« 不明 | トップページ | アジサイ「フェアリー・アイ」 »

2017年2月13日 (月)

コントロール 対照区

Control
↑NHKのニュース画面です。
「脳動脈りゅう」仕組み解明 治療薬開発に期待(2月8日 4時10分)
このニュースの「マクロファージでEP2を欠損」しているグループと「コントロール」との差を示すグラフです。

・・・
 その結果、膨らんだ血管には「マクロファージ」と呼ばれる白血球の1種が集まり、この細胞の表面で、炎症を強める働きを持つ「EP2」というたんぱく質が作用していることがわかったということです。
・・・

内容には深く立ち入りません。今ここで書きたいのは「コントロール」という言葉の使い方なのです。
日本人が学ぶ英語では下の引用の「1」の意味が普通でしょう。
ところが、上の画面で見る「コントロール」は「2b」の意味なのです。
日本語にすると「対照区」。

control
►n
1
a 支配,取締まり,管理,監督(権) 〈on, over, of〉;[Upl] 《物価などの》統制
b 抑制,制御;自制
c 〔球技〕 制球(力),コントロール.

2
a 統制[管制]手段;《機械の》調節つまみ;[pl] 制御[操縦]装置;[Opl] 制御室,管制室[塔],コントロールルーム;検査(室),審査(室)
b 対照実験 (control experiment);《実験の》対照区.
・・・
リーダーズ英和辞典第3版より引用

自然科学系特に生物系ではごく普通の用法です。
対照実験のない実験なんてほとんど無意味である、ということも非常に多いのです。

↓参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E7%85%A7%E5%AE%9F%E9%A8%93

対照実験
 対照実験(たいしょうじっけん)とは、科学研究において、結果を検証するための比較対象を設定した実験。コントロール実験とも呼ばれる。条件の差による結果の差から、実験区の結果を推し量る基準となり、実験の基礎となる。
方法
 薬の臨床試験であれば、効果のない偽薬と、新たに開発した薬剤とを投与する2つの実験群をおくが、偽薬を与えられた方が対照実験となる。対照実験の対象となるグループをコントロールグループ(統制群)と呼ぶ。また、対照実験には陰性対照(ネガティブコントロール、NC)と陽性対照(ポジティブコントロール、PC)の二種類ある。いずれも結果があらかじめわかっている対照群であるが、前者は結果に影響を及ぼさないものであり、先の例では偽薬があてはまる。一方、陽性対照は効果があることがわかっている対照群であり、薬剤の例で言えば、既に臨床試験をクリアした(本試験対象の薬剤に期待される効果と、同種の効果が実証された)薬剤があてはまる。 また、PCRや菌検査にもネガティブコントロールやポジティブコントロールは用いられる。これは、増幅したDNAや、培養された微生物が、実験者のDNAや、空中落下塵によるコンタミネーションによらないことを証明するためである。

意義
 対照実験を行うことによる意義として、結果の差を推計統計学的に考慮して、有意差があったかどうかを判断できるという点がある。また、その差の大きさによって、効果がどれほどあったのかという点についても知ることもできる。
・・・

「飲んだ、治った、効いた」という「三『た』論法」というのがあります。
広告でよく見かけますね。対照実験が行われていない「薬の効果」など、信用することはありません。ほぼウソです。最近は「個人の感想です」とかいう注がついていたりしますが、科学的な信用度はゼロです。

★ところで、冒頭の写真を見た時に私の中に去来したもの、それは
   人の一生に”対照区”はない。
という言葉でした。これは宇尾淳子さんという生物学者の著書の終わりにかかれている言葉です。
人生に対照区がない、ということは、「もしあの時~~だったら」というような、別の人生への仮定法を用いた「夢想」など無意味なことだ、ということですね。
その時々に、できる限りのことをきちんと誠実になしてきた、それが私の人生だ、ということです。そしてそれを「よし」とします。という宣言ですね。

なんだかね。私も数えで70歳ですからね、今年は。
人生の最終局面でイッチョ見得でも切ってみたいですよね。
「人生に対照区なし。この70年間、あるがままに、これが私の人生である」とね。
遠い昔、中学生の頃かな、学校のPTAの会誌かなんかに何か書けと言われて。
僕は自分の人生に if という言葉を使わない、と書いたことがあったと、おぼろげに記憶します。
当時から同じですよ、頑固者だから。
頑固なガキが頑固なジイサンになっただけだ。

★宇尾さんの著書から引用します。
「昆虫からの贈りもの ある生物学者の一代記」宇尾淳子 1995年 蒼樹書房

第13章 ヒトとゴキブリが握手する
 ・・・
 一九八七年、私はポーランドで開かれた昆虫の内分泌学会に特別招待され、開会記念講演をした。退職して二年半後のことである。
・・・ヒトとゴキブリが握手するスライドを最後に、私は四十五分の公演を終了し、盛大な拍手を受けて演壇を降りた。
 ともあれ、私ははじめて国際舞台で私の時計説を主張することができた。そして、昆虫学者にはなじみの薄い「脳・腸ホルモン系」についても紹介し、「昆虫もヒトも生物学的大綱においては同じ」という考えを打ち出す機会を得た。私はこの科学者としてのエピローグをうれしく、ありがたくうけとめている。

終章 残照
・・・
徒労への誠実――夫の死
・・・
 彼は建前抜きの本音だけを、内でも外でも押し通した信念の男であった。あれほどナンギで、かつ魅力的な人物は他にはいないであろう。
・・・
 私たち夫婦の京大時代からの友人、小澤壽一郎さんが、十年ほど前に一冊の本を刊行した。題して「徒労への誠実」。強直性関節炎で四十年間の闘病生活の後、六十二歳で世を去った一病者の伝記である。全身の関節が次第に動かなくなり、遂には餓死に至る奇病に、すぐれた知性と稀にみる勇気、そして深い信仰で立ち向かった人。彼の生き方の真髄は「徒労への誠実さ」であった。”努力しても、努力しても、少しも良くならない。それでもなお、誠心誠意努力する。そこにこそ、本当の人生、本当の悦びがある”と。
・・・
 これほど多くの人びとの友情と支援、そして宗旨を越えた祈りに支えられた夫の一生とその死は、やはり見事なものであった。
 人生は時間の長短ではない、と吉田松陰はしきりに言ったそうである。「早すぎた。もっと生きて大きい仕事を仕上げてほしかった」という哀惜の言葉を多くの人からうけた。私もそう思う、しかし、彼は与えられた時間を完全に燃焼しつくして去っていった。もって瞑すべきであろう。

残照
・・・
 人の一生に”対照区”はない。与えられた条件下で自分なりに力一杯生きた私は”幸せ者”と言えるだろう。

★「不器用な生き方」というのもかっこいい言葉ではありますが。
「あれほどナンギで、かつ魅力的な人物は他にはいないであろう。」この一文を読むと、私はいつも胸がジンとするのです。
それほどの男じゃなかったな私は。
そして再度
 人の一生に”対照区”はない。与えられた条件下で自分なりに力一杯生きた私は”幸せ者”と言えるだろう。
あこがれます。そして涙腺が緩みます。

« 不明 | トップページ | アジサイ「フェアリー・アイ」 »

人事」カテゴリの記事

理科おじさん」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 不明 | トップページ | アジサイ「フェアリー・アイ」 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ