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2013年10月28日 (月)

なまぐさ

★小池龍之介さんという僧侶が朝日新聞で「心を保つお稽古」という連載コラムを書いておられます。
今年の2月21日の記事で

・・・
 長年にわたって菜食を続けて精進料理の自炊をしてきたのですが、一昨年ごろから自分の場合、栄養失調とおぼしき症状が出始めてまいりました。
・・・
 そこで動物性の食品をとるよう勧められたのですけれども、第一のこだわりとして肉・魚は食べられません。第二のこだわりとして乳製品や卵も食べたくなく、そうこうするうちに多忙さも加わり体調は徐々に悪化してしまいました。
・・・
 元々は、心身を整え瞑想しやすいようにと継続してきた食生活ですのに、まさにそのせいでふらついて、瞑想しづらくなっているのを認めざるを得なくなったとき。ようやく、こだわりを半歩手放して無精卵とヨーグルトを食べる気になったのでした。おかげで最近はすっかり元気。うーん、卵焼き、おいしいですね。
 自己像への執着はそれに応じた思考や見解とくっついていますから、その執着を手放すに際しては、自分が愚かだったことを認めねばなりません。それには「自分は正しかったんだ」と思いたがるプライドがうずき、苦痛が伴うものではあります。
 ・・・

とまあ、御苦労なさったようです。

★私は「菜食主義」というものに疑念を持つものです。
植物を食べるのはよくって、動物はいけない、という論理が間違っていると考えるからです。
植物も動物も、真核生物、ミトコンドリアを持ち、酸素を使ってエネルギーを獲得する生活様式を持ち、繁殖に際しては「減数分裂」という同じ方式を用いて生殖細胞を作り子孫を残してきた。
何か差をつける必要がありますか?
一緒に生きてきたお仲間じゃないですか。
私たち「ヒト」は、他の生命を食べることでしか生きることができません。
植物と動物に差をつけるなどということより、もっと大事なことがあるはずなのです。
自分がどのように生きるか、ということでしょう。
欲望にまみれて生きる人たちは、何を食べたって「命を貶める」のです。
欲望を離れて、生命38億年の流れに身を任せてちゃんと生きる人は、何を食べたって「命を讃える」のです。

★さて、この10月24日の記事で小池さんは

 筆者の中で十年以上にわたって続いた菜食(ベジタリアン)生活は、前に本欄で記したように卵を食するようになり、崩れました。それに続いて今月ついに、栄養のため週に一度のペースで魚を食してみたのです、清水の舞台から飛び降りるかのように、恐る恐る。
・・・
お金を払って魚料理を注文するのも間接的に殺生サイクルを進めることになる……。「君の死体を食いちぎって栄養にさせてもらうね」と懺悔の気持ちをこめて、感慨深く噛み締めたのでありました。それと共に、十年来「菜食の自分は正しい」と思ってきた、主義の檻から脱獄したかのような、新鮮な心地の中にもいたのでした。
 ・・・

こう書かれました。
「なまぐさ坊主」になってしまった、というような気持ちでおられるのでしょうね。
純真なお方です。

おなぐさめしましょうか。ブッダのお言葉で。
「ブッダのことば スッタニパータ」中村 元訳、岩波文庫 青301-1

第二 小なる章
二、なまぐさ
243:この世において欲望を制することなく、美味を貪り、不浄の(邪悪な)生活をまじえ、虚無論をいだき、不正の行いをし、頑迷な人々、――これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。

244:粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、ものおしみする性(たち)で、なんびとにも与えない人々、――これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。

245:怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、ほら吹くこと、極端の高慢、不良の徒と交わること、――これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。

「肉食することが<なまぐさい>のではない」とブッダはおっしゃいました。
その人の心が、生き方が「なまぐさい」のであれば、菜食主義でも「なまぐさ」なんです。

どうぞそのようにご理解を深めてください。

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