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2016年11月24日 (木)

いい夫婦の日

私の脳裏をよぎって行ったことを、脈絡なく並べます。

Kracie1122
この一連の広告、ひたすら高齢者の「腰と肩」を「せめて」くるのですが。
「肩を思いやる」ねぇ。
肩も腰も思いやらなくっちゃね。

★こんな投書もありました。

(声)交代で車椅子乗る、いい夫婦(朝日新聞デジタル 2016年11月22日05時00分)
 10月末のすがすがしい秋空の午後、道を歩いていると、向こうから車椅子を押すおじいさんが近づいてきました。私の前で急に止まると、車椅子からおばあさんが降りて、今度は押していたおじいさんが車椅子に乗り、おばあさんが押し始めました。
 まるで小学生が乗りあいっこをしているようなほほ笑ましい光景でした。・・・
 80代ぐらいのお二人は小柄で、機敏とまでは言えませんでしたが、散歩とトレーニングをかね、夫婦善哉(めおとぜんざい)ならぬ夫婦車押しをしていたのでしょう。
 やがては私も車椅子のお世話になるかもしれませんが、こんな仲のいい夫婦になれるよう、11月22日の「いい夫婦の日」に合わせて願うばかりです。

いい夫婦ですね。ジンとするな。私にとっても遠くないことかもしれない。

★朝日歌壇から

高野公彦選(2016/9/19)
手と足に互ひに触れて無事を知る老いし二人の目覚めの慣らひ:(川崎市)吉田恵一

体を触れる、相手の体温を知る、いちばん素朴で親密な関係でしょうか。

永田和宏選(2016/11/7)
言うほどの仲良し夫婦じゃなかったが逝かれて一年何このさみしさは:(田辺市)池添希伊子
 評:多くの夫婦が同じような感想を持つのではないだろうか。

永田さんご自身のことを思い、心に沁みます。

永田和宏選(2016/10/31)
家具みたいな人なんですよと唐突に妻がわたしの紹介をする:(東京都)野上卓

「空気みたいな存在」というのはよくある表現ですが、「家具みたいな人」というのは素敵だ。
きっとずっしり重みもあるんだろうな。

★背中がかゆい
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/248986.html

「永六輔さん "生命"のメッセージ」(時論公論)(NHK 2016年07月13日)
(前略)
【ラジオと「想像力」】
 生きる喜びや平和の尊さを、難しくない言葉でより多くの人に伝えることができるメディアとして、永さんはラジオを大切にしていました。
 それは、「想像力」によって、より大きな力を持つメディアだからです。
 どういうことなのか。
 永さん自身が、こんなエピソードでラジオと想像力について、わかりやすく解説したことがあります。
 車の中で、NHKのラジオを聞いていたときの話です。
 アナウンサーが、ある町で、おばあちゃんに、亡くなったご主人についてインタビューをしていたそうです。
 アナウンサーが、「おじいちゃんが亡くなったのを実感するのはどういうときですか?」と、おばあちゃんに聞きました。すると、そのおばあちゃんがしばらく黙っていましたが、そのあと、「背中がかゆいとき」と言いました。
 永さんは、このとき、車の中でウワッと泣いたそうです。
 耳で聴くだけなのに、映像が無いことによって、逆に聴く人の想像力が増します。
 想像することによって、おじいちゃんの生前の優しさや、この夫婦が背負ってきた人生の厚みまで、リスナーに立体的に伝わるというわけです。
(後略)

「背中をかく」というのは、文字通り、襟から手を入れて背中を指でかく、ということだとは思います。
でもね、それは互いに相手の体温を知ることであり、指先で触れることと触れられることを通じての心の会話ですよね。
もう一歩踏み込みましょうか。夫婦です。若かった時は背中を掻き合うということはもっと生々しかったはず。
そこまで含めて、永六輔さんの心が揺さぶられたんじゃないのか、と思うのです。

★斎藤隆介「寒い母」
有名ですよね。童話といっていいのかどうか。
女手一つで息子たちを育てた寡婦。川向うに恋人ができて、川を渡って会いに行く。そして「背中をかいてもらう」のです。
息子たちは、その母を支える。そして星になる。

ここでの「背中をかく」というのは明らかに大人の男女の行為です。
これが嫌らしくない、というのが齋藤さんの筆の力なんだろうな。


赤坂真理さんのエッセーから

(作家の口福)剃るか、掻くか!かき氷 赤坂真理(朝日新聞デジタル 2016年10月22日03時30分)
 (前略)
 かき氷を英語でなんというか知って、カルチャーショックを受けたことがある。クラッシュト・アイス? いや、「shaved ice」と言うのである。剃る(シェーブ)! あれは剃(そ)るという行為なのか! しかし「剃る」であれば、今のかき氷より薄い氷が出てくるであろう、と、聞いた当時は思っていた。
 冬の初めの日、実家の町を歩いていたら、理髪店が顔そりののぼりを立てていた。それは私が、嫁に行く前日に行った店だった。私が嫁に行ったのも冬の初めで、前日に、うなじを剃ってもらった。長いT字の剃刀(かみそり)を、人を剃るという、自分の肌に対するより慎重で優しい他人のタッチを、思い出した。
 不意にかき氷のことが分かった気がした。かき氷の「かき」とは「掻き」ではなかったかと。そして、人を掻くのが、けっこう好きだったことを。
 親密な間柄で、背中を掻いてほしいと頼まれることがある。掻いてほしいと頼むこともある。人を掻くとき、最初はそーっとやる。もっとと言われて、いいの?と思いながら少しずつ、力を加えていく。やがて相手が、呆(ほう)けたような顔をして満足する。私の爪や肌に、大事な人のかけらが、ほんの少し、削れて移っている。
 あの微細な感覚が「掻き」とることであるなら、かき氷はもとから「shaved ice」より繊細なのにちがいない。

「掻く」ことの微細な感覚。それが男女の間であるならなお一層のこと。老夫婦の積み重ねでもあるでしょう。

★「いい夫婦」
夫婦善哉。夫婦佳哉。

★オマケ
1122=わんわん・にゃあにゃ

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