クリスマスと満月
★こんな記事がありました。
クリスマス、満月のプレゼント スカイツリーと共演(朝日新聞デジタル 2015年12月26日05時00分)
クリスマスの25日、日本では今年最後の満月となり、都内では雲間から顔を見せ雰囲気を盛り上げた。クリスマスツリーをイメージした緑や黄色に彩られた東京スカイツリーとの共演も見られ、カメラを向ける人もいた。国立天文台によると、12月25日が満月になるのは約19年周期。前回の1996年は明け方に最も丸くなりすぐ沈んでしまったため、夜に満月になったのは1977年以来、38年ぶりだという。次は2034年で午後5時54分に最も丸くなるという。
そして、
(天声人語)冬の月に誘われて(2015年12月28日05時00分)
冬の月は季節はずれで、見上げる人もないと徒然草にある。確かに月見といえば秋。もっとも兼好法師はこうも書く。「もののあはれは秋」と人はいうけれど、冬の景色もまた決して秋に劣らない、と▼先日のクリスマスはどうだったろうか。今年最後の満月となった。25日の夜に満月が見られたのは実に38年ぶりという。次回は2034年というから貴重だった。季節はずれなどと背を向けず、天空を仰ぎ見た方も多かっただろう▼当方あいにく機を逸したので、一日遅れの対面を試みた。凜(りん)として美しかった。満月だけを見ればいいというものではないとは、これまた徒然草の名高い一節。李白の「静夜思(せいやし)」も浮かぶ。寝台の前にさす月光を見て、地上におりた霜かと疑う名詩だ▼・・・▼月への視線は様々だ。大きすぎ熱すぎる太陽に比べ、月は何とつつましく清冽で懐かしいか。編集工学者の松岡正剛さんはそう見立て、月を擁護する。「太陽は野暮、月は粋」と。凍てつく夜空にかかる月はまさに粋だ。
2015.12.29
私は今朝7時半ころ、正午での月齢17.7の月を見ました。
「季節はずれ」だなんて言わせない。美しいものはいつも美しいのです。人間の身勝手をもてあそばないこと。
★さて、「約19年周期」で、「ん?」と思われた方はいらっしゃいませんか?
昨年の冬至は「朔旦冬至」でした。冬至と朔が一致するできごと。
このことばを拝借すればさしづめ今年のクリスマスは「望聖夜」でしたか。
「朔旦冬至」については去年の12月29日の記事で私も扱いました。
「朔旦冬至」も「19年周期」なのでした。
太陽暦と陰暦の「周期が重ね合わされて生じる『うなり』」という形で解説しました。
↓
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-e163.html
2014年12月29日 (月)「朔旦(さくたん)冬至」
●「0ゼロ」で冬至と朔が一致しているとしましょう。
2.7年後、中気と朔が近づいて振幅が大きくなっていますが、これは冬至と近づいているのではないのです。1カ月ほどのずれが生じているのですね。そうなると、ある朔望月には中気が入らないという現象が生じ得ます。ずれてりゃいいんですけど、同期してくるとそういうことが起こる。ですから、中気のない月を閏月として挿入することになります。
そういう、閏月の挿入が必要となる中気と朔の同期がほぼ2.7年周期で生じます。
そして、7回目の同期の時=19年後に、冬至と朔のほぼ完全な一致が繰り返されることになります。
きちんと19という縦軸のところで最大振幅になっていますね。
◎ハイ!19年に一回、冬至と朔が一致するのです。
★
1朔望年=12.368266月=12+1/2.7154…
ですので、2.7年に1回の閏月で近似できるわけです。
★というわけで、周期的現象の重ね合わせとして暦の出来事「朔旦冬至」を考察してみました。
いかがでしたでしょうか。
冬至とクリスマスはちょっと出来事的に違いますが、冬至も毎年ほぼ同じ日時のことですから、似たようなものです。
ぜひ去年の私の記事をお読みください。
★それにしてもなあ
「月への視線は様々だ。大きすぎ熱すぎる太陽に比べ、月は何とつつましく清冽で懐かしいか。編集工学者の松岡正剛さんはそう見立て、月を擁護する。「太陽は野暮、月は粋」と。凍てつく夜空にかかる月はまさに粋だ。」
これは私にはまるっきり、完璧に、いただけませんね。
野暮で結構じゃないですか、すべての命は太陽に育てられているのですよ。
その野暮がなかったら、地球に生命はないのです。
太陽からエネルギーが流入しそして流出していく。そのエネルギーの流れのなかにこそ、のみ、生命が存在できるのです。
{地球自身も発熱していますが、太陽からのエネルギーには比べようもない}
月は太陽によって輝くのみ。月に生命を育てる能力はありません。
そうそう、月は太陽光を反射して輝いておりますよ、為念。