★毎日新聞のサイトを見ていたら、「近事片々」にこんな記述がありました。
近事片々:50年前、日本時間23日、祝日の午前…(毎日新聞 2013年11月22日 東京夕刊)
50年前、日本時間23日、祝日の午前。コロッケが評判の肉屋のおじさんがじっとラジオのニュースを聴いている。子供心にも察した凶変。
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ケネディ米大統領暗殺。半世紀の時を経て「単独犯」の公式見解に説得力乏しく、ジャーナリズムの探求は続く。
・・・
やっぱりなぁ、あの日、勤労感謝の日、朝から衛星中継実験を待ってワクワクしていたんだよなぁ。
近事片々を書いている人は「子供」といっておられます。
私の場合は15歳。(多感な)思春期の少年(かな)。
★ふと、思ったのですけれど
大統領就任演説を聞き、読んで
And so, my fellow Americans: ask not what your country can do for you — ask what you can do for your country.
あの頃、こんな言葉に感動しました。
老人になって考え方がいろいろ曲がりくねってきましたら、少年時代ほどこの言葉に心揺さぶられなくなっていました。
多分、言葉の上だけだったら、政治的に逆の極に立つ人だって同じ言葉を発することができる。
国に何かをしてもらうのではなく、お国のために尽くすのだ、とね。
ひねくれすぎましたか。
実は上の引用句の後半があって、あまり日本ではポピュラーじゃない。
My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.
このほうが、心に響くなぁ。
★政治家は発した言葉で評価されるものではない。何をどのように行ったかによって評価される。
ケネディーが長く生きたら、どのような政治を行ったか、見たかったですね。
「Together let us explore the stars, …」という言葉もありましてね、ソ連のスプートニクに驚き、「地球は青かった」に感動し、「ヤー チャイカ(私はカモメ)」にわくわくし、月の裏側の写真に興奮した理科少年にはドキドキするような言葉でしたっけ。
その後も木星や土星の写真を見たし、太陽系を振り返った写真も見たし、いい時代、すごい時代に生きることができて私は幸せ者だなぁ、とつくづく思います。
★ケネディーの大統領就任演説の全文は下のサイトで見られます。
http://avalon.law.yale.edu/20th_century/kennedy.asp
ジョージ・ワシントンからオバマまでの演説も読めますよ。
ケネディの演説を録音からサンプリングして歌詞とし、メロディーをつけて曲として収録したLPがあったのです。
「SING ALONG WITH J.F.K」
これ好きだったな。繰り返し繰り返し聴いたものです。
Together let us explore the stars, conquer the deserts, eradicate disease, tap the ocean depths, and encourage the arts and commerce.
All this will not be finished in the first 100 days. Nor will it be finished in the first 1,000 days, nor in the life of this Administration, nor even perhaps in our lifetime on this planet. But let us begin.
素直に心揺さぶられてしまったものです。
「But let us begin. 」
でも始めようではないか。
「意志の言葉」というようなことを意識しはじめていました。
「これが私の意志である」って、かっこいいよなぁ、言ってみたい。