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2013年2月 8日 (金)

落ち穂拾い

★1

[ひと]大八木淳史さん 学校長になったラグビーの元日本代表(朝日新聞 2012年12月18日)
 ・・・
 その後も、同志社大、神戸製鋼とスター選手だったが、引退後には挫折感を味わった。あちこちの講演で期待されたのは「努力すれば夢はかなう」という精神論。だが言葉が届いた実感がなかった。「小学生でも成功者の結果論とわかる。聞く耳持ってくれへん
 「理論と実践を語れるようになりたい」と43歳で大学院へ進んだ。学びながら、香川大などで教壇にも立ち、「ラグビー精神こそ教育本来の姿」との確信を得た。華々しいトライより、的確なパスを出す選手を尊ぶ質実な精神だ。
 校長の目で見ると、子どもたちは実に多様だ。「異質な相手とぶつかりあい、存在を丸ごと認める。そんな経験を積んでほしい」

小学生でもわかる「成功者の結果論」に、日本中ずいぶん踊らされませんでしたか?
「努力すれば夢はかなう」というのは「夢がかなわないのは本人の努力不足だ」の裏返し。
自己努力だ、自己責任だ、といって、手厚い社会福祉から手を抜く口実に使われてしまったように思いますが。

★2
先日亡くなられた大鵬さんの「評伝」から。

 ・・・
 「運命は分からない。幸運もあれば不運もある」とも語っていた。
 ・・・
 命の大切さは身にしみていた。終戦時、樺太からの引き揚げで辛くも生き延びた。現役時から慈善浴衣などの収益金で、献血運搬車「大鵬号」を日本赤十字社に贈り続けた
 「忍」という字を愛していた。「心の上に刃(やいば)を載せて生きていく。必死に生きてきた私の人生を、この一文字が表している」。部屋の稽古場には「夢」と揮毫(きごう)した書を飾った。「みんなが書けというから。本当は『忍』と書きたかった。夢は、忍び続けた人生の末に訪れるかどうか。そうじゃないのかねえ」
 アマチュア相撲に励む孫たちが関取に出世し、いつか部屋を継ぐ。「それが最後の夢かなあ」。穏やかな笑顔で、そう語っていた。
2013年1月20日

「夢は、忍び続けた人生の末に訪れるかどうか。そうじゃないのかねえ」
「運命は分からない。幸運もあれば不運もある」

人生ってやつは「偶然」でできているのです。
それを幸運にするか不運にするかは、生き方次第。
人生の締めくくりのころになって、思えば自分の人生の「軸」はこれだったんだな、と思えるもの、それが夢じゃないんですか。

「忍冬(すいかずら)
作詞:ちあき哲也
作曲:杉本真人
歌:因幡晃

一部引用

・・・
忍ぶという字は 難しい
心に刃を乗せるのね
時々心がいたむのは
刃が暴れるせいなのね

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http://www.jrc.or.jp/oshirase/l3/Vcms3_00003415.html
日本赤十字社からのお知らせ
元横綱・大鵬さんのご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈りいたします
13/01/21
 昭和44年以来39回に亘り、大鵬さんによって全国の都道府県に配備された、献血運搬車「大鵬号」。献血者と患者さんをつなぐ、大切な役割を果たすべく、寄贈された70台の総走行距離は約682万km、地球170周に相当します。最後となった70台目の「大鵬号」は、「40年間暮らしてきた、大嶽部屋がある江東区の人たちに恩返しがしたい」との大鵬さんの強いご希望により、東京都赤十字血液センターに配備されました。「大鵬号」は今までに、どれほど多くの命のリレーを担ってきたことでしょう。
 「大鵬号」の寄贈のため、大鵬さんはほぼ毎年日赤本社に自ら立ち寄られました。そのたびに、職員やボランティアがその姿を一目見ようと、集まったものです。3年前、大鵬さんが最後の「大鵬号」寄贈のため日赤に来社された時、そこに居た私を含む日赤職員・ボランティア約200人は、長年の感謝の気持ちを込めて、「いのちのリズム」という歌を捧げました。車椅子に坐して、歌声に囲まれた時の大鵬さんの目の輝きを今、懐かしく思い出します。
 「若手を育てなければならない」「努力出来る人間に育てる」と、いつも教育について熱心に語っておられた大鵬さん。今、若い人たちを中心に献血の輪が広がりつつあります。大鵬さんから長年に亘って頂いた、血液事業に対する深いご理解とご協力に感謝し、今後も多くの人々と手を携えながら、事業のさらなる発展のために力を尽くすことをお誓いし、心からご冥福をお祈り申し上げます。
日本赤十字社 社長 近衞忠煇

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http://career.oricon.co.jp/news/68942/full/
から引用
第48代横綱大鵬・納谷幸喜氏、献血運搬車『大鵬号』最後の70台目寄付に「感無量」

 第48代横綱大鵬・納谷幸喜氏が7日、東京・大門の日本赤十字社で行われた現役時代の昭和44年より寄付をスタートさせた献血運搬車『大鵬号』の贈呈式に出席。今年で通算70台目という節目をむかえ、すべての都道府県に配備したこともあり、今回が最後の贈呈となる納谷氏は「感無量です。ファンのご協力があってできた」と万感の思いを語った。
 売血から献血への移行期だった昭和44年に寄付をスタートさせ、病気療養で中断した昭和52、53年を除いて毎年『大鵬号』を贈ってきた納谷氏は「巡業でいろんなところに行き、みなさんに励まされました。何か役立つことができないかと思った」と寄付をはじめるに至った経緯を報告。「どうせやるなら、各都道府県に1台寄付したいという夢があった。みなさんのご協力でできて感謝です」と「感無量」という言葉を何度も口にした。
 これまでの『大鵬号』69台の走行距離は約658kmで地球165周に相当。採血した血液を迅速に届け、数多くの命を救ってきた『大鵬号』の功績に、納谷氏は「40年の積み重ねが地球を何十周も回り、凄いなと思う。自分1人でできることじゃないのでありがたい」と頬を緩ませ喜んだ。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%B5%AC%E5%B9%B8%E5%96%9C
から引用
1982年(昭和57年)、人格者として知られていた大鵬は、「世界人道者賞」を受賞した。この賞は日本では余り知られていないが、ローマ法王などが受賞した世界的に重要な賞である。

★人に知られようが知られまいが、自分がしようと欲することを、きちんと実行し続ける。
そういう「持続する意志」および「その人」を私は何よりも尊敬する者です。

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