迎春
東京は暖冬です。最低気温が零下になる「冬日」が今冬はまだ一回もありません。
読者の方々の地域ではいかがでしょうか。
暖かいと人の生活としては楽なようでいて、自然の営みとしては異様であるように思われます。
人と人の「間」がすべて平らかになりますように。
我が家の正月飾りです。
今年もう68歳になりますから「私のすること、これすなわち『しきたりである』」などとほざきながら、勝手な飾りつけをして遊んでおります。
鏡餅はもう40年物の「素焼き」です。のっているのは我が家の夏みかん。
花は造花を主にしていますが、南天は我が家でみのったもの。
遠い昔、妻は未生流など習っておりましたそうで。本人は「末生流だ」と申しております。
左下、水引細工の鶴亀は、これまた遠い昔の我ら夫婦の「結納」の品。スゴ。
扇状の板は、漆塗りですが、これ、火鉢にちょうどうまい具合にセットできるようになっていまして、小さなテーブルになるという品物です。昔の生活だなぁ。
さて庭では
2015.12.30
松も芽吹きの支度をしていますし
12.30
ブルーベリーも美しい。
2016.1.2
白のジンチョウゲの「未香の香」をお楽しみください。(未だ香らざるの香り)
やがて深呼吸を促す、春の香りを放ちます。
いまはそっと「包んで」あります。
★昔、正月というと、ある種の「非日常性」を孕んでいましたね。
12月中から、いつものことではない年越しの準備が始まり、子どもの私も動員されましたっけ。
そして、大晦日から元日へ、静かに籠りながら遠くから聞こえる除夜の鐘を聴きました。
高校生の頃は、紅白歌合戦に反発して、自室で分厚い単行本を一冊、徹夜で読むことにしていましたっけ。
以来、紅白とはほとんど縁のない私です。
20代の終わりか30代に入る頃からか、年賀状からも引退しました。以来、戴く賀状に返信するのみの新年。
新年になっても、しばらくは食料品のお店など開いていませんでした、だからこそ「御節料理」を作ったわけですが。
今は、暮れも正月もなく24時間営業ですから、何でも手に入る。
正月を迎えるという独特の非日常性がなくなって、べったり日常が連続してしまいました。
なんとなく、違和感を覚えます。
元旦の「静謐で」「清浄」な空気を失い、年を跨いでの大騒ぎの延長が続いていく。
年寄の私がぼんやりしてしまったのか、世の中が調子っぱずれになってしまったのか。
妙な感慨を持ったのでした。
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