藤田スケールと長崎原爆
★藤田スケールの解説です
(ニュースがわからん!)「藤田スケール」って、なんの尺度じゃ?(朝日新聞 2013年9月4日)
◇竜巻の強さを、被害から推定する。日本人が提案したんだ
・・・
ホ 藤田スケールとはなんじゃ? 日本人の名前がついているようじゃな。
A 米シカゴ大学の教授だった気象学者、藤田哲也博士(1920~98)が71年に提案したんだ。藤田博士はミスター・トルネードとも呼ばれ、もし気象学のノーベル賞があったら、間違いなく受賞していたと言われているよ。
ホ そんなにすごい尺度なのか?
A 竜巻は被害を受ける範囲が狭く、あらかじめ設置している観測網で、風の強さを直接観測することはとても難しい。そこで、竜巻が起こった後にどんな被害が発生したかを調べることによって、強さを推定することにしたんだ。
ホ ホホウ。被害からどうやって竜巻の強さを割り出すんじゃ?
A 例えば、小枝が折れる程度なら、風速は秒速17~32メートル、大木が倒れるなら、秒速50~69メートルといった具合だね。
・・・(後略)
★直接観測することが難しいできごとを、残された「跡」を観察することによって推定するのですね。ダウンバーストという現象の存在を発見したのも藤田氏ですが、やはり「残された跡」の徹底的な追及の賜物なのです。
これで思い出すのが、藤田氏の若い頃の仕事です。
NHKの特集のテキスト版から引用します。
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原爆投下直後の長崎 貴重な写真を新発見(2013年8月9日(金))
「今日、8月9日は長崎原爆の日です。
68年前の今日、長崎は焼け野原となりました。
原爆投下直後の街の様子を捉えた極めて貴重な写真をNHKが独自に入手しました。」終戦直後の昭和20年8月20日から24日に撮られたものです。
これまで、原爆が投下された後の長崎の写真は、日本政府やアメリカ軍が調査を始めた9月以降のものがほとんどで、8月に撮影された写真が、これだけまとまって見つかるのは異例のことです。」
・・・
写真は全部で33点。
調査のために長崎に入った、ある科学者によってひそかに撮影されていたのです。
私たちは、長崎原爆資料館の学芸員とともに写真が見つかった家を訪ねました。
写真は、戦後、気象学者として世界的に活躍した藤田哲也博士の生家に保管されていたのです。
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終戦当時、今の九州工業大学の助教授だった藤田博士。
終戦直後の8月19日、学校が派遣する調査団の一員として長崎に向かいました。
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当時、終戦後とはいえ、軍の許可なく被害の様子を撮影することはできませんでした。
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「国禁を犯してでも、残しておきたいと。後世の人がそれをどう使うかは、決めるだろうが、今、自分ができることは記録を残すことだと。」◆写真が語る 科学者の思い
撮影した地点を地図に落とし込むことで、原爆特有の爆風の広がり方が明らかになってきました。
撮影地点が特に集中しているのは、爆心地から南へ500メートルほどの場所です。
・・・
ここでは路面電車の架線を支える柱が、爆風でなぎ倒されていました。
その様子が角度を変えて、何枚も撮影されていました。
「爆心地の方向から見て、どういう方向から倒れているのか、ねじ曲がっているのか。それをきちんと記録に残したかった。」一方、爆心地付近では…。
木や電柱が倒れずに、立ったまま残っている様子が撮影されていました。
爆発が起きたのは、上空およそ500メートル。
爆風は地面に吹きつけた後、放射状に広がります。
このため、木や柱は真下に近い場所では倒れずに残る一方、半径300メートル以上離れたところでは放射状になぎ倒されたのです。
・・・
「原子爆弾がどういうふうにさく裂し、風がやってきて物を壊し、人の命を奪ったのか。そういうメカニズムを解き明かそうとした。原爆が投下されてまだ10日余りしかたっていない時期に、これだけの記録群が残された。科学者としてのパッションを感じるところが強い。」戦後、気象学者となり、アメリカにわたった藤田博士は、この調査の経験をいかしていきます。
1975年にニューヨークの空港で起きた墜落事故。
当初はパイロットの操縦ミスと見られていました。
しかし調査にあたった藤田博士は、積乱雲から地表にぶつかって広がる強い下降気流が飛行機を墜落させたことを突き止めました。
藤田博士は、その時のことを自伝にこう記しています。
“そこで思い出したのは、長崎の原爆被害を調査したときに見た、放射状に倒れていた無数の木。”
藤田博士は、この現象を「ダウンバースト」と名づけました。
長崎での調査は、危険な自然現象を捉え、空の安全を守ることにつながったのです。
原爆投下直後の長崎を克明に記録した33点の写真。
そこには、いち早く現場に駆けつけ、真実に迫ろうとした若き科学者の魂が込められていました。
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いかがでしょう。
直接観測できなくても、そこに残された跡を徹底的に「観る」、そして記録する。
そこから、何がどのように起こったのかをきちんと推測する。
藤田氏の一貫した科学者としての姿勢に、胸を打たれます。
ひたすらに見る、とにかく見る、そこからしか何も始まりはしない。
見たことを過不足なく、きちんと記録すること。
故意にデータを捨ててはいけないし、思い込みによってデータを付加してはいけない。
科学の基本ですね。
いくら素晴らしい仮説を立てたって、ぼんやりとあいまいに眺めていたのでは何も分かりはしません。
科学の根本はひたすらに見ること、なのです。
★おはずかしいこと。
化学教師時代、生徒実験をやらせるときに口を酸っぱくして言ったこと。
実験中、口が動いてもまあ仕方ない。だが、目は実験をひたすらに見ること。見続けること。目を離すようだったら実験に参加したとは認めない。
思うようにはいかないものです。
教師として、力不足でした。
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