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2016年1月25日 (月)

仏教って?

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2016/01/post-2aef.html
2016年1月19日 (火)「死ぬときぐらい 好きにさせてよ」
↑この記事の続きになります。

★樹木さんの広告が載ったその1月5日の新聞の別の面の書籍広告に、奇しくも、浄土真宗の大谷暢順氏の著書が紹介されていました。
「人間は死んでもまた生き続ける」という本です。
題名からして、ブッダの教えに反しているということは明白ですね。
ブッダは「もう『生き続け』なくてもいいんだよ」と「輪廻転生を断ち切るすべ」を教えてくださったんじゃなかったっけ?
広告のコピー

「死ぬのは怖くない」――
本心からそういえる人は、はたしてどのくらいいるでしょうか。
しかしながら、仏の教えを知って信じる心を持つと、死後の安心が得られるだけではなく、この世を生きることに喜びを感じずにはいられなくなります。
・・・

って。ブッダの教えは「信じる」ものじゃないでしょ。実践するものでしょ。
「死後の安心」なんて、変。
死後に対する、現在の自分の安心、でしょうね、きっと。
死後の自分が死後の世界で安心するんですか?そんなの知ったこっちゃない。
本当は「死後がなくなったから安心」なんだけどな。それが涅槃。解脱。

いっちゃあなんですが
激しい権力闘争や財産争いの張本人様が何をおっしゃいますやら。
ご自分の「欲を滅する」ことを修行なさいませ。
私の方が欲は少ない。だって財産もなければ権力関係もないもんな。さっぱりしたもんだ。
樹木さんの広告とのあまりのギャップに、めまいを覚えるほどでした。

★僧侶の方のこんな文章も見ました。
{高名な大谷さんを批判するのは許されるとして、市井の一個人を攻撃することになってはまずいでしょうから、周辺の事項は伏せます}

お経を読むことは、死者が極楽世界に生まれ変わることが約束され、遺族が気持ちを整理して死を受け入れやすくするという意味がある。それが心を癒やす「グリーフケア」につながる。

そんなお経を読まれちゃかなわん。私は死んでも坊さんの世話になりたくない。お経なんか聞きたくない。
ブッダの教えに反して、極楽世界なんぞに生まれ変わりたくない。
私の人生は一回きり。「生の一回性」こそが私をくつろがせるのです。安心して死んでいけるのです。
坊さんのお経は私の耳に障る。願い下げ。
残されたものへの「グリーフケア」には意味があるでしょう。
でもそれはお寺さんの専売じゃない。いろいろなグリーフケアがあっていい。
日常の生活の姿が大事。お寺さんは、今、生きている人への活動が必要なんです。
さあ、お坊さん方、そういう姿を自信をもってみなさんに見せられますか?
そういうきちんとした生き方をなさっているお坊さんには、進んでお布施を出しますよ、誰でも。
日本の仏教はブッダの教えとは全く異なるものだと、私は考えています。

★こんなことをぶつくさとボヤいていたら、妻が「100万回生きたねこ」の「ねこ」は、輪廻転生を脱して涅槃に入ったのね、といいました。まさしくその通りなのです。
白いねこが死に、ねこが死んで、物語は終わりますが、これ、ハッピーエンドなんですね。
読めば必ずうるうるしちゃうけど、でも、よかったね、よかったね、といってあげたくなりますね。

★ねこは、王さま、船のり、サーカスの手品つかい、どろぼう、おばあさん、女の子などのねこでした。
でも、いつも「誰かの」ねこだったんです。で、「きらい」「きらい」「きらい」・・・だったんです。
不満だったんですね、自覚できていなかったのでしょうけれど、もっと別な生き方があるはずだ、と「欲望」に衝き動かされて、何度も何度も、100万回も生きたんです。
そして「のらねこ」になりました。

だれの ねこでもなく、はじめて自分のねこ になりました。
ねこは 自分がだいすきでした。

そして自己愛に目覚め、自己賛美に陥り、自分への執着に陥ったのです。
ところが、白いねこと出会い暮らし子育てをし。

白いねことたくさんの子ねこを自分よりもすきなくらいでした
子ねこたちは成長し、どこかへいきました。

白いねこはすこしおばあさんになっていました。

ある日白いねこはねこのとなりでしずかにうごかなくなっていました。
ねこは100万回もなきました。
ねこは白いねこのとなりでしずかにうごかなくなりました。
ねこはもうけっして生きかえりませんでした。

死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。

そう、そのようにして「ねこはもうけっして生きかえ」らなかったのです。
これは、白ねことねこの「涅槃」への道だったのですね。
ですから、死を語っていながら幸せな物語、ハッピーエンドになっているのです。

いかがでしょう、私たちも幸せなエンディングへと向かいませんか?

{ちょっと意地悪な追記を書きます。悟りを得たいと、修行して、難行苦行するとしたら、それももまた大きな欲望ですよ。難行苦行すれば、理性が吹っ飛んで神秘体験が得られることもあるでしょう。でもそれは欲の果て。ブッダは難行苦行を捨てて、理性をもって考えつくして、輪廻転生を断ち切るすべを明瞭に「観」じたのですね。仏教って、理性的なものなのですよ。}

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