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2015年12月 9日 (水)

カエデそして「枯野見」

1122_5kaede_hati1 2015.11.22
ちょっと傷んでいますが真っ赤な葉。
1122_5kaede_hati2
来年への準備。
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予感をはらんだ姿。
冬芽っていいですね。今見えているものの向こうに、新たな命の展開が見える。
冬芽を探してください。楽しいですよ。

★こんな話を見かけました。「枯野見」ですって。

(言葉の服)枯野見、風雅な遊び 堀畑裕之(朝日新聞デジタル 2015年12月3日16時30分)
 今年の紅葉も終わり、落葉舞い散る季節になった。まだすこし暖かい初冬の晴れた日に、してみたい遊びがある。
 「枯野見(かれのみ)」という言葉をご存じだろうか?「お花見」でも「お月見」でも「雪見」でもない。ただ枯れた野原を見に行くという「枯野見」。江戸時代の人はそんな風雅な遊びをして楽しんだそうだ。いまではすっかり忘れられてしまった行楽である。
 枯野なんて見て楽しいのかな、と思うだろう。たしかに寒々しいだけのような気がしなくもない。江戸人のガマンくらべの酔狂か? いや、そうでもないのだ。
 先日、熊本県の阿蘇に枯野を見に行った。なだらかな丘陵が見渡す限り枯れススキにおおわれて、圧倒的な美しさだった。風が吹くと、ススキの穂は見えない大きな手でなでられたように遠くの尾根まで揺れていく。頭上は雲一つない青空で、時々渡り鳥やトンビが地上に影を落として飛び去る。僕らはおにぎりをひろげて、誰もいない世界を楽しんだ。
 それだけでも十分美しいのだが、実はもっとぜいたくな遊び方がある。それはこの冬枯れの景色に、通りすぎた季節とこれから再び訪れる季節を想像することだ。春には柔らかい下草が萌(も)え、夏の新緑に輝く木々と遠い積乱雲を思い、吾亦紅(われもこう)やオミナエシ、野菊が揺れる秋の花野を目の前の枯れた景色に読み込んでいく。そう、枯れているからこそすべての季節を自然に重ね合わせることができるのだ。
 簡素な世界の中に、豊穣(ほうじょう)な時の移ろいを見いだすこと。かつて日本人の美意識は、とても高度だった。冷え枯れた野原で、こんなワクワクする遊びができるなんて!
 ・・・(matohuデザイナー)

ステキですね。枯野に「通りすぎた季節とこれから再び訪れる季節を想像する」んですって。
なんというか、心豊かな世界ですね。
何万本もの一種類のみが咲き誇る花畑なんて、ちょっと貧相。
空間的な広がりはあっても、時間的な広がり、生物の多様な広がりがないもんな。
今の社会って、なんだかギスギスして、とんがってて、人の心が劣化しかかってませんか?
反省してしいました。
よい言葉を読むことは心を豊かにしてくれます。

★思い出した。こんな記事がありました↓
驚きの共演 12月にヒマワリの花 山梨・北杜(朝日新聞デジタル 2015年12月5日16時30分)
 山梨県北杜市明野町で12月に100本ほどのヒマワリが花を咲かせ、観光客を驚かせている。
 毎年夏に約60万本が咲くヒマワリ畑の一角。市農業振興公社によると、咲き終えたヒマワリをすき込んだが、残っていた種が成長したとみられるという。
 甲府地方気象台によると、11月の甲府市の平均気温は12.6度で平年より2.2度高く、統計を取り始めた1894年以降2番目の暖かさだという。(北村玲奈)

枯野見の心で見れば「観光客を驚かせている」というよりは「観光客を楽しませていいる」になるんじゃないかな。
季節が一致しないと「おぞましい眺めだ」という方もいらっしゃいますが。
悠然たる時の流れの中、命のしなやかさを存分に味わうのもよろしいのではないでしょうか。

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