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2017年8月28日 (月)

クロアゲハ

0808_10kuroageha1 2017.8.8
ボロボロだったのよ。
と、デュランタの花に来たクロアゲハを妻が撮影してきました。
口を伸ばして蜜を吸っています。
0808_10kuroageha2
見てください、翅がぼろぼろ。
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後翅だけではないのです。前翅も。こんなになって、よく飛べるものね、と心うたれたと言っておりました。それでも飛ぶんです。蜜を吸うんです。
0808_10kuroageha4
これがこのチョウにとっての最後の食事かもしれないな、と思いながら撮影したのだそうです。力尽きて地面に落ちる寸前まで飛ぶのです。
胸がジーンとしました。
最期の時はやがて必ず訪れます。その時が至るまできちんと生きたい、と思う私です。虫たちは気高い。

★新聞記事から引用
(福岡伸一の動的平衡)終わりへの旅立ち(朝日新聞デジタル 2017年8月24日05時00分)

 ・・・
 ここで育ったアサギマダラたちは、このあと秋になると南に向かって一斉に「渡り」をする。その距離は2千キロに及び、遠くは八重山群島や台湾で見つかることもある。花を離れた蝶は、見えない糸に引かれるようにすっと西の方に飛び去っていった。
 突然、私は、レイチェル・カーソンの手紙の一節を思い出した。その日、彼女は、同じく渡りをするモナーク蝶を何時間も眺めていた。蝶はもうここに戻ってくることはない。蝶にとってそれは生命の終わりへの旅立ちなのだ。けれども彼女はそこに何の悲しみも湧いてこないことに気づいた。「生きとし生けるものがその一生の終わりを迎えるとき、私たちはその最期を自然の営みとして受けとります」。1963年、夏のこと。ガンはすでに骨に転移していた。カーソンはモナーク蝶の飛翔(ひしょう)に自らを重ねていたのだ。

(声)「その時」を選んで逝った母(朝日新聞デジタル 2017年7月31日05時00分)
 母が亡くなった。お世話になっていた施設のスタッフの方々にみとられて。最期を迎える10日前、施設の医師から良くない状態との説明を受けた。母は元気なころから延命を望んでいなかったが、再度確認され、このまま自然に衰えていくのを見守ってほしいと伝えた。
 しかし、最期はいつか分からない。遠方の妹や弟、私自身も見送ることができるか心配だったが、予定が立つわけではない。施設の方にそんな話をすると、こう言われた。「それはご本人さんがそういう時を選ばれたということですから
 それを聞いて気が楽になった。母が選ぶ「その時」を静かに受け止めようと思った。実際、近くに住む私すら間に合わなかったが、「安らかでした」との報告を受け、素直に現実を受け入れられた。

「それはご本人さんがそういう時を選ばれたということですから」
そんじょそこらの坊さんにいえる言葉ではないな。人の死というものを正面から受け止め続けてきた方にしか言えない重い言葉です。
佳い言葉を聴きました。

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