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2013年1月 7日 (月)

ヒキガエルの冬眠

新年が始まって7日。そろそろ、普通のペースに、と思うのですが、「怠惰」っていいですねぇ。
ぼんやりしているの大好き。冬眠したいなぁ。

★と、前振りをしておいて
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-6a3b.html
1月4日の記事「お寒うございます」で冬越しの話を少ししました。
そこで、思い出すのはヒキガエル。
現在、我が家の周辺のどこかで冬眠しているはずです。
そのうち出てきて産卵し、また春眠して、そのあとまた活動するでしょう。
そして夏は暑いから夏眠。ヒキガエルの夏眠については、3回くらい書いたことがあります。

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-40a3.html
2011年7月28日「ヒキガエルの夏眠」

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-fe92.html
2011年8月 9日「Don’t disturb」

http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-a8d7-1.html
2011年8月19日「ヒキガエル」

この「Don’t disturb」で、「金沢城のヒキガエル」という本から引用しています。
これをまた思い出しまして。
重複するのですが、以下に、引用しますので、ゆっくりとお読みください。

★↓引用
「金沢城のヒキガエル[競争なき社会に生きる]」奥野良之助 著、平凡社ライブラリー564、2006年1月11日

序章
・・・
 いつもの場所でいつものように、”あいつ”を見つけて記録すると、毎年ほっと安心する。
 彼と初めて出会ったのは、私がヒキガエルの調査を始めた年、一九七三年の秋のことであった。その時の大きさからみて、彼はその前年の一九七二年生まれのはずである。
 ・・・
 彼は八歳でその生涯を閉じたらしい。
 ・・・
 私が特にこの個体にこだわっているのには、わけがある。初めて出会った時、一歳半にして彼は、左の後ろ足が根元からない三本足のカエルだったのである。
 その時私は、生存闘争の激しい生き物の世界で足を一本失ったカエルが一年半もの間よく生き延びることができたものだと、感心した。同時に、何とかもっと生きてほしいと願いながらも、再び出会うことはあるまい。と思ったことを覚えている。
 私の予想ははずれ、彼はその後七年もの間元気に生き抜き、立った一度だけだが、彼女を得ることもできた。これは、私が調べた金沢城本丸跡の全ヒキガエルのなかで、五本の指にはいるくらいのすばらしい生涯である。その秘密は、本性怠惰なヒキガエルの中にありながら、ほとんど毎夜のごとく餌を求めて活動する、例外的に勤勉なカエルであったことにあるらしい。私との五五回におよぶ再会数がその勤勉さを証明している。
 ダーウィンの進化論以来、動物の社会はすべてきびしい生存闘争の下におかれ、ちょっとでもおくれをとるとたちまち淘汰されてしまうことになっている。私はこの考えにはもともと疑問を持っていた、しかし、知らず知らずのうちに私も、生存闘争説に毒されていたらしい。だから、三本足の彼を見た時、長生きはできまいと決めつけてしまったのである。
 でも、三本足のまま八年間も生き抜いた彼は、それほど生存闘争の激しくない社会もあるのだよ、と、私に身をもって教えてくれたような気がする。広い動物界のなかにはたしかに、きびしい社会もあるだろう。しかし、このヒキガエルのように、三本足の個体でも生きていけるおおらかな生活をいとなんでいる種も、現に存在しているのである。
 それではこれから、そのおおらかで優雅なヒキガエルの世界へ、みなさんをご案内することにしよう。

{かかし 独白:使える足が1本の私には、身に染みます。私は「障害があるのに」ではなく「障害があるからこそ」と言おうよ、といいながら教職にあったのですが、ひょっとして、上のヒキガエル君、三本足のどこがどうしたの?なんか変?と笑っていそうな気もする。生きるということにおいて、何の違いもないじゃない、とね。いいやつだ。}

第二章
   冬眠
・・・
 ところが、ストーブを囲んで雑談していた時、「先生、ヒキガエル掘りにいきませんか」と言い出した学生がいた。彼はこれまでに何回か冬眠中のヒキガエルを掘り出したことがあるらしい。学生運動に熱を上げているとはいえ、根は生き物好きな生物学科の学生のこと、われもわれもと志願者が続出して、その場で「ヒキガエル冬眠発掘隊」が結成され、スコップをかついで本丸跡に乗り込むことになった。
 学生どもは、私の指示も待たず、といって指示を待たれたら私のほうが困ったところだったが、本丸中に散開して雪を掘り始め、つぎつぎと越冬中のヒキガエルを掘り当てていった。・・・このまま放っておくと学生どもは本丸中を掘り返してしまうにちがいない。適当なところで私は、教官の権限を発動して、発掘の中止を宣言した。
 この日見つけた冬眠中のヒキガエルは、本丸南側の斜面の横穴に五匹、大きな樹の根のすき間に七匹、そして単に雪に埋まっていただけの一匹の、計一三匹であった。この最後の一匹は、私が自分で掘り出したものである、学生を使って研究する気はないが、学生に使われるだけでは教官の権威にかかわる。
 ・・・石のすき間にもぐり込まず、石の上で直接雪に埋もれて冬眠していたのである。「ヒキガエルって、相当いい加減な生き物ですね」と、集まってきた学生たちも少々呆れ気味であった。石のすき間に入ろうとして間に合わず、雪に埋もれてしまったのだろうか。それとも、初めからはいる気などなかったのだろうか。
 雪は断熱材として働くから、外気温が零下に下がっても雪の下はけっこう暖かい。カラスやフクロウからも守ってくれる。・・・だから、そのまま雪に埋めておいてもよかったのだが、この時は石のすき間に押し入れた上に雪を厚くかけておいた。自然のままに、などという原則はたちまちくずれ、要するに、その都度適当にやっていることになる。もっとも、おかげでこのカエルは無事越冬し、三年後の一九七七年、立派なオスに成長して繁殖池に姿を現した。一九七八年、六歳までその生存を確かめている。
 もっと土の中にもぐりこんで越冬するのかと思っていたら、彼らは案外手抜きで冬眠するらしい。雪に埋もれただけでも生き残れるのである。
 ・・・
 したがって、冬眠中のヒキガエルは、よほどドジなことをしない限り、ほとんど死なないのではないだろうか。生きて活動しているからこそ敵に狙われるののであり、雪の蒲団をかぶって寝ていれば襲われることはありえない。ヒキガエルの一年のなかで、どうやら冬眠の四か月がいちばん安全な時期であるらしい。

   春眠
・・・
繁殖を終えたヒキガエルは、またねぐらへ帰って寝てしまう。あるいは、冬眠中にちょっと目を覚まして繁殖すると言うべきか。・・・ほぼ正確に二週間くらいであった。これをヒキガエルの春眠という。・・・

 最低気温が一〇度を越すようになると、ヒキガエルは採食活動を活発に行う。ところが、七月に入り最低気温が二〇度を上回るようになると、ふたたび不活発になり夏眠にはいる。そして、九月になって最低気温が二〇度を切るようになると、また活動を再開する。これが秋の活動期である。一一月、最低気温が一〇度を下回るころから次第に動きがにぶくなり、五度を切るとすべての個体が冬眠にはいる。・・・
 最低気温でみて、〇~一〇度で繁殖活動、一〇~二〇度で採食活動を行ない、それ以上でも以下でもどこかへもぐってしまって動かない。マイナス四〇度からプラス四〇度の間で働いている人間から見ると、なんとぜいたくな温度に対する好みであろうか。

{かかし独白:文章に「愛」があふれていますでしょ。ヒキガエルに対しても、学生に対しても。「生き物好き」仲間の信頼というのかな、あいつら、学生運動もするけど、根は生き物が好きだからなぁ、と心を許している。ここに出てきている学生さんは、私などと同年輩か少ししたくらいの世代だと思います。子ども時代から、虫などが好きで、長じて理学部生物学科にきた連中でしょう。仲間意識を覚えます。}

{かかし独白:あ~、私も冬眠したい。引き続き春眠したい。昔、20年くらい前かな、授業通信に「春眠暁を覚えず、春は眠い。夏は暑くて疲れるから、夏は眠い。秋になれば気温も下がって心地よく眠れる、秋は眠い。冬は布団にくるまってぬくぬくと、冬は眠い」と書いたら、読者だった同僚の先生が、一年中眠いんじゃない、と大笑いしていましたっけ。
かかしさんは、ヒキガエルさんから、仲間として認定してもらえるかなぁ。}

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