先生は表現の自由と命の尊さを訴え続けた。あの世から見守ってください」と話した。

東京新聞
【私説・論説室から】俳句弾圧事件を思う 2018年2月26日
 戦前に文学が弾圧された事件といえば、「蟹(かに)工船」の作家小林多喜二を思い出す。拷問死は一九三三年二月二十日だった。
 なんと俳句も取り締まられた。戦争中には、反戦の句を詠んだ俳人らが検挙・投獄された「新興俳句弾圧事件」があった。二〇一四年二月二十日の本紙「筆洗」は、こんな句を紹介している。
 <糸きりきりとハムの腕>
 詠んだのは秋元不死男(ふじお)。「きりきり」という擬音語が醸す恐怖がいけなかったのだろうか。秋元の前の俳号は、東(ひがし)京三。語順を並べ替えると共産党になる。
 <冬空をふりかぶり鉄を打つ男>
 鉄は資本主義を表し、それを打つので革命になる。筆洗子は「特高(警察)の言い掛かりも狂気である」とつづる。こんな俳句も摘発された。詠んだのは、渡辺白泉。
 <戦争が廊下の奥に立つてゐた>
 戦争や軍国主義を批判、風刺、反体制的な句を作った俳人四十四人が治安維持法違反容疑で検挙され、十三人が懲役刑となった。
 この事件を語り継ぐ「俳句弾圧不忘の碑」が長野県上田市に完成した。筆頭の呼び掛け人は故金子兜太さんだった。戦争体験者であり、反戦を貫いた人だった。今の世相を金子さんは「戦前と似ている」と嘆いていたという。九十八歳で亡くなった日は二月二十日。くしくも多喜二忌である。 (桐山桂一)

東京新聞 筆洗(2018年2月22日)
 ・・・
<長寿の母うんこのように我を産みぬ>。どの句を引くか迷ったが、生きものとしての人間をありのままに描いている骨太にして、滑稽にも富んだ、この句を選ぶとする。季語のない無季句である▼季語は大切だが、季語さえあれば、自然をとらえられるという考え方を強く否定していた。季語はなくとも、この句に描かれた人間の、生きもの全体をめぐる「自然」の大きさや神々しさはどうか。その俳人によれば人は母親からうんこのように生まれ、やがて、土へと帰る▼「いのち」にこだわり続けた。酷(ひど)い戦争体験。生きもの同士がいたわり、信じ合えば、戦争はない。平和や、好んで使った、「蹴戦(しゅうせん)」(戦争を蹴飛ばす)を叫ぶのは、いのちの俳人には、当然のことだった
 ・・・

合掌

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