「逆さ富士」番外編
★1
葛飾北斎の描いた「逆さ富士」は変だ、と書きました。
実体と鏡像は鏡面を境にして、対称でなければなりません。
二つ折の手鏡の立てた面に付箋を張り、その鏡像に重ねて水平の面にも付箋を張りました。
この位置関係が実体と鏡像の関係です。
それを斜めから見てみました。
縦の面の付箋の実際の像は下で、先ほどの付箋の位置からは変わります。
先ほど貼った付箋は左。北斎の絵はこの関係になっているのです。
富士山の絵を湖面に貼り付けて、それを富士山と一緒に絵に描きこんだ、ということですね。しかも少し横にずれているのかな。
物理的には間違いですが、芸術家の創造力・想像力・表現としては問題はないのでしょう。
私は決して芸術家にはなれない、ということが明らかです。
★2
鏡像が実体に対してどう見えるのかは「観察者」の位置によるものです。
鏡面に鏡像が実体のように貼りついてしまって、それは誰がどこから見てもそこにある、というものではないわけですね。
ある意味で、鏡像は観察者に属する現象です。
よく似た「観察者に属する現象」として「虹」があります。
虹は、観察者を後ろから照らす「太陽と、観察者の頭を結ぶ線」の延長上に中心があります。
ですから、違う位置でみる観察者には違う虹が見えているのです。
恋人二人が並んで虹を見る。一つの虹を二人で共有するしあわせ、というように感じるのですが、実は、二人はそれぞれに自分の虹を見ているのであって、厳密には同じ虹ではありません。
私のHP「理科おじさんの部屋」から引用します。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/98th/sci_98.htm
このページ、自分でいうのもなんですが、虹についてかなり詳しい説明をしています。よろしかったら全部お読みください。
<引用:始>
◆さて、虹はどこにできるのでしょう?
ホースを持って、あっちへ水まき、こっちへ水まき。どっちに虹が見える?
「太陽の反対側にできる!」
●そう、太陽を背に受けているときにできます。
道路に映った自分の影を見てみます。自分の頭の影と実際の自分の頭を結ぶ線を後ろに延ばしていった方向に太陽がありますね。
そうして、自分の頭の影と頭を結ぶその線を中心にして、取り囲むように虹ができているのですね。
・・・
◆水流を振ってごらん、水滴の流れが上や下、右や左へ動いたとき、虹も一緒に動くのかな?
「虹は動かない。虹の続きが見えたり消えたりするけれど、虹そのものは動かない」
・・・
◆じゃあ、おじさんがホースを持ってじっと動かずにいるから、U君、おじさんの周りをまわりながら虹を見てごらん。
「虹が動く。ついてくるみたい。」
立ち止まって、頭だけ左右に動かしてごらん。
「やっぱり、虹が動く」
●そうなんですね。水流は絶え間なく動き、変化するのですが、虹は動かずにそこにあります。つまり、個々の水滴が色を持っていて、移動していってもその色が変化しない、というようなものではなく、ある特定の位置に来た水滴はいつもある特定の同じ色を目に送ってくるということなのです。
●一方、虹を見る目が移動すると、その目と太陽を結ぶ線が移動して、その線を中心にして取り囲んでいる虹も一緒に動いてしまうのです。
虹は目の位置が決まると、その位置での虹が見える、目を別の位置に変えると、別の位置での虹が見えるのです。
言い方を変えると、十人の人が一緒に虹を見たとき、「一つの虹を十人で見る」のではなく、「十人がそれぞれ自分の虹を見る」のです。
何かの物、たとえば一頭の象を十人が一緒に見るとき、象は一頭です。決して、十頭の象がいるわけではありません。ところが、虹ではそうではないのです。
ということは、虹というのは普通に私たちが見ている「物」ではないようですね。
一人一人が別々に見る「現象」であって、個々の人に個々の虹が見えているのです。でも、言葉では「虹を見た」といって、同じ経験を共有したつもりになれるのです。
<引用:終>
小学生のU君と一緒にやった実験です。ホースから水を出して虹を作り、頭を左右に振ってみてください。虹が「ついてくる」のがわかります。かなり面白いですよ。
<引用:始>
☆オマケ:物体を左右両眼で見ると左右の目にうつる像は少しズレ(視差)を生じます。このズレを脳が処理して、このズレから立体感を生みだします。両眼視による立体視、ですね。これを利用して、左右の目に立体視用の情報を別々に送り込めば、脳内で立体感が生まれます。いろいろな立体視技術がありますね。今はそれには立ち入りません。
ここで問題にしたいのは、虹を両眼で見たときのことです。虹は物体ではありませんので、左右の目も、それぞれの虹を見ます。ですから、それぞれの目は、それぞれの目の前に虹を見ていますので、立体視を生む「視差」がありません。ということは、虹を見ても立体感(遠近感)はないのです。虹をつくる水滴、水流には立体感がありますが、そこに生まれる虹には立体感がないのです。こんなことも、虹を見たときの視覚経験の不思議さを生んでいるのかもしれません。
飛行中の飛行機の窓から、雲や虹を2回撮影し、雲や景色を立体視できる写真を撮ったとします。この2枚の写真を並べて立体視すると、雲や景色は立体的に見えるのですが虹はその位置が決められません。雲の立体写真集でそういう写真を見たことがあります。私の推測が当たっていたので、とてもうれしく思いました。
<引用:終>
こんなこともあるのですね。
★虹は実体であって、それを斜めに見ることができるのではないか、と考える方もいるかもなぁ、と検索していたら、「斜めから見た虹」の絵がありました。
縮小してモノクロームにして、再利用できないようにしてお目にかけます。
虹という「実体」を斜めから見て、遠近法を使って、手前が太く遠くを細く描いていますね。
残念ながら虹はこういう風には見えないのです。
常に自分の真正面にしか見えません。
★まるっきりのオマケ
千円札の裏の逆さ富士を撮影して、パソコン上で縮小なしで見たら、偽造防止用のマイクロ文字というのかな、あれが見えました。
「NIPPON GINKO」という文字が見えますね。
これは比較的有名かな。
これでどうだ。
黒矢印で指したところに、カタカナで「ニホン」と書いてあるんですね。
実物のお札を、虫めがね片手に探して下さい。
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