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2014年4月14日 (月)

STAP細胞

後出しじゃんけんですみません。
★第一報の時に私が感じた疑問点。
1月30日の記事から

 <新型万能細胞(STAP細胞)の作り方>
 研究グループの説明によると、STAP細胞を作るには、まずマウスのリンパ球などの細胞をpH5.7、温度37度の液体に25分間浸す。8割の細胞は死ぬが、上澄みを取り除いてから培養すると、瀕死の状態を乗り越えて生き残った細胞のうち3分の1から半分がSTAP細胞になる。

妻と話していた私の発言。「pH5.7って酸性かよ?」

 小保方氏らが1月末に説明していたSTAP細胞の作り方はこうだ。マウスのリンパ球などの細胞を37度の弱酸性液に25分間浸し、それを培養すると、数日後に新しい万能細胞になる――。

これは4月10日の記事。

★元高校化学教師としましては、ちょっと有名な入試問題があるのですね。

問:25℃の純水に、空気を長く接触させて平衡状態に到達させた。この水溶液のpHを計算せよ。
ただし、空気中の二酸化炭素の体積百分率は0.03%とし、25℃、1気圧の二酸化炭素は、1mLの水に標準状態に換算して0.76mL溶ける。{電離定数は省略}
答:「pH 5.7」になるのです。(計算は省略します)
{現在は、空気中の二酸化炭素濃度は0.04%くらいですから、もう少し酸性側かもしれません。}

高校化学を習った方なら、pH7が中性で、7より小さいと酸性、7より大きいとアルカリ性、と習ったことを覚えていると思います。
ですから、「pH5.7は弱酸性」ということに疑問は覚えないと思います。
確かにね。
でも、自然界で降る自然の雨は二酸化炭素が十分に溶けていますからね、pHは5.7くらいなんですよ。
ですから「酸性雨」というのはpH5.6以下の雨のことをいうのですね。
私は授業では「『自然界の水の中性』はpH5.6~5.7程度と言った方がいいかもね」と話したものです。

実験室に置いてある純水なり蒸留水も放置しておくとpHが5.7に近づいてしまうんですね。

さて、生物の体内のpHは確かにほぼ7に保たれます。生物種によってpHの値も異なりますけれど。
ですから、マウスのリンパ球などが、pH5.7にさらされたら、確かに弱酸性環境にさらされた、ということではあるでしょうが、それって、細胞の分化を全部解除してしまうようなものすごいストレスなのかな、というところが私の不審点。
手にケガをしたら、傷口の細胞はpH5.7くらいには軽くさらされてしまいますねぇ。
上皮細胞は相当なpH変化に耐えられます。

私が疑っているのは、この実験、浸透圧はちゃんと等張に調製してあったんだろうかな?というところ。(いろいろずさんなことが出てきてしまいましたから)

点滴で有名なリンゲル液を調べてみたら、

pH:5.0~7.5
浸透圧比:0.9~1.1

とか

性状
    pH 約6.4(製造直後の平均実測値)、5.0~7.5(規格値)
浸透圧比
    約1(生理食塩液に対する比)

こうなんですね。
なんといいましょうか。
STAP細胞製作の条件って、ほとんど「リンゲル液に細胞を25分くらい浸した」というのと同じように見えますね。
これでは、どうもSTAP現象を起こす強いストレスとは言えないんじゃないの?という疑問を持ちます。
実験の詳細が分からないままですが。
ひょっとして、実験室の純水=「pH5.7のただの水」に細胞をさらしませんでしたか?
浸透圧を調整してないまま。
そうすると、細胞は水が浸透してきて破裂しそうな危機的状況にさらされますね。
そのくらいだったらひょっとして、分化が解除されてしまうくらいのストレスかもしれない。

というような、ことが私の頭をよぎるわけです。
そのうち真実が明らかにされるでしょう。
私の推測が誤っていることを期待します。

★実はもう一つ、STAP細胞の発表の新聞を読みながら妻に話したことがあります。
これって、細胞の癌化と似たようなものじゃないの?
ということ。
山際勝三郎氏が、ウサギの耳やマウスの背中にコールタールを塗って人工的に癌を作ったというのは非常に有名な話。
コールタールを塗るということが強いストレスを細胞に与えて、癌化を惹き起こしたわけです。
癌は分化の完全な解除ではありませんが、本来死ぬはずの細胞が、分裂限界を解除してしまって死ななくなるということですね。有名なHeLa細胞は1951年に亡くなった患者さんから分離したものです。そこからでももう60年以上分裂を続けて生き続けているわけです。

なんだかなぁ、STAP現象って、癌化と似たようなものかもしれないなぁ、と私は思ってしまうわけでした。

★余談
本来、死すべき自分の身体の中に「不死」を抱え込むことが「癌」であるように思えます。
不死は恐ろしい。
死に直面することは恐ろしいとよく言いますが、私には、不死と直面することの方がよほど恐ろしいことのように思えます。
ラ・ロシュフーコーの箴言でしたか「太陽も死も直視できない」とは。
どうして?
人が死ななくなったら、社会は停止し、社会が死ぬんでしょ。
新しい人が生まれ育つことはできなくなるんだから。
古い人がのさばって、そのまんまなんでしょ?
「個人の不死は人類の死」そのものでしょ。
私が死ぬことができる、とは幸せなことではないですか。
進化の過程で、私たちは死を獲得したんですよ。
そして新しいものたちへの道を開く。
死ぬということは、新しき者たちのために、大事な仕事なのです。

かかしのNew箴言「太陽も不死も直視できない」
不死、こんな恐ろしいことはないですね。

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