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2015年9月 3日 (木)

思い出話

★8月8日のデジタル朝日の記事の一部です。

廃線の予感にファン集う夏 北海道の駅、健さんロケ地も(2015年8月8日14時58分)
 乗り降りする客もまばらだったJR北海道の留萌線の駅に、鉄道ファンが詰めかけている。来年にも消える可能性がある鉄路を惜しみ、映画の舞台にもなった駅は、夏休みに入ってさらににぎわう。
 車窓に日本海を望んで走る留萌線の終着駅の増毛(ましけ)駅(増毛町)。ふだんは閑散としている1両編成のディーゼルカーから、休日の昼どきともなれば30~40人が降りてくる。車やバスでやってきた観光客も多く、列車が到着すると、一斉にカメラを構える姿も目立つ。
 駅員のいない駅舎に置かれたノートには、全国のファンがそれぞれの思いを書きつづっている。
 ・・・
 増毛駅は、昨年11月に亡くなった俳優の高倉健さん主演の映画「駅 STATION」(1981年)のロケ地としても知られる。
 ・・・

11日

留萌線の廃止方針を説明 JR北海道(2015年8月11日05時00分)
 JR北海道は10日、JR留萌(るもい)線(深川―増毛〈ましけ〉、66.8キロ)のうち、留萌―増毛間(16.7キロ)を来年度中に廃止する方針を沿線の留萌市と増毛町に説明した。
 ・・・

私は映画には興味がなくって、高倉健さんの映画「駅 STATION」(1981年)は知らないんです。でも「増毛」という名前は、ものすごく懐かしい。
私の増毛の思い出はもっと古い。1968年なんです。

★私が二十歳の年=1968年、大学の教養学部に在籍していたのですが、その教養学部の学生サークル「化学部」に属していました。化学部では長期の休みの期間に、僻地の中学校へ「化学実験教室」のようなものをやりに行くのが恒例でした。
小規模な学校では、予算の都合もあってなかなか薬品や器具の購入も思うようにならない。そこで、若いのが薬品や器具を背負って出かけていき、化学実験を生徒と一緒にやるんですね。化学部の恒例行事。
その年、その実験隊の隊長さんを仰せつかったのが私。北海道の教育委員会に手紙を書いて、学校を紹介していただいて、日程を詰めるなどのまとめ役をしました、
で、最初に訪問したのが増毛の中学校だったのです。
かつてニシン漁で栄えた漁港だったと思います。
実験の授業は楽しかったな。汚い白衣の隊長さん、と親しまれましたっけ。
合間には岩浜の海岸へ行って泳いだり潜ったり。
ナマコを採ってきて裂いて海水で洗って食べたり。
ウニを採ってきて、生で食べるのもおいしいけれど、貝殻に盛って、たき火で表面を焼いた焼きウニにして食べるのも最高なんです。堪能したなぁ。
そこへ通りかかった漁師さんが、お、東京の学生さんなかなかやるね、ウニあげるよ、でも只じゃかえって気にするだろうから10円で売る。と、ザルに山盛りのウニを10円で買って、満腹しましたよ。ウニで満腹なんてあの時だけですね。
朝には搾りたての原乳を一升瓶に一本もらったり。
移動前の夜、浜鍋をやってくださって。海岸で、岩でかまどを組んで、大鍋で魚介類やら野菜やら煮て食べるんですが。
地区ごとに味付けの違う3つの鍋を、全部賞味して歩いたら、もう食道まで腹いっぱい。うまかったぁ。
移動の日、浜益というところへ移動したのですが、陸路だとすごい遠回り。
おう船で乗せてってやらぁ、と漁船に乗ってポンポンポン。
地元の人しか見られない海を満喫して浜益へ行ったのでした。

★さて、これが増毛の思い出の基本部分ですが。
今回、新たに気付いたこと。
三国清三さんが増毛の生まれだということは何かで前に知っていたのですが・・・

(おやじのせなか)三国清三さん 人生の荒波「直角にぶつかれ」(デジタル朝日 2015年8月21日05時00分)
 おやじは北海道の漁師。手こぎの舟で昆布やアワビ、ウニなどをとっていました。口数は少なかったけど、周りからは「名人」なんて呼ばれて、腕は良かったみたい。
 小学3年生のころから、おやじと2人でよく漁に出ました。生活がかかってるから、少しぐらい海がしけても漁に行くんだよね。そうすると、波が高くて怖い。そんなとき、おやじからよく言われました。「波に直角にぶつかっていけ」。びびって舟を横にしたら、波にのみ込まれちゃう。
 この言葉が、すごく印象に残っててね。人生のあらゆる場面に通じるんです。直角で真っすぐに、体当たりでもないけど勇気を持って、怖がらずに。そうすれば、道は必ず開ける。人生の節目で迷ったとき、いつも自分を支えてくれました。
 料理人としての味覚を育ててくれたのも、おやじと一緒に歩いた故郷の海辺です。しけて漁に出られない日は、早朝に一緒に浜を歩き、流れ着いたホヤを拾って食べました。おやつ代わりです。海水で洗って、そのままかぶりつく。
 ホヤは「海のパイナップル」と言って、甘み、酸味、塩味、苦み、うまみの「五味」がすべて詰まっています。これで、舌が鍛えられました。
(後略)
     *
 みくに・きよみ 1954年生まれ。帝国ホテルなどで修業し、20歳で在スイス日本大使館料理長。帰国後、東京・四谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開店。子どもの食育にも取り組む。「現代の名工」でもある。

えっ!1954年生まれでいらっしゃる!
私が増毛に行ったのは1968年。そうするとそのとき三国さんは14歳、中学生じゃないですか!
えっ、あの時の化学実験教室で、私ら三国さんと出会ってたんじゃないか?知らなかったなぁ。
ウニを10円で譲ってくれた漁師さん、船で送ってくれた漁師さんたち、三国さんのお父さんもいたんだなぁ。
浜鍋一緒に食べたよなぁ。先生!こっちの鍋食べて!こっちの鍋も!!
あの中で、一瞬の出会いがあったようですね。
なんとも、感慨深いものがあります。
人生って、御縁って、不思議だなぁ。

★実は、私的なことですが、もう一つ。
隊を組んで中学校を回り終えて、解散。
周遊券の有効期限は残ってますから、みんなそれぞれ勝手に「カニ族」として散らばっていったのですが。
稚内の駅で待合室から追い出されて、雨の中、軒下で寝袋で寝たっけな。
網走では、お寺の納骨室の隣の小部屋に泊まらせてもらったな。御礼に竹箒で庭をきれいに掃いたっけ。
摩周湖へ行ったら、ものすごい霧で、霧の摩周湖なんてものじゃなくって、「摩周湖の霧」という灰色一色の写真を撮ったっけ。
癪なので、旅程のある旅じゃなし、翌日もう一回摩周湖へ行きましたよ。
で、そこで、大学生時代の「妻」と出会ったのでした。私の一目惚れ。1968年の夏でした。

★調べてみたら、その後も「続いている」らしい。
http://www.hfbs.or.jp/
平成基礎科学財団

第5回「小柴昌俊科学教育賞」結果発表 -2009年3月22日-
(中略)
-奨励賞-(3件)
*「北海道・東北地方の中学校での化学実験教室の実施」
            -東京大学教養学部化学部 代表者 田中 成
   学生の課外サークルの一つである化学部が、50年にわたり続けられてきた伝統と蓄積されたノウハウを受け継いで、教養学部が秋休みになる時期に、同地域の中学を毎年訪問し(半世紀で延べ100校以上)、化学の本質に触れる魅力的な化学実験を学生たちが自主的に計画し準備して、中学生たちに体験させているプログラム

ふ~ん。私もその「50年にわたり続けられてきた伝統と蓄積されたノウハウ」の一部なんですねぇ。
で、このサイトを読んでいたら

第5回「小柴昌俊科学教育賞」に関する経過報告
2009年2月24日
小柴昌俊科学教育賞選考委員会:委員長 朽津 耕三

あらら、朽津先生だ!先生は、私が化学科に進学した時の「担任」なのであります。{卒研はまた別の教室でやりましたが。}
朽津先生と小柴先生はこれがまた。一高の寮で同じ部屋で生活していたと聞いております。
人生の糸ってというものは、いろいろ「絡みあっている」ものなんだなぁ。

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