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2015年12月 4日 (金)

我が家のパンダ そして

1116_19mii 2015.11.16
ミイという名をつけました。
家の中で飼うことはしません、私共夫婦はもう高齢者だから、ミイの将来に責任が持てませんのでね。
外で生きていってもらうのですが、避妊手術を受けさせました。
そのためには、動物病院に入院しなければならないし、そうなると名前が必要でして。
ミイもしくはミィです。
{もっと成長したらファーになったりして。で、年取ったらソーになるというのはいかが?}
後姿が「パンダ」!
ちょっとデフォルメされてますけど、ご容赦を。
純粋な好奇心を発揮しまくって、走りまくっています。

●小説家の京極夏彦さんが「水木しげるさんを悼む」という文で

水木さんは「生きることは愉(たの)しいし、生きているというだけで喜ばしいのだから、もっと喜べ」と、作品を通じ、また身をもって教えてくれました。

こう書いておられました。
●また天声人語では

「水木しげるさん冥界へ」(2015年12月1日05時00分)
ネコのように生きるのが理想だったという。自由に寝て、起きて、あくびをする。少年のころから「なまけ者としてしか生きていけない」と思い込んでいた。

とのこと。
ミイを見ていると、全身で「生きることは愉しい」といっているようです。
純粋な好奇心の発露はある種の「欲」ではありますが、「一切、苦を生じない欲」のように思われます。
ヒトも見習わなければいけませんね。欲にまみれて苦悩に苛まれるばかり。
「役に立つ」などといい始めると「欲」が暴走して「苦」をうむのです。
純粋な好奇心をもって、生きることを楽しみましょう。

●境港市の水木しげるロードには「猫又」のブロンズ像が設置されているそうです。
猫も長く生きれば猫又になる。我が家で猫生を送った3匹はみんな20歳くらいまで生きました。きっと猫又になって、私共を見ていてくれることでしょう。
もし盆踊りかなんかで、影が猫、という人が踊っていたら、我が家の猫たちかもしれません、声をかけてやってください。

水木さんもきっと、猫又たちと一緒になって「シゲジイ」とかいう妖怪になっていらっしゃるのではないかな。自在なお方だから。
お会いしたい。

●昔、子育て中。おっぱいを飲ませた後げっぷをさせますよね、体を立てて。
妻はそのとき、体を立てて抱いた子の背中をさすりながら「ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ♪」と歌っておりましたっけ。
鬼太郎の歌を聴きながら育った子らでした。

●朝日新聞の社説から引用

(社説)水木さん 伸びやかに異界見せた(2015年12月2日05時00分)
・・・
 残した仕事の量と質が物語るように、水木さん自身は勤勉だった。だが、その言葉には、力が抜けるものが多い。
 「なまけ者になりなさい」「少年よ がんばるなかれ」「けんかはよせ 腹がへるぞ
 効率や成果に追われる窮屈な日常に自由な空気を吹き込み、人の根っこに訴えて争いをいさめる。異界を知る先達の言葉は、現代への警句でもある。

●わたくしも、じいさんですが、がんばりません。げんきにがんばるひとは、うっとうしい。

●私が名乗る「崩彦」というのは古事記に出てくる「案山子の神」なんです。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/kuebiko.htm
自分のHPから引用
<>

★世界大百科から引用します
久延毘古(くえびこ):《古事記》にみえる神の名。〈クエ〉は〈崩(く)ゆ〉の連体形で身体の崩れた男を指すと思われ,また案山子(かかし)のことである。大国主(おおくにぬし)神が出雲の御大(みほ)(美保)の岬にいたとき,海上から羅摩(かがみ)の船(ガガイモの船)に乗り,鵝(ひむし)の皮(蛾の皮)の衣服を着た神が近づいた。だれもその神の名を知らなかったが,谷ぐく(ヒキガエル)は〈クエビコなら知っていよう〉と答えた。クエビコに尋ねてみると〈これは神産巣日(かむむすび)神の御子,少名毘古那(すくなびこな)神(少彦名命)です〉という。そこで神産巣日神にいうと〈まことに私の指の間から漏れ落ちた子だ〉との返事を得た。少名毘古那神は,こののち大国主神と協力して国造りをし,やがて常世国(とこよのくに)へ渡る。少名毘古那神の素性を知らしめたクエビコは,〈山田の曾富騰(そほど)(濡れそぼつ人)〉すなわち歩行不能の案山子であるが,天下の事を知る神とされている。身体の不自由な者が〈異形(いぎよう)の人〉として,知恵者の化身と考えられていたことを示している。          西宮 一民
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 古事記には「この神は、足は行かねども、盡に天の下の事を知れる神なり。(このかみは、あしはゆかねども、ことごとにあめのしたのことを、しれるかみなり」とありました。「異形のものは異能をもつ」という感覚が古代人にはあったようですね。「崩」はまさに体がバランスを失って「崩れている」ということでしょう。「彦」は「日子」で、「男性」です。「姫」は「日女」で「女性」です。ですから、「崩彦」は「崩れた男」でしょう、まさに身体障害者の象徴なのではないかな、と思っています。
 まさか私が「天下のことすべてを知っている」わけでもなし。「異能の男」というには平々凡々にすぎるのですが、脚が片一方不自由だ、ということになぞらえて、「くえびこ」=「崩れる男」が気に入っています。

鬼太郎に出てくる一本足の傘の妖怪は「かさ化け」でしたっけ。
道具も年古れば妖怪になる。わたくし「かかし」もいい加減年古りまして、一本足の妖怪になりましょうかね。
名乗りまして「かかし化け」です。よろしく。

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