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2015年3月 5日 (木)

元祖・揚げパン

0220_19agepan1 2015.2.20
宣伝する気はないのですが、ぼかしてもしょうがないからそのまま。
「大田区鵜の木発祥地」とあります。
0220_19agepan2
袋の中身はこれ。
妻が1kmほど離れた鵜の木駅の方まで買い物がてらの散歩に行って買ってきました。

http://www.tokyu-etomo.com/station/unoki/shop/177
「東急エトモ」というのが新しく展開し始めたようなのです。

「駅と、もっと 街と、もっと」。東急沿線で『etomo:エトモ』が始まります。
毎日の生活の中で東急沿線の駅を利用する皆さんに、東急沿線の街で暮らす皆さんに、その駅と街を、もっと便利に快適に楽しんでいただくために。そして、もっと好きになっていただくために。私たちの新しい駅商業施設『etomo:エトモ』が始まります。まずは、江田から。そのネーミングには、駅と街と共に、駅と街と友だちに、駅と街と「もっと」、駅×tommorow、駅×tokyuの街×more などの思いを込めました。駅と、街と、もっと仲よくなれる明日へ。東急は、皆さんと一緒に向かいます。

ということで、駅構内から買う売店ではなく、駅に接する商店という形で、(少なくとも)鵜の木では始まりました。
で、その一つに「東京あげパン」という店があるのです。
今一つ、エトモのコンセプトを理解していませんが、まあ、いいや。
新聞の折り込み広告で「エトモ」って広告が入ってた時は、ただ混乱するだけでしたから、若干の理解は進んだのですけどね。

★さて「発祥の地」とは?
朝日新聞の記事で読んだことがありまして。私の個人データベースを検索したら、2014年に出てました。

(栄養をたどって 戦後70年:2)揚げパンと立ち上がった(2014年7月18日16時30分)
 給食の思い出は世代で違うだろう。50代半ばなら、脱脂粉乳、先割れスプーン、銀紙包みのマーガリン……。
 ・・・
 うどんやスパゲティも出たが、給食といえばパンだった。食パンにコッペパン、一番人気は揚げパン。砂糖と油で指をべたべたにしてぱくついた。ヘルシーと言い難いので、とうに消えたと思い込んでいたが、きなこやシナモンをまぶして、生き残っているという。
 その揚げパン、発祥の地は東京都大田区らしい。区のPR映像で「なんと大田区の嶺町小学校で考案されました」と紹介されている。保健給食係に聞くと「断定は出来ないが、嶺町小学校の調理師、篠原常吉さんが考案したと推察される」という。
 きっかけは98年に出版された「なつかしの給食・献立表」という本だった。
 篠原常吉さんの次女、村岡玲子さんは本を買って次のくだりに目をとめた。「揚げパンがいつどこで、どのようにして生まれたかは、ついにわからなかった」
 在りし日の父の姿が浮かんだ。確か、弟が小学校に入った52年ごろのことだ。
 「いいのが出来たよ」。学校で作ってみた、と父が差し出したのが、わら半紙に包んだ揚げパンだった。「父はよほどうれしかったんでしょうね」。あとにも先にも料理を持ち帰ったのはその日だけ。明治生まれの正直者だった。
 村岡さんは本を読んで、父こそ揚げパンの考案者かもしれないと考え、当時の嶺町小学校関係者を訪ねてみた。
 「確かにお父さんが考え出したんですよ」。インフルエンザがはやって、コッペパンがたくさん残ってしまった。放っておけば硬くなって食べられない。常吉さんが「揚げてみようか」と思いついたと話してくれた。
 村岡さんが、この話を大田区に報告すると、現役の学校栄養士のグループがルーツ究明に乗り出した。
 嶺町小学校の記録はなかったが、54年に区内の別の小学校で揚げパンが出されたこと、常吉さんは大田チームの代表として都の給食調理コンクールで優勝するなど、影響力があったことがわかった。戦後のパン給食が50年に始まったことと村岡さんの記憶もあわせて「52年ごろ常吉さんが考案、区内の学校へ、全国へと広がった」と結論した。「うちのほうが早かった」という申し出はまだない。
 ・・・

私が小学校に入ったのは1955年かな。1年生の時は大田区にいました、2年から世田谷区です。
小学校の記憶ってほとんどない。1年の時の教室は理科室を転用した教室だった、ということは後で気づいたことだしな。
50人学級が10クラス以上とか、そんな団塊の餓鬼。
何を食べたか定かな記憶もない。ただ、1年生の給食の初めの頃、私は出席番号が非常に若いので、給食を始めるときのあいさつ係が早く来た。さすがに緊張して、「いただきま~す」と叫ぶべきところを間違えて「ごちそうさま~」と叫んで大爆笑になったことは恥ずかしさと共に残るかすかな記憶です。
脱脂粉乳がおいしくってね、お代わりして飲んでましたね。そう話すとみんなから白い目で見られるけど、ホント。
もちろん本物の牛乳がたまに出ると、もう、たまらなくおいしくって、がぶがぶ飲んでました。
さて、あげパンの記憶はよくわからない。
食べたんだろうなぁ。コッペパンが普通で、食パンもたまに。チョコパンなんてなかったっけ。
あげパン、う~む、なんです。

で、発祥の地とされるのが「嶺町小学校」ときましたね。
理科補助員として短い間でしたが勤務した学校ですね。
今は改築して、私が勤務した理科室は変わってしまったように外からは見えます。
我が家から1kmもないです。鵜の木へ行く途中だもんな。
嶺町小は「大田区鵜の木」にはないんだけどな。「大田区鵜の木発祥地」というには少しずれがあるようですけど。まあいいか。
あげパン発祥の地の地元民です。
多摩川線に乗ることがもしありましたら思い出してください。

http://www.agepan.jp/

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