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2014年3月27日 (木)

パラリンピック

★「人はできることをする
それだけ。
『不可能は可能にできる』なんて真っ赤なウソでしょ。

やっと、ソチ・パラリンピックが終わって、息苦しさから脱け出しました。
閉会式で「impossible」を「I’m possible」に変えるという演出をしたらしいですね。
最後の最後まで鬱陶しいこっちゃ。

単純な話。
不可能なことはできないんです。できないからこそ不可能というのです。
可能なことを限りなく追及していくことは可能なのです

大事なのはね、自分を自分で限定してはいけないよ、ということなのです。
「夢はかなう」というのはある種の自己限定ですね。
早い年齢から「夢を持て」なんて勧めるのは自分に枠をはめなさい、その枠の中で生きなさい、と言っているようなものです。
夢がかなうなんてのは真っ赤なウソですからね。
夢の実現のために必要なことだけを学んで、いらないものは無駄だと言って放棄する。
これって、完全な自己限定じゃないですか。
それじゃあ、人間 大成しないね。
夢を持つのは悪くはない。ぼんやりした夢でいい、ぼんやりした夢の方がいい。
そして、いろいろたくさん吸収して、自分が成長するにつれて夢もまた成長して姿がはっきりしてくる。
そういうように導いてあげたいですね。役に立たないものなんて人生にありはしないんです。

おそらく大事なのは夢じゃなくって好奇心でしょう。
面白いと感じるものを追及していく。
その結果、人生どういう風に生きていくことになるかは、まぁ、風任せでいいじゃないですか。
人間、どこでどのように生きたって「一生」。
やれるだけのことをやればいいのです。
その人がやったことの総体をその人の能力というのです。

やってみなけりゃわからんことを、やらずにうじうじしてるわけにはいかんでしょ。

夢やら、ふるさとやら、変なものに固着しないことが肝要。

★私は根っからの障害者。ですから、障害と共にある自分、という意識はかなり早くから生じていました。
障害があるからこその私であって、私の思想は障害とともにあるのです。
ところが、パラリンピックに出る方の多くは、途中障害者。
健常者だった方が、何かの原因で障害者になった。
それを「挫折」ととらえていらっしゃる。
健常者として生きるはずだったのが「何にもできない障害者」に自分がなってしまった。
何で自分だけが。というのを経験したでしょうね。
その上で、スポーツを見出し、「障害を乗り越えて」打ち込んだ。
何にもできなくなっちゃった、と思い込んでいたのが、今度は、やれば何でもできるんだにひっくり返ってしまう。
で「金メダルを目指して」闘ってしまうんだなぁ。
国を背負って代理戦争なんかしない方がいいですよ。
本物の戦争では、障害者なんかいともあっさりと「非国民」にされちゃうんだから。
戦争は究極の「効率」追及なのです。効率の悪い障害者なんかお荷物にされちゃうんだから。

せっかく障害者になれたんだから、せっかく「競争・効率」という原理から遠い位置でものを見ることができるようになったのですから、それを生かしましょうよ。

★ここまで書いてきて、そうだ、前にもパラリンピックについて書いたことがある、と思い出しました。
↓「案山子庵雑記」にありました。2006年の記事です。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/disablty.htm
パラリンピックはキライです(2006.03.06)

その終わりの方を引用します。

●脊髄損傷の方々は、健常だった時代を経験してから障害者になられた方も多いのでしょうね。「何で自分だけが」「障害さえなければ」というような思いはとても強いのだと思います。私のように、記憶などない満1歳でポリオに罹患した者は、障害者であることが当たり前で、その上に自分の自己形成を行なったのですから、ちょっと脊髄損傷の方々の思い入れとは違ってしまうのでしょう。
●ですから、障害者にはなったけれど、色々なことができるんだ、「やればできる」という感覚が強いのかな。でもね、肉体的なDisabilityを抱えたことは事実なんだし、できないことはいくらがんばったってできはしないのです。それはあたりまえ。
 「自分の能力を超えることができた」なんてのは嘘っぱち。能力の限界と決め込んでいた線を踏み出してみただけでしょ。人間は、できることしかできない、というのは、これも当たり前なのですよ。
 競うべきは「他者」ではないのです。自分自身の能力をどこまで推し進めていけるか、自分はここまで、と決めつけてしまうのは楽なことなので、そういう楽したい自分だけが競うべき相手です。スポーツのこういう性格がよりはっきり出るのが障害者スポーツではないでしょうか。体を動かせるということは最高に楽しいことです。スポーツの原点って、体を動かして楽しむっていうことなのではないでしょうか。
●スポーツをするということは、自分自身を突き詰めていく作業でもあるのです。
●障害者であることを隠すことはないし、卑下することもないし、かといって優越感に浸るのも逆差別だし、自分が自分であることをありのまま生きればいいんでしょ。そこまでいってみれば、それって、健常者だって同じじゃないですか。
●「障害を超えて」ではないのです、「障害と共に」「障害があるからこそ」の生き方を健常者の方々に提示して、健常者が囚われている競争原理への強い執着を解き放つ一助になりたいな、と思うのです。

こんなのもありました↓

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/IsItFair.htm
それって、フェアですか?(2006.04.25)

ぜひお読みください。

★なんだ、何にも変わってないじゃないか。進歩ねぇなぁ。
というのが自分自身の感想。
何か新たな視点を開発しないと、単なる「傷のついたレコード」になってしまいそうだ。
考えなくっちゃ。

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