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2016年12月12日 (月)

パティ・スミス 「はげしい雨が降る」

こんな記事がありました↓
http://www.huffingtonpost.jp/2016/12/10/patti-smith-sing-for-bob-dylan_n_13557550.html
ボブ・ディラン欠席のノーベル賞授賞式、パティ・スミスが「はげしい雨が降る」熱唱(動画)
The Huffington Post  |  執筆者: Maddie Crum

(前略)
パティ・スミスが授賞式に登場し、ディランの「はげしい雨が降る」(A Hard Rain’s A-Gonna Fall)を歌った。パティ・スミスはディランの受賞前から、授賞式への出演を依頼されていた。もともと自分の曲を歌うつもりだったが、自身に大きな影響を与えたディランの受賞を聞いて、ディランの曲を歌うことにした。
(中略)
スミスは演奏中に1回、歌詞を忘れて口ごもった。「血が滴り落ちている、黒い木の枝が見えた」という部分だ。スミスは緊張していたとして謝り、歌い終えた。
(後略)

パティ・スミスさんが歌うということは聞いていました。歌が途中で途切れたという話も聞きました。「忘れた」のかどうかは知りません。極度の緊張だったことは確かでしょう。
で、私の見る時間帯のニュースでは、パティの歌は聞こえてきませんでした。
今日、朝日新聞に掲載されたハフィントンポストに、動画がありました。
8分を超える動画で、長いですが、歌の全部を聴くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=DVXQaOhpfJU&feature=youtu.be
↑あるいはこれが直接のリンクになるのかな。
もしうまくリンクしていなかったら、ご自分で「パティ・スミス ノーベル賞授賞式」とか検索すればヒットするはずです。
パティさんは私などと同世代。ボブ・ディランの歌を多感な年代聴いた世代でしょう。
心揺さぶられますが、さて、ボブとしては人の心を揺さぶることが本意かどうか。
人を不安に落とし込み、人の心に疑念を湧きかえらせる方がボブらしいけど。

日経新聞に、ボブ・ディランのノーベル賞受賞スピーチ(日本語訳全文)が掲載されていました。
その一部が妙に気にかかる。

ディランさん「創造的努力、シェークスピアのように」
ノーベル賞受賞スピーチ(日本語訳全文)(2016/12/11 16:27)
(前略)
 一つだけ言わせてください。これまで演奏家として5万人を前に演奏したこともあれば、50人のために演奏したこともあります。しかし50人に演奏する方がより難しい。5万人は「一つの人格」に見えますが、50人はそうではありません。一人一人が個別のアイデンティティー、いわば自分だけの世界を持っています。物事をより明瞭に理解することができるのです。(演奏家は)誠実さや、それが才能の深さにいかに関係しているかが試されます。ノーベル賞委員会がとても少人数だという事実は、私にとって大切なことです。
(後略)

英文はこうです。(日経新聞から)

But there's one thing I must say. As a performer I've played for 50,000 people and I've played for 50 people and I can tell you that it is harder to play for 50 people. 50,000 people have a singular persona, not so with 50. Each person has an individual, separate identity, a world unto themselves. They can perceive things more clearly. Your honesty and how it relates to the depth of your talent is tried. The fact that the Nobel committee is so small is not lost on me.

教師という職業は、人前でパフォーマンスを行う職業です。
全校集会というような集団(マス)を相手に話をする時と、教室で40人を相手に話をするときとでは、全然違うのです。
私はよく
「授業というものはね、ライブなんだよ。開始から終了へ、時の流れの中で、君たちと一緒に構築していくものなんだ。授業は生き物なんだよ。遅刻したり、無関心な私語を交わしたりして、その流れを断ち切らないでほしい。授業という生き物を殺さないでほしいんだ。何十年も授業をやっていて、一回として『同じ授業』なんてできたりはしないんだよ。今、目の前にいる君たちと協同でつくるのが授業なんだから」
と。
ボブ・ディランの言葉が突き刺さりました。

別件ですが。
ボブ・ディランがノーベル文学賞を「受けた」ことはまあいろいろあるんでしょうから、いいですけど。
「受賞拒否」するのかな、とも一瞬思いましたよね。
でも「拒否」というのは、相手の価値を一定程度認識・評価したうえでそれを否定する行為ですね。
「文学を評価する」という行為自体を否定して、ノーベル文学賞に意義を認めないという立場もあり得ると思うんですよね。
そういう場合に取りうる態度は、完全無視 じゃないのか。
私の中には、ちょっとそういう「完全無視」をボブ・ディランに期待したところがあります。
文学賞、平和賞、経済学賞、そういうものに、かなりの程度の「疑義」を抱く私なのです。

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