東京スカイツリー
2014.7.10
二人が浅草へ行った日は、台風が近づいてくるというどんよりした日でした。
スカイツリーが雲の中に頭を突っ込んでいた。
台風も近づいていたので、この日はスカイツリーに行っても展望台へは上がれなかったようです。
しっかしまぁ、さすがに「雲を衝く」高さですね。
スカイツリーの近くまで行ってからの撮影。
この時は雲が上昇していたようです。
建設中からいろいろな写真を見てきましたが、こういう写真は初めて見る。
保守・点検などのためでしょう、通路や階段が見えます。
そうだよなぁ、こういうのがちゃんとなければ、維持していけないですよね。
いいものを見た。
スカイツリーに関する大量の報道に接しましたが、技術的な側面などは少なかった。
報道はただ騒げばよいというものじゃないでしょうに。
報道の質が低下していると感じます、最近とみに。
★ところで、ある訃報に接しました。
田中弥寿雄・早大名誉教授が死去 東京タワーの構造設計(朝日新聞 2014年7月21日)
田中弥寿雄さん(たなか・やすお=早稲田大名誉教授・建築学)が19日、肺がんで死去、84歳。
・・・
東京タワーや通天閣、名古屋テレビ塔の構造設計に従事した。
東京タワーは昭和33年(1958年)に完成でしたね。私は10歳、小5かな。
当時の新聞記事に、東京タワーを設計した技術者、という紹介記事があったのです。
胸ポケットに白い「計算尺」が突っ込んであって、「構造計算はこれ一つでやった」というようなことが書いてありました。
そのころ兄がもう高校生で、計算尺を持っていましたが30cm位ある大きなもの。
胸ポケットに入る小さな計算尺で、あの東京タワーの計算ができるんだ!と感激したものでした。(電卓などというものは、はるか後にならないと出てきません。念のため)
で、小学生としては計算尺にあこがれましたが、中学生になったら、私立だったせいでカリキュラムの自由度が高かったらしい、中1の1学期の代数の授業は「計算尺の練習」だったのですね。もう、嬉しかったな。有効数字は3桁、位取りは自分で管理する、楽しい授業でした。これは後に理科系へ進んだ私には最高の基礎訓練でした、今でも感謝しています。(幾何という授業もあって、ユークリッド幾何を定義・公理から始めて学んだのでした。)
話がそれました。
あの時、新聞で紹介されていた技術者が、田中さんだったのかもしれませんね。
少年の私があこがれた方だったかも。
合掌 瞑目。
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