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2015年7月24日 (金)

ハナニアラシノタトヘモアルゾ

★朝日新聞の連載から。

折々のことば:107 鷲田清一
2015年7月19日05時00分

 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 (井伏鱒二)

     ◇
 なんという超訳。原文は、唐代の詩人、于武陵(うぶりょう)の「勧酒」のなかの「花発多風雨/人生足別離」という一節。花は咲いてもやがて風雨に散る、人生には別れがつきものだ、と詩人は詠む。人生は、出会いよりも別れのほうが後に引くみたい。「厄除(やくよ)け詩集」から。ちなみに寺山修司はこれを承(う)けて、「さよならだけが人生ならば……人生なんかいりません」と詩に書きつけた。

私はへそ曲がりなものですから、すぐ言い返したくなる。

花に嵐のたとえもあれど
時至らざれば花散らず
(かかし)

桜は散り際が見事、とか言いますけど。
3月末、ソメイヨシノが咲いて、春の強風が吹いて、散ったかなと見に行けば全然散っていないことも多いのです。
桜だって、散る時を知っている。そして
時至らざれば散らず、なんですよ。
この件、何度も書いていますね、ワタシ。

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-8668-1.html
2014年2月26日 (水)「クロッカス」

花というものはタフなものです。
次々と咲き継いでいきます。

「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」とか「花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ」とか、それは一面の真実ですが、その物語の枠で世界を見ないようにしましょう。
花の姿をキチンと見ましょうよ。時を共にして生きる「仲間」なんですから。
どっこいそう簡単にはくたばらないぜ、しぶとく行こうやご同輩、と言っているかもしれませんよ。

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-ca9c-1.html
2015年6月30日 (火)「コスモス」

タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。
{If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.}

花の命は短くて・・・とか、どうも、花には「はかないイメージ」がつきまといますが、同じ生きものですもの、タフなんです、っ。
そして花を咲かせて実を結ぶ、その優しさを「美しい」というのです。

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/post-aa02.html
2014年10月30日 (木)「スイセン」

花は決して儚くないです。
だって生きるってそういうことでしょ。

フィリップ・マーロウさんもそう言ってます。
「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」
「If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.」
って。
これって、花の生き方そのものだと思うけどな。優しく美しくタフ。

切り花を飾って、色や香りを楽しむだけなら、花はしぼみ散るだけですが。
花というものは、植物が世代を繋ごうとする重要な活動なのですから、そうそう儚くなんかやってられますかって。しぶとくなければ次世代が作れないじゃないですか。

生物として、今、この時空間を共有する「いきもの」としての仲間なのです。
一緒に生きていきましょう。

★どうにも、この「へそ曲がり」は幼年時代から変わりませんで。
親に、お前は「万年社会党だ」と言われていましたっけ。
兄貴は「融通機関長」{ゆうづうが、きかない(きかん)ひと}のへそ曲がりだったし。

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