ボルタ電池は素性が悪い
★電池というものをきちんと理解するために重要なことは
・電子を出す物質は何か(負極活物質)
・電子を受け取る物質は何か(正極活物質)
・電池内部で、イオンの移動はできるけれど、電子の直接のやり取りを防いでいる機構はどうなっているか(セパレーター)
この3点です。
その点で、日本の学校で扱われる「ボルタ電池」は非常に「素性が悪い」のです。
現在、ボルタ電池というと、高校化学では、亜鉛板と銅板を希硫酸にひたして作ることになっています。
この場合、負極活物質が亜鉛であることは確かです。
希硫酸は液体なので、(敢えて亜鉛版と銅板を硫酸中で接触させない限り)液体中を電子は移動しませんから、硫酸が「液体であること」がセパレーターとして働いています。
さて、問題は正極活物質です。
銅板は正極活物質ではありません。
銅の表面はほとんどの場合酸化されて酸化銅(Ⅰ)か酸化銅(Ⅱ)ができています。
ですから、硫酸に極板を入れた直後は、水素イオンの存在下に酸化銅(ⅠorⅡ)が正極活物質として電子を受け取っていると思われます。
でも、量が少ないので、すぐ酸化銅はなくなってしまう。
すると、水素イオンが正極活物質として電子を受け取らなければなりませんが、これは(詳しくは解説しませんが)効率が良くない。
そうすると、電池の構造上、正極活物質である水素イオンと負極活物質である亜鉛板が直接接触しているのですから、これは電池の内部ショート状態になっていると言えます。これでは電子はほとんど外に出てこなくなります。
水素イオンが「選択的に銅板上でのみ反応する」などということはありえません。
当然、豆電球が消えてしまうわけですね。当たり前のこと。
この時に、酸化銅がなくなって電子を効率よく受け取るものがなくなったので、電池の性能が落ちて豆電球が消えた、といえばいいのに。そういう説明はしない。
銅板が気体の水素の泡で包まれて硫酸との接触が悪くなった、だから、過酸化水素水を加えて、気体の水素の発生を抑えるのだ。この過酸化水素を「減極剤という」などという苦し紛れの説明になってしまうのです。
本当は、酸化銅がなくなったけれど、過酸化水素を加えれば、過酸化水素は酸性の条件下で電子を効率よく受け取るので電池が復活するのです。
つまり、加えた過酸化水素が正極活物質になるのです。
そのあたりをあいまいにするから、ボルタ電池はわかりにくい。
銅板は単なる電極としたうえで、「電子を受け取りやすい物質=自分が還元されて相手を酸化する物質=酸化剤」を正極活物質として使うのだ、とはっきり言えばいいのです。
{ただし、お気づきのことと思いますが、正極活物質の過酸化水素も亜鉛板に直接接触しますので、亜鉛板上で過酸化水素に電子を渡す反応は起こってしまいます。それでもまぁ、豆電球をつけるくらいの電子が外に出てくることはできるということなのです。}
★そもそもの話をしますと、最初のボルタ電池は、希硫酸ではなく、食塩水を使ったのです。
私のHPから引用します↓
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/103rd/sci_103.htm
「HOSC 生物」レオ・E・クロッパー 著、渡辺正雄 訳、講談社、昭和51年
「異種の電導物質の接触のみによって生ずる電気について」という論文で、この新しい機器について書いている。これは1800年ロンドンの王立協会発行の「理学紀要」に掲載されている。
以下は、ボルタの新しい機器の構造や機能に関する記述だが、原論文のまま紹介しよう。
30個、40個、60個あるいはそれ以上の銅板、または[より効果的な]銀板を用意し、それと同数のスズ板か、亜鉛板―このほうがよい―を、それぞれ銅または銀板に重ねるように置く。そのように重ねたものの間に、水とか……[より効果的な]塩水、灰のあく汁のような液体、または、その液体をよくしみこませたボール紙や皮革などを挿入する。
つまり、2種の異なった金属を組み合わせたそれぞれの間に、交互にこのような液体をしみこませたものを挿入し、この三つの導電体をいつもこのような順序で接続させること、これが新機器のすべてである。このはたらきはライデンびんによく似ているが、レイデンびんのように、あらかじめほかでおこした電気によって荷電する必要はなく、正しくこれに触れれば、何回でも衝撃を与えることができるので、ライデンびんよりはるかにすぐれた効能と力をもっているといえる。
ボルタは、このしくみを“人工電気器官”とよんだが、まもなく、この型の電池に“ボルタ電堆”という名前がつけられた。
負極:亜鉛orスズ
正極:銅or銀
セパレーター:塩水、灰汁をしみこませた紙か皮をはさむ。
こうなんですね。
これで電池になる仕組みをきちんと説明するのはきついな。
でも、静電気ではなく「動電気」を流すことができる最初の装置ではあったのです。
これ以降「電流」の研究が一挙に進んだことは間違いありません。
★化学史上、大事な発明・発見だからといって、それが現在の教育に有効かというと、そうではないことも多々あります。
歴史を踏まえることは大事なのですが、教育では、本質的な部分を明瞭に理解することが大事。
ボルタ電池は歴史的な電池ですが、教育的ではありません。
素性が悪いとしか言いようがない。
もう高校教育でボルタ電池を扱うことはやめた方がいいと思います。
教科書の「読み物」のところに、電池を初めて作った人・ボルタとして紹介するくらいにとどめたいものです。
大学入試などでも、国立大など公の批判にさらされる入試問題では、ボルタ電池が出題されることはまずない、と思います。
ある意味で「正解なし」になりかねませんからね。
★電池を楽しむうえで「ボルタ・タイプ電池」は有効です。
私がよくやったのは。
銅板と亜鉛板の間に網戸の網をはさんで、輪ゴムで固定します。
具が網であるようなサンドイッチ構造です。
極板間の距離を可能な限り近くする、しかし接触は絶対にさせない、という目的です。
電圧だけなら、極板が離れていたって何とかなるのですが、電流を取り出すためには、電池の「内部抵抗」を可能な限り小さくしなければならないので極板を可能な限り近づけます。
このセットの極板の間に、イオンを含む液体を垂らせば、圧電ブザーを鳴らしたり、太陽電池用のモーターを回すくらいは簡単。
醤油、インスタントみそ汁、インスタントラーメンの汁、レモン汁、ジュース、などなど。
これをやる時、私はすでに、過酸化水素水を入れると電子の受け取りがよくなって、電池が復活するということを、話してありますから、電池の元気がなくなったら「活力剤で元気をつけよう!」といって、過酸化水素水を滴下すれば、復活します。
それがまた受けるんですね。
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