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2013年8月 7日 (水)

相生橋で

★昨日、広島原爆忌に広島のマツダスタジアム(広島市民球場)で、広島―阪神戦が「ピースナイター」として開催されたという報道を読みました。
被爆2世歌手の吉川晃司さんが歌を歌ったり、始球式をしたそうですね。
2013年8月6日の夕刊から引用。

地元出身で祖父母の被爆体験を聞かされて育った岩本は「自分の中でも、熱い思いがある。野球が出来る喜びを持ってやらないといけない」。大阪出身の前田健は毎年、平和記念公園へ行き、祈りを欠かさない。6日は先発予定。「復興のためカープという球団ができた。特別な日にファンも選手も同じ思いで広島で試合が出来る。投げられるのはすごくうれしいです」
 松田オーナーは62歳。母も祖母も被爆し、亡くなった母の妹は遺骨も見つからなかった。原爆で多くの命が奪われた現実が、世間の記憶から薄れていくことへの危機感は強い。「復興のシンボルとして応援され、愛されてきた球団。この球団を原爆と切り離すことはできん。ピースナイターも、大事に続けていきたいんよ」
 6日のナイターは、鳴り物入りの応援は自粛される。

2013年8月6日
被爆2世吉川晃司さん平和へ入魂 初の原爆の日ナイター
 6日、マツダスタジアム(広島市)であったプロ野球の広島―阪神戦は「ピースナイター」として行われた。復興のシンボルとして愛されてきた球団の公式戦を通じて、平和の大切さを訴えるこの催しは6回目だが、原爆の日の当日に行われるのは初めて。
核といのちを考える
 5回終了時、来場者に配られた緑色のポスターが一斉に掲げられ、球場はグリーン一色に。原爆ドームと同じ高さにあたる25メートルの部分は、赤いポスターで結んだ「ピースライン」が描かれた。爆心地から1・8キロの民家にあった「被爆ピアノ」を使った伴奏で、広島県出身で被爆2世の歌手・吉川晃司さん(47)が「イマジン」を独唱した。始球式も務めた吉川さんは「一球入魂で平和を祈願して投げた。ノーモア被爆。広島で生まれた身としてやれることはやりたい」と話した。

8月7日朝刊のスポーツ面の見出しでは「8月6日、広島で思い切り野球ができる幸せかみしめた」とありました。

★こういう記事を読むと思い出される歌があります。
庄野真代さんの「相生橋で」という歌です。1979年の第6回広島平和音楽祭で「ゴールデン・メイプル賞」をとった歌です。

・・・
あの頃なかった球場にもうすぐナイターの灯がともる
親子で座るスタンドでしみじみしのぶよ父さんは
炎に倒れたじいちゃんもとても野球が好きだった

この街埋めた悲しみが二度と地球にないように

こういう歌詞があるんですね。
曲はyoutubeで聞けます↓
http://www.youtube.com/watch?v=IUQLWDgLBp0

上に引用した記事の中にこんな一節もありました。

 ナイター実行委・委員長の生協ひろしまの横山さんは、昨年、目にした父子のやりとりが忘れられない。
 「お父さん、なんでこのポスター、あげんといけんの?」
 「今日は平和を願う日なんよ」

そのままですね、「親子で座るスタンドでしみじみしのぶよ父さんは」。

「思い切り野球ができる幸せ」
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1374108253266/index.html
平成25年度「平和への誓い」から引用

・・・
平和とは、安心して生活できること。
平和とは、一人一人が輝いていること。
平和とは、みんなが幸せを感じること。

平和は、わたしたち自らがつくりだすものです。
方法は違っていてもいいのです。
大切なのは、わたしたち一人一人の行動なのです。
さあ、一緒に平和をつくりましょう。
大切なバトンをつなぐために。

平成25年(2013年)8月6日
       こども代表

そう、平和とは祈りではなく行動です。
「平和を行動しましょう」

★私がなんで庄野真代さんの「相生橋で」を知っているかと言いますと。
工業高校で機械科の担任をした当時。修学旅行で広島を訪れました。
蒸し暑い夜でした。語り部の方をお招きして、お話を伺いました。
正直なところ、大丈夫かな、という懸念を持っていました。
暴走族もいる生徒たち、世間的に見て、かなり「規範を外れた」生徒も多くおりました。
その生徒たちが、咳一つもせずに、じっと話に聞き入り、質問もして、語り部の方に褒められたのでした。
私は恥ずかしかった。生徒を信頼しきっていなかった。
本当に申し訳ないことをした。人間の核心部分はみんな同じ。優れた感性を持つ生徒たちでした。

講演が終わった後、語り部の方から1枚のSPレコードを頂戴しました。
それが庄野真代さんの「相生橋で」だったのです。

その後、電子科の担任をした時の修学旅行の事前学習で、この歌を生徒に聞かせました。
いろいろの史料・資料を用意して事前学習をした時のことです。
「焼けた骨を噛んだ」という話がありましたっけ。
「どうして骨なんか噛むんだ?」という生徒の疑問に。
最愛の者を失った。抱きしめる遺体さえない。焼けた骨がある。
赤ちゃんはすべてを口に持っていってその存在感を確かめている。
極限の状況の中で、口で存在を確かめるという行動しか残っていなかったのではないか。
そんな話もしたなぁ。

平和は行動するものだ、というのは私にとっても原点です。

★10フィート運動というのがありました。少しだけかかわりました。
出来上がった映画の上映会へ行って、映画を見終わってから、被爆者の方がスクリーン前で御挨拶と、短い話をなさいました。

映画の中には決して出てこなかった、一つの真実があります。
それは「におい」です。
亡くなった方々の遺体が腐敗していく、その腐敗のにおいが、街には満ちていました。

ショックでした。
記憶にとどめてください。
映画でも、紙の資料でも、決して知ることのできないもの。
そこにあった、「大量の死」のにおいです。

★毎日新聞の「火論」という連載エッセーがあるのですが
7月30日のタイトルは「広島のにおい」というものでした。
一瞬、上に書いた「腐敗のにおい」かと思ったのですが、

 岩波書店から先週刊行された写真集「立ち上がるヒロシマ1952」は原爆後7年、復興の途上にある広島市とその人々の日常風景を記録している。
・・・
 オート三輪のエンジンの焼けるようなにおい。住宅や塀のコールタールの香り。

そうではなかったですね。
「死のにおい・腐敗のにおい」を記述したものには私の小さな読書体験では出会っていません。

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