記憶をたどって
★単なる思い出話です。他人の思い出なんて面白いわけはないのですからして、読まずに次の記事へ行っていただいて結構です。
朝日新聞の記事から引用
東京都心は8日深夜に積雪が27センチに達し、30センチを記録した1969年3月以来、45年ぶりの大雪に。
■東京都心の過去の積雪量順位
年月日 センチ
1883年2月 8日 46
1945年2月22日 38
1936年2月23日 36
★1951年2月15日 33
1887年1月18日 31
★1969年3月12日 30
★1954年1月25日 〃
1925年1月30日 27
1892年2月19日 25
★1994年2月12日 23
★1968年2月16日 〃
(月ごとに最も高い値を抽出、気象庁データ。★は戦後)
★さて、さすがに1951年の大雪の記憶はないなぁ。(3歳ちょっと前)
★1954年の大雪の記憶があるように思います。(6歳ちょっと前)
一家4人で2階一間の借間で暮らしていました。
通りから奥まった突き当り。
私は未就学。兄貴は小学生。
で、大雪で通りまで出られない。親父がスコップ持って、人一人分の幅の「雪の溝」を掘り進んでいった後姿を覚えている気がします。
★1968年は大学生。(20歳ちょっと前)
前年、1967年に建国記念の日が始まった。その日はやはり雪だったはず。その時私は受験生。ニュースで、大学生たちが抗議の自主登校する姿が報ぜられて、大学生になると、自分の意思をああいう風に表明できるんだなぁ、と憧れましたっけ。
その雪の残る中、大学に願書提出に行った、これは鮮明に覚えています。
★68年、69年は大学闘争の年。覚えています。69年の3月の雪も覚えています。
対立する学生間で、普段は投石しあっていたのですが、この時は雪合戦。安心して投げ合っていたら、雪玉の中に石が入っていたりして、激怒しましたっけ。
68年の夏、後に妻となる美しい女性と出会ったのでありました。雪の話じゃないけど。
68年に二十歳になって、69年の1月が成人式。その日は秩父宮ラグビー場で機動隊に追いかけられて逃げ回っていましたっけ。すごい成人でしたでしょ。
★1994年に勤務していた学校では、体育館と教室棟の間に積もった雪に足を滑らせて生徒が頭を打つという事故がありました。救急車を呼びましたっけ。幸い重大なことにはならなかったのですが。
都立高校の入試の頃によく雪が降りました。受験生のために雪かきしたこともずいぶんありました。
雪が解けなくって、校舎の北側の地面に建った受水槽の水が凍ってしまい、トイレが使えなくなって短縮授業で切り上げたこともあったなぁ。
大雪の中、足の骨折で松葉づえついてタクシーで受験に来た生徒がいて、会場まで案内したり、ストーブを通常より早くから点火してあげたり、お世話しました。
その生徒、合格しまして、私の担任のクラスになった。
お前を担任するとは思わなかったぜ。
先生が担任になるとは思わなかったぜ。
とまあ、縁というものは不思議なものです。
★いや、思い出せばいろいろあります。個人的な話でスミマセンでした。
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