難行苦行
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2013年10月28日 (月)「なまぐさ」
↑ここで、「ブッダのことば スッタニパータ」から、「なまぐさ」について引用しましたが、その一連の「なまぐさ」の句の続きから引用します
「ブッダのことば スッタニパータ」中村 元訳、岩波文庫 青301-1
第二 小なる章
二、なまぐさ
249:魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみれることも、粗い鹿の皮(を着ること)も、火神への献供につとめることも、あるいはまた世の中でなされるような、不死を得るための苦行も、(ヴェーダの)呪文も、供儀も、祭司も、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。
ブッダは難行苦行することで悟りを開くことはできないよ、とおっしゃっています。
ブッダは、御自身、激しい難行苦行をした方なのです。でも成果を得られなかった。
で難行苦行をやめて、穏やかな瞑想修行に入ったのです。
周囲からは「あいつは堕落した」と責められたようですが。
そして、悟りを開かれた。
どうも日本人は「困難を乗り越えると強くなる」というような信仰があっていけない。
「艱難汝を玉にす」というのが好きでね。
そういうの、私、嫌いだ。
何でも「道」にしてしまうし。
根性ってのも好きだし。
スポーツなんか特にそうで、そのあたりに「体罰」問題の根っこもありそうだし。
肉体を極限まで追いつめると脳が幻想を作るようなんですね。
で、それを「神秘体験」として崇め奉ってしまう。
幻想です。
亡くなった方を責めるのは、日本ではよくないことですが。あえて。
千日回峰行を2回なさった酒井さんが9月に亡くなられました。
実は、私、あんまり尊敬していません。
ものすごい難行苦行をなさった、ということは認めますが。
それって、ブッダがおっしゃり、また、なさったこととは違うなぁ。
酒井さんの言葉の中に
「青く茂って、時期が来たら葉が落ちる。また来年になったら青く茂ってくる。それを見て、ああ生命っていうのは一回でおしまいじゃないんだなあ、つながっているんだなって気づいていく。こういうのが仏様からいただく『仏智(ぶっち)』なんだな」と語った。
とありました。やはり肉体を極限に追い込んだ時の一種の「神秘体験」のようなものだったのでしょうね。
でもねぇ、私ら(全ての生き物という意味です。菌類から何から全部含めて)今、ここに生きているということは、38億年もの間、一度も途切れたことがない、38億年を生き継いできた、という事実の結果なんですよ。
自分はその「命の流れの中にある」ということ、それ敢えて「仏智」と言わなければならないことですか?
私いとっては、既に事実であり、実感です。
日本の仏教は「悲しい」ですね。
私は日本の仏教にはお世話になりたくない。
日本の仏教式で私の葬式なんかやった日には、化けて出てやるからね。
私は命の流れに回帰する。私は地球に還る。地球こそが私の墓標です。
高校生の頃から、法句経など読んで、不遜にも自分はブッダの弟子だ、と思ってきましたので。
ワタクシ仏教原典主義者なんですね。
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