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2013年2月21日 (木)

ウメ

0209_2ume1 2013.2.9
何だか絵みたいでしょ。
後ろは東光院というお寺の塀なのです。
樹形がわかりやすい、いかにもウメ。
0209_2ume2
咲き進んでいます。
0209_2ume3
ほら、こんなにいっぱい。ほんのりといい香り。
0209_2ume4
ちょうど今、ぽっと、咲き始めたつぼみ。
こういうの、好きです。

★別件
広辞苑第五版から
たん‐ばい【探梅】(早咲きの)梅の花を探して見あるくこと。<季語:冬>
かん‐ばい【観梅】梅花を観賞すること。梅見ウメミ。<季語:春>

朝日新聞から

探梅から観梅の季節(天声人語 2/18)
 いまの季節、「探梅にでかける」と書いたら、俳句好きの方からお叱りをいただくはめになる。さきがけの一輪二輪を、まだ風も冷たい野山に求める探梅は冬の季語だからだ。立春をすぎれば、色香を楽しむ観梅に季語は変わる。日本人の季節感は、実にこまやかだ。
 今年の冬は寒い。毎年みごとな近所の寺の紅梅は、ようやく一つ二つ開き始めたばかりだ。駅への道にあるお宅は白梅がちらほら。東京の感覚では、いまが探梅から観梅への、ちょうど移行期らしい。
 ・・・
 満開もみごとだが、「一輪ほどのあたたかさ」こそ梅の梅らしさだろう。寒さに向かって開く紅白は、どこか人を励ますところがある。まだ寒々と硬い大地から、春の足音が聞こえてくる。

いいじゃないですかねぇ。立春過ぎたからってウメを探しちゃいけませんか?
こういうことにうるさいことを以て、季節感がこまやかだ、とは言わせたくないですね。
レッテル貼って自然を眺めていたのでは俳句は「衰退」するだけじゃないか、と私は思っています。
俳句が自然の懐の奥深くを「観」ずるのであるならば、レッテルなんか引き剥がして、その向こうにある自然の素の姿に素直に直入していったらいかがですか。

じき‐にゅう【直入】ヂキニフ
〔仏〕方便のまわり道によらないで、直ちに仏果に入ること。[広辞苑第五版]

ペダントリーを振り回す人、キライ。
今年のセンター試験に出た小林秀雄も衒学者というべきでしょうね。
俳人もペダンチズムに陥らないようにね。

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