ツマグロオオヨコバイ
2014.11.24
見る側の心理によるのですが、どこか物寂しそうな2匹。
もう繁殖の時期じゃないでしょうからね。
生きられる限りを生きる。
穏やかなものです。
私もかくありたい。
★別件
(ニュースの扉)ドリアン助川さんと考える終活 人生の店じまい、記憶もつなぐ(朝日新聞、2014年12月8日)
もう一つの目玉は、ひつぎに入ってみるコーナー。
ドリアンさんはすっきりした顔で「ぼくたちの人生って、葉っぱの上の水滴のようなものじゃないかな」と語る。
「太陽の光にキラキラして、でも、午後には消えてしまう。自分を存在させ、やがて奪い去るものを、ある人は神と言い、ぼくは『時』と呼びます。それといかに良い関係をつくり、最期までキラキラするか。『こんな最期を迎えたい』と相談し、一緒に考えてくれる人がいるのはいいことです」
「ただ……」と付け加えた。「死にとらわれすぎるのもよくないですね。もっと自由な死のあり方があっていい、ということは、もっと自由な生き方があっていいということ。終活のために生きてるんじゃありませんからね」(磯村健太郎)
■ドリアンの目 「泣かないで」棺おけで念じた
葬儀にはしきたりがつきものだ。棺おけに入るのは初めてだったので、左右どちらの足から縁をまたげば失礼がないのか、一瞬迷った。
だが、考えてみれば、本当の葬儀では自力で棺おけに入る人はあまりいないだろう。すべては人様がしてくれるのだから、作法を気にする必要はないのだ。
棺おけに納まり、天を見上げる。ここでも人様の存在を強く感じた。スタッフの皆さんとは面識がない。それなのに真摯(しんし)に私を見つめ、棺おけを囲んで下さる。
ああ、人は最後まで出会いなのだなと思った。昨日まで知らなかった人にいたわってもらい、あの世へと旅立つ。
・・・
生老病死を四苦といいますが、生に執着し、その生が病・老・死によって「思うようにならない」ことが「苦」なんですね。
普通、そういえばそれで済むのですが、ドリアンさんの「死にとらわれすぎるのもよくない」という指摘はすごく重要だと思います。
生への執着は苦を生みますが、死への執着も苦を生むのです。
これはあまり言われていないな。日本の坊さんもあまりこんなこと考えてないだろう。
むしろ、死にまつわる諸々のこと、を生業としてしまっているという意味では、坊さんは「死に執着」してますね。坊さんなんて苦の多い方々のように見受けますね。
棺桶に入る体験には笑った。どっちの足からまたげばいいんだ?う~む、小笠原流の先生にでも聞いてみるか。
考えてみると、それもいいなあ。
そろそろおしまいだな、棺桶に入って点滴つけて心電計つけて、そのまんま逝こう、なんてちょっと「カッコよく」ないですか。
棺桶ベッドというのを売り出さないかなぁ。
(be between 読者とつくる)終活していますか?(朝日新聞 2014年12月6日)
・・・
「終(つい)という文字が死をイメージするようで、抵抗感を持つ方が多い」と、福岡市で終活セミナーを主催する○○(56)は話す。終活の目的は、終を見つめ、残りの人生をどう生きるかを自身に問いかけてみること。
・・・
なんだかなぁ、終活って、死ぬ準備なのじゃないんですか、「死をイメージするようで、抵抗感」ですって。何考えてんだかね。
生きてるうちに自分の死の準備しときましょ、っていうのじゃないのかなぁ。
あきれました。
また別にお話しする機会もありそうな気がしますが
「終活なんておやめなさい」ひろさちや 著、青春新書プレイブックス、2014.8.15
これいい本ですよ。
え~そうなの!?という読書体験ができると思います。
「終活」で「青春」で「PLAYBOOKS」だもんなぁ、取り合わせもいいなぁ。
終活なんて究極の「欲望」であり「執着」でしょ。終活は苦を生みますよ。
やすらかに参りましょう。
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