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2012年12月18日 (火)

鏡の話:10の11

★大分前の読書ですが。
昆虫からの贈りもの」宇尾淳子 著、蒼樹書房、1995年1月10日発行

宇尾さんは昆虫学者ですが、「ゴキブリの女王」という尊称を奉られた、と自分でも笑っておられるスゴイ方。「天才的脳外科医・ゴキブリの」というのもあるそうです。

この本からの引用は、このブログで2回くらいしたと思います。
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-c85c.html
http://yamada-kuebiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-7836.html

★著書のあとがきでこんなことを書いておられます。

終章「残照」
 かつて重篤の結核から奇蹟的によみがえった夫にとって、その後の人生は”もうけもの”の感が深かったらしい。右肺の機能が殆どなく、ストレプトマイシンの副作用による難聴、その後は高血圧、心臓病、前立腺肥大などなど、体中いたるところに病を持ちながら、健常者も顔負けなほど激しく生命を燃やし続けた。彼は建前抜きの本音だけを、内でも外でも押し通した信念の男であった。あれほどナンギで、かつ魅力的な人物は他にはいないであろう。
 私達夫婦の京大時代からの友人、小澤壽一郎さんが、十年程前に一冊の本を刊行した。題して「徒労への誠実」。強直性関節炎で四十年間の闘病生活の後、六十二歳で世を去った一病者の伝記である。全身の関節が次第に動かなくなり、遂には餓死に至る奇病に、すぐれた知性と稀にみる勇気、そして深い信仰で立ち向かった人。彼の生き方の真髄は「徒労への誠実さ」であった。”努力しても、努力しても、少しも良くならない。それでもなお、誠心誠意努力する。そこにこそ、本当の人生、本当の悦びがある”と。
 人生は時間の長短ではない、と吉田松陰はしきりに言ったそうである。「早すぎた。もっと生きて大きい仕事を仕上げてほしかった」という哀惜の言葉を多くの人からうけた。私もそう思う、しかし、彼は与えられた時間を完全に燃焼しつくして去っていった。もって瞑すべしであろう。
 人の一生に対照区はない。与えられた条件下で自分なりに力一杯生きた私は”幸せ者”と言えるだろう。

ぞくぞくします。「あれほどナンギで、かつ魅力的な人物は他にはいないであろう」これは考えられる限り最高の賛辞ですね。
私ゃ、半端にナンギな男だからなぁ。うらやましいや。

★「対照区」というのは「コントロール」ともいって、ある条件を課した実験をする時に、その条件を課していない群をつくり、それとの対照で、その条件の効果を調べるという概念です。
薬が効くかどうか、というのも、必ず対照区がなければ認められません。対照区のない実験は、評価にも値しません。
つまり、「もし」その条件がなかったら、ということを知るのに必要なのです。

「人生に対照区はない」というのは、「人生には『もし』はない」ということです。
人生においては「もし~~でなかったら」「もし~~であったら」というような「対照実験」は原理的に不可能です。
人生、生きるということの「一回性」ともいえるでしょう。

もしあの時これこれだったら、今の自分は違っていた、というようなことは単なる逃避でしかありません。これ、今、流行ってると思いませんか?
もし「本当の自分」が現れたら、こんなものじゃない、とかね。
今この自分しか、本当の自分はないのにね。

宇尾さんは、「もし」を一切言わず、力一杯生きた、「幸せだった」と言い切っておられます。
昆虫学者らしい「人生に対照区なし」という表現は、私の座右銘です。

私自身は「自分の人生に仮定法は使わない」と中・高校生のころから言ってきました。
同じことです。

人生というものは基本的に全て偶然で構成されているものです。
「もし」を一切言わず、全ての偶然に真正面から切り結ぶ時、偶然を超えて、自己の人生を構築できるのでしょう。私はよく「正面衝突が大事」といいますが、そういうことです。
逃げちゃいけません。逃げたら負けですよ。

★宇尾さんの本の第13章「ヒトとゴキブリが握手する」に、同名の「ヒトとゴキブリが握手する」という項があります。

 1987年、私はポーランドで開かれた昆虫の内分泌学会に特別招待され、開会記念講演をした。退職して二年半後のことである。私はゴキブリに登場してもらい、時計と脳・腸ホルモンについて回想的に話すことにした。ゴキブリの時計が視葉に局在することを発見した経緯、主時計と子時計を持つ時計の構造説の提案、その後の学会での論争、ヒトの主時計(視交差上核)の発見と時計の構造、ゴキブリの時計との相同性など。また、脳・中腸内分泌系を確立するに至った経緯と、ヒトの場合との相同性など。ヒトとゴキブリが握手するスライドを最後に、私は四十五分の講演を終了し、盛大な拍手をうけて演壇を降りた。
 ともあれ、私ははじめて国際舞台で私の時計説を主張することができた。そして、昆虫学者にはなじみの薄い「脳・腸ホルモン系」についても紹介し、「昆虫もヒトも生物学的大綱においては同じ」という考えを打ち出す機会を得た。私はこの科学者としてのエピローグをありがたくうけとめている。

心揺さぶられます。
生徒にもこの話はよくしましたが、いつも、ジーンとしてしまうのでした。きっと、そういう私の気持ちはどこかで生徒にも伝わっていたと思います。

ヒトとゴキブリは同じなんです。
それは真実です。

★この項を閉じるにあたって、「宇尾淳子」で、もう一回グーグル検索をかけてみましたら、ナント!
トップでヒットしたのが、私のホームページ「理科おじさんの部屋:第65回」でした。
ビックリ。
ゴキブリの幼虫を観察した記録の終わりの方で、「腸は考える」と「昆虫からの贈りもの」を引用しています。読んでみると、全然変わっていない。変化のない爺さんだというか、首尾一貫した生き方をしている爺さんだというか、ガンコジジイだというか、自分の書いたことをコテっと忘れる健忘症爺さんだというか。全部当てはまるのかな。

↓これです。2006年11月13日にアップロードしたものです。
http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/65th/sci_65.htm

読み直していて、可笑しかった部分がありました。自分のHPから引用。

●このあと、盛口 満さんの「わっ、ゴキブリだ!」(どうぶつ社、2005年6月10日発行)という本を、U君に見せてあげました。
 これは名著に属する本です。手描きのイラストがいっぱい入っているのですが、「対象を愛している」ということがひしひしと伝わってくるイラストです。(もちろん文章も)。こういう方の描いたイラストは、写真よりも情報量が実は多いのです。「ここが見るべきポイントだ」「ここをはずしたらもう、『見た』ことにならない」というようなところがちゃんと描き込んであって、余分な情報は削除されています。「視覚教材」は実物の写真や映画が最高か、というとそうではないのです。「見る眼」を持った人の描いたイラストの方がずっと優れているということは非常に多いのです。
 興味深そうに、U君は本をめくってみていました。

●この本のあとがきで、盛口さんは「生き物好きの人間にも、苦手な生き物はいる。かくいう僕は、柔らかい生き物が苦手。ウジとかナメクジが、ダメダメなのだ。決してパーフェクトな人間なんていやしない」と書いておられます。(Uおじさんもナメクジは苦手だな)。「人は、人を介して生き物に会う」とも。
 生きもの好きのUおじさん・おばさんとU君が出会ってしまいました。それがどのようなことなのか、今は誰にも分かりません。分かるのはこれから10年20年先のことでしょう。
(内心、ゴキブリ好きに悪人はいない、と思っているUおじさんでした)。

皆さんは「ガサゴソ系」と「ニュルニュル系」とどっちがお好きですか?

{最近、大人のゴキブリと、素手で対決できるようになった私です。素手以外で対決する方法はないか、と一瞬でも逡巡したら、負けです。ゴキブリの決断の方が早い。ニゲロ、とね。逡巡がなければ、ヒトという動物の手の動きはゴキブリに勝てます。いいスピードが出る。名人の域には達していませんが、修業の成果はあがっています。チビゴキには相変わらず、大きくなったらフェアに対決してやるから、自力で生き延びな、と放してやるかかし爺さんです。}

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