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2017年12月15日 (金)

輝く「もみじ」

1202_14outou 2017.12.2
桜桃の黄葉。
1202_15ityou
振り返って仰ぐとイチョウの黄葉。

もみじ【紅葉・黄葉】モミヂ
(上代にはモミチと清音。上代は「黄葉」、平安時代以後「紅葉」と書く例が多い)
①秋に、木の葉が赤や黄色に色づくこと。また、その葉。秋。万葉集[15]「秋山の―をかざし」 →紅葉こうよう →黄葉こうよう。
②(→)カエデの別称。秋
{以下略}

もみ・ず【紅葉づ・黄葉づ】モミヅ
自上二(奈良時代には清音で四段活用。平安時代以後、濁音化し、上二段活用に転じた)草木の葉が秋の末に、紅または黄に変わる。後撰和歌集[秋]「斯くばかり―・づる色の濃ければや」
   広辞苑第六版より引用

★別件
NHKのEテレ、朝6:35から「にほんごであそぼ」という番組があるのですが、百人一首が時々取り上げられます。
私は小1くらいから百人一首には接してきたのですけど。とにかく「誤解と誤読の大鉱脈」でして。
↓下の歌が取り上げられた時、大意はわかるんですが、「踏みわけ」の主語がわからないことに気づいた。鹿か人か。

奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の  声きく時ぞ 秋は悲しき

検索してみたら、どちらの解釈もあるのですね。私の「大誤読」というわけではなかったらしい。

http://www.ogurasansou.co.jp/site/hyakunin/005.html
奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の
    声きく時ぞ 秋は悲しき
           猿丸太夫(5番) 『古今集』秋上・215
■□■ 現代語訳 ■□■
  人里離れた奥山で、散り敷かれた紅葉を踏み分けながら、雌鹿が恋しいと鳴いている雄の鹿の声を聞くときこそ、いよいよ秋は悲しいものだと感じられる。
【紅葉踏みわけ】
 散った紅葉が地面いっぱいに敷きつめられたところを、雄の鹿が踏み分けていくこと。この句では昔から、人が歩いているのか鹿なのかが議論されていましたが、鹿と見るのが穏当です。

http://ogura100.roudokus.com/uta05.html
しかし悲しみを感じるのは人間ならではですから、主語は人と考えたほうが味わい深いと思います。

私は「山奥で紅葉を踏んで鳴く鹿の声を、冬ざれた里か山のふもとで聴く」ほうが好きだなぁ。

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