桜坂
2015.3.27
桜坂の上です。
写真右下隅に、前回の東京オリンピックの時に建てられた旗の掲揚台があります。
今度のオリンピックにはまるっきり関心のない私。
騒ぎは嫌いだ。
桜坂上から桜橋までの短い区間しか桜の見ごろの場所がありません。
以前は桜橋から下にも桜の木があったのですが、今はないし。
今ある木も樹勢が衰えています。
30年前のあのものすごい咲き方はもう望むべくもありません。
大田区が、少し若木を植えました。
今はまだ頼り無い若木が、30年後にはきっと豪勢な花を咲かせるでしょう。
どんどん世代交代させていかなければ維持できない、というのがソメイヨシノの性(さが)ですね。
4月5日の朝日新聞・天声人語の冒頭から引用。
(天声人語)民主主義という樹木(2015年4月5日05時00分汩
「花発(ひら)けば風雨多し」の詩句どおり、数日来、関東から西では億万の花びらが雨風にさらわれた。落花に心騒ぎつつ、強風に倒れた桜はなかったかと気にかかる。ソメイヨシノの老木化が全国で進んでいる▼寿命は60年から80年といわれ、戦後間もない頃に各地で植えられた木がその齢(よわい)になりつつある。根元や幹にキノコの類が生えていれば危うい。木槌(きづち)でたたいて音を聞き、変な音なら中が腐り、空洞のできている可能性があるそうだ。・・・
これを読んで、思わず笑ってしまいました。
「戦後間もないころに」いっぱい生まれて、「寿命は60年から80年」といえば、これはまさに団塊の世代そのものではないですか。そう「老木化が全国で進んで」いますねぇ。
さっさと世代交代を進めないといけませんね。
桜坂よりも、坂の下の六郷用水跡の水路沿いの桜の方が見ごたえがありますよ。
30年ほど前に水路の整備をしたときに植えられた若木が、今、最盛期に入っているのです。
もし、桜坂を見ようと思う方がいらっしゃいましたら、来年はぜひ、六郷用水沿いに散歩なさってください。お勧めします。
桜の季節もほぼ終わりましたが、一斉に咲き誇るソメイヨシノの「妖艶」さが、日常性に対してある種の「裂け目」を垣間見せるのではないか、という気がしています。
桜の木の下には・・・というのは、死という日常性の裂け目との対比を花に見ているのではないでしょうか。
「花見」という「まつり」も日常性のある種の破綻において盛り上がるのではないですか?
ハレとケ。
ハレである「まつり」おいて夜通し踊り続けることができるというようなことは、日常性の破れ目があるからではないですか?
まつりは非日常。
死も非日常。
桜もひょっとして非日常。
そんなことを考えています。まだ続きがあるのですが、思考がうまくまとまりません。
{障害者という存在は、健常者の日常に対して、裂け目を提示するものでありうるのではないか。というような、考えなんですけどね。}
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