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2013年11月21日 (木)

犀の角のようにただ独り歩め

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-b1fe.html
2013年11月12日 (火)「無口な人の魅力」
↑ここで、自分の自己紹介文からニーチェの言葉を引用したりして、自分の書いたものを読んでいたら、終わりの方に、また「粋がった」文を見つけました。

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/profile.htm
[自己紹介 2004年度版]
このページの下の方にある書き込みから。

私の行動に「急ぐ」という言葉はない。
・遅れそうになったら走ればいい、というのは健常者の思い上がりといえるかもしれない。「走れない者がいる」ということに思いをはせてほしい。
・目の前の信号が青だったら渡らない。これはビックリするだろうね。いつ渡るんだ?もちろん青信号を渡るのです。今、目の前の信号が青でも、その信号がいつ青になったかは判りませんね。渡り始めたら、交差点の途中で点滅が始まって、赤になってしまったら、どうします?君たちなら走るでしょう。私は走れません。だから、そんな立ち往生をしないために、「自分の目の前で青になった信号」しか渡らないのです、私は。
・自分が急がなければならないような状況にならないように、自らをコントロールする。授業にも5分前には準備室を出ます。急ぐことの無いように。出勤する、人と会う、旅行する、などいろいろの局面で、私は1時間くらいの余裕を見ながら行動します。
待たされるのはいい。待たせるのは苦痛です。
・数分でホームを変えて乗り換える列車を「接続」しているといわれても、それは無理でしょう。
集団で行動すると、健常者たちは常に「走ればいい」という留保を持って行動する。私はそれにはついて行けない。危険で危険で仕方ない。
・物理的に「走れない」
・私が転べば、将棋倒しを起こします。

・故に、
●私は単独行動者である。
・電車のホームで降車した人の流れの中に巻き込まれることは、極度の恐怖をもたらします。みんなが行過ぎてから、最後尾をトボトボと一人行く、のが私の選択です。ドアを出た正面が階段だというような場所には乗りません。危険ですから。なるべく階段から離れたところに降りるように自分の位置を決めます。
親しい友人とでも、複数で行動するのは嫌です。自分の行動原則を守りきれなくなってしまうから。肉体的な行動を越えて、これは、私の人生の哲学になりました。私は単独行動者です。「オレはつるまない」

・私は独行する。

●障害があると世界の見え方が違う。ということは、「精神は身体に規定される」ということですね。
●精神はあらゆる束縛を離れて「自由だ」、という幻想がありますが、それは間違いです。
●生物としてのヒトは、生物種としての歴史性、身体性から離れて自由な思考・思索が出来るわけではありません。
 猫や犬を飼っている人もいると思います。彼らと感情の交流ができますよね。互いに哺乳類だからでしょう。「隣のご飯はおいしそうだ」「目が合ったぞ」「甘える」「ねだる」とか感情の流れの基盤はそっくりですね。「チンパンジーにはあくびがうつる」そうです。
●自らを生物から解き放たれた「自由な存在」と思ってしまうという特権的思考にヒトは陥りやすいものです。自覚的に自分を見つめていこう。
●私たちヒトは生物であり動物である。その上で理性によって、意志によって、自らを創出していくことは可能なのです。

すごいでしょ。「私は独行する」なんて気取っています。
ま、実際そんな風に生きてきたのですけど。
人間好きの、人間関係嫌い。を貫いて。
人間関係ずたずたにして生きてきました。

★で、思い起こすこと、いくつか。
「ブッダのことば スッタニパータ」中村 元 訳、岩波文庫 青301-1 から

40:仲間のなかにおれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

私が感じたことそのものですね。
どんなに親しい人とでも、一緒にいれば「巻き込まれる」
私の場合は、歩行機能損傷という肉体的条件から出発して、生き方の問題へと変化していったのでした。


http://homepage3.nifty.com/kuebiko/essay/lst_msg3.htm
嘱託員も終わる年度の最後の授業通信、No.35(2005.2.16(水)から

少数にて常に少数にてありしかばひとつ心を保ち来にけり
                                土屋文明

 「山下水」(昭和23)所収。明治23年群馬県生まれの現代歌壇の最長老。昭和時代の短歌全体を通じ、時代に対する批評眼の鋭さにおいて抜群の歌人である。この歌は敗戦直後、群馬の疎開地での述懐。背景には当時の人心の動揺、自信喪失、右往左往の現実があった。「ひとつ心」を自分が保ってこられたのは、数をたのんで押し渡るごとき生き方と、常に絶縁して生きてきたからだという。静で強い意志の姿がある。
{「折々のうた」から引用}

 ・・・
 私は常に少数であり続けたいと思います。人間関係もズタズタにぶった切って生きてきました。「人脈」という「流れ」からも身を退きのいてきました。
 ・・・

「犀の角のようにただ独り歩」む歌でした。

★最近は「つながっていなければならない」という強迫観念が横行しているようですね。
そういう話を聞くと、鬱陶しくってしかたない。
単独行は孤独ではないのです。
単独行は豊饒な営みなのです。

犀の角のようにただ独り歩め。

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